第84話 悔悟①

「デニスの家まで案内します。付いてきてください」


 リヒト教の聖職者と思われるその肩まである長髪の若い男は、静かにそう言って先を歩き始めた。このまま漫然と探すよりもこの男に付いて行くことが適切かもしれない、そう結論付けて俺は後を追う。が、警戒を緩めたわけではない。見たところ、どこかに武器を隠し持っている風ではないが、念のために左手で右腹にあるマインゴーシュのつかを握り、質問を繰り返した。


「あの、あなたはいったい何者ですか?それと、どうして俺の名前を知っていたんですか?」


 すると、前を歩いていた男ははたと歩みを止めて振り返り、にこやかな表情で肘を曲げて両手を挙げててのひらをひらひらとしてみせた。続けて軽くお辞儀をして、表情を崩さず話し始める。


「これはご無礼を。私の名前はデニス、リヒト教の祓魔師ふつましです。教会内部ではエグゾチスタと呼ばれている階級ですね。見ての通り武器は持っていないのでご安心ください」


 祓魔師だと!?なんと厨二心をくすぐる甘美な響きか!悪魔とかはらったりしちゃうのか?しちゃうんだろ?格好いいじゃないか。


 でも、今はそれどころではない。新しく湧いた疑問をぶつけなければ安心できない。目の前のデニスは駱駝らくだ色の髪に茶色の瞳をしていて、そして何よりも若い。明らかに10年前のデニスとは別人だ。


「デニス……。あなたが手紙の主で、だから俺のことが分かった。そういう事ですか?」


「んー、正確には違いますが、だいたい合ってます。私に付いてくれば、そのご期待を裏切ることは無いと断言しますよ。『デニスが町を歩けば10人のデニスに出会う』と言われるほど、ここではデニスが一般的な名前であることは申し添えますが」


「……分かりました。ところで、祓魔師というのはなんでしょうか?初めて聞くもので」


 嘘だ。何度も目にした。何度も聞いた。華麗な技で悪魔どもをほふる厨二病が憧れる職業トップ5の常連だ。もっとも、この世界の祓魔師がなんなのかは知らないが。

 目の前のデニスは胸の前でポンと両手を合わせてから相変わらずのにこやかな表情で答える。


「あ、そうですね。そちらでは一般的ではないかもしれませんね。シェスト教で言うところの助祭と同じですが、こちらは段階が多くてですね、一番下っ端が祓魔師で、出世すると助祭になれます。誤解も解けたようですし、そろそろ歩きましょうか?」


 俺はコクンと頷いて再びこの祓魔師の後を歩き始めた。下っ端とか出世と言うあたり、変に権威を振りかざそうとする聖職者よりは信用できそうだ。歩きながらすれ違う人々も観察するが、皆、一様に穏やかな顔だった。そしてデニスと名乗った祓魔師はその誰からもお辞儀され、子供からは「遊んで」と付きまとわれていた。


「さ、ここです」


 船着場から歩いて15分ほど、住宅地が終わる辺り、そのごくありふれた1階建ての石造りの家の前で祓魔師は立ち止まった。小気味よく4回ノックした後、ゆっくりと木の扉を押し開け、


「デニースさーん、スヴァーンさんをお連れしまーしたよー」


 なんとも間の抜けた声で奥に話しかけた。少し遅れてどこかで聞いた、しかし、しわがれた声が返ってくる。


「あぁ、ありがとうよ。そのまま奥に通してくれ」


「はいー。ではスヴァンさん、まっすぐ奥に寝台しんだいがありますので、そのままお進みください。私はこれで失礼します」


 晴れてお役御免になった祓魔師は軽くお辞儀をしてそのまま住宅地の方向へと去っていった。


 俺は慎重に中に入り、右手でスモールソードの柄を握り、すっと抜いた。思い出したのだ。ボクはその声を聞いたことがあると。そして殺さねばならない、と。


 が、


「おいおい、スヴァン。そんなに警戒しなくても良いじゃねえか。ともかく、もっと近くに来てくれ。大きな声を出すのがしんどくてしょうがねえんだ」


 その薄暗いベッドに一人、上半身を起こしてこちらを伺っている男の声は先ほどよりも一層枯れ果て、それは平和のうちに生きてきた俺の覚悟を砂礫されきの如く粉々にするのには十分な憐情れんじょうを誘った。折れた覚悟をまた立て直すのは難しい。スモールソードを左腰の鞘に納め、ゆっくり、ゆっくりと奥の方へ進む。


 男のすぐそばまで近寄り、その姿を目の当たりにしたとき、俺は言葉を失った。

 ぼさぼさの髪の毛、10年前と比べてほっそりとした顔、上着の隙間から覗く痩せた体と細い腕、目の下にできたくまが、ただけたのではない彼の今の状況を物語る。しかし、その髪と瞳の色、ロスツェスティで出会ったデニスその人であることは直感で分かる。


「お前さん、遠いところよく来てくれた。ありがとうよ。俺がデニスだ」


 俺がベッドの横に無造作に置いてあった椅子に座ると、通常よりは少し小さい声を発した。


「あなたがイヌイの傭兵組合に手紙を送ったデニスさんで間違いないですか?」


「ああ、俺だ。あの生臭なまぐさ祓魔師エグゾチスタに頼んで送ってもらった」


「ところで依頼ですが、『ジェカアレスで話す』とのことですが、どんな内容になりますか?」


 目の前の弱り切った男を今すぐ殺せと、俺の心のざわめきを誤魔化しながら話す。


「そうか……。紛らわしい言い方になっちまったな。すまねえ。依頼の内容はジェカアレスで俺と話をすることだ。俺の話をただ聞いてくれるだけでいい。それが依頼だ」


 デニスの返答に大きくため息をついた。俺の心を落ち着かせるためだ。


「……分かりました。お話を聞く前に俺からも良いですか?」


「なんだ?」


「あなたは俺が10年前にロスツェスティで話をしたデニスさん、で間違いないですよね?あのときとは口調が随分と違うようですが」


「ああ、そうだ。間違いねえ。そうか、もう10年も経ったんだな……。口調はこれが本来のものだ。あそこにいた頃は色々と身を隠さなけりゃならない事情があったからな、出来るだけ印象に残りにくいようにしてたんだよ」


 身を隠さなければいけない事情。その言葉に、俺の心は一層大きくざわめくが、それを察したか察せずか、


「ああ、茶も出せずに悪かったな。そこのかめに水が入っているから、コップでもさかずきでも好きに使って飲んでくれ」


 俺は無言で頷いて水瓶みずがめの蓋を開け、近くに並べてあった金物かなもののコップの一つ……いや、二つに柄杓ひしゃくで水を注ぎ、ベッドのそばに戻ると、一つをデニスに差し出した。水瓶に反射した自分の顔は暗くて見えなかったが、きっとひどいものだったろう。


「悪いな。ありがとうよ」


「ところで依頼を進めましょうか。身の回りの世話を遠くの傭兵に任せるのはお金がかかりすぎる」


「ああ、そうだな」


 そう言って、少しの間、目をつぶり、そしてデニスは話し始めた。


「俺はもうそろそろ死ぬんだ。原因も病名も分からねえらしいが、何人も看取ってきたあの生臭なまぐさ祓魔師エグゾチスタが言うんだから間違いないだろうな。だからよ、死ぬ前に一度、誰かに自分のことを話したくなったんだ。何故だかは分からねえ。だが、よく老人が昔の話ばかりするだろう?あれって、こういうことだったんだな、って今は思うぜ。ま、これから死にゆく人間の愚痴だと思って適当に聞き流してくれれば良いさ」


「そうですか。でも、愚痴を聞いてくれる人がいて良かったですね」


「……面白いことを言うんだな。ま、あのとき、お前に出会えたのは幸運だったのかもな」


 ふぅ、と息を吐いて一拍。


「さて、生まれから話すとするか。俺はドゥリビエで生まれた。小さなパン屋を営むお人好しの両親のもとですくすくと育ち、15歳で衛兵に志願した。そして俺が18歳のとき、両親が莫大な借金を負った。……騙されたんだ」

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