第80話 実家

「――ところで、あなたはエルマーさん……、エルマー・ブルームハルトさんですよね?」


「エルマー?いいえ、私はそのような名前ではありませんよ」


 目の前の男を見、声を聴いたとき、直感的に二つの可能性が脳裏に浮かびあがった。もう一つの可能性は――


「ところであなたはどこのどちらさんですか?人に聞く前に名乗ったらどうなんですか?」


 男の気分を少し害してしまったようだ。偽名を返しても良いが、もう一つの可能性もあることを考えると、出来る限り情報を引き出したいところではある。幸いにして周りには誰もいないようだ。そのまま名乗った方が良いかも知れない。


「それもそうですね。俺の名前はスヴァン。アシハラ王国イヌイの傭兵です。あ、警戒しないで下さい。民間人の護衛で入国していますから、やましいところは何もありません」


「そうでしたか。私はデニスと言います。ところで、そのエルマーさん?という人をお探しですか?」


 デニス。目の前にいる痩せ型で背は俺より少し低く、ダークブラウンの髪に青い瞳のこの男は、ノエではなくデニスと名乗った。

 偽名の可能性もあるな。もう少し聞き出せないか揺さぶってみよう。


「ええ、そうなんですよ。よろしければもう一つ、二つ質問させてください」


「はぁ、構いませんが」


 雨が降っていて向こうも早く帰りたいはずなのにありがたいことだ。やはり勘が外れたのかも知れない。


「ドリテの訛りが少しありますが、そちらのご出身ですか?」


「あ、はい。仕事を探して4年くらい前にこちらに来ました。やっぱり分かっちゃいますか?」


「ああ、えーと、あまり目立たないですよ。でも、ほんの1週間くらい前まではドリテ王国にいましたからね、分かるようになってしまいました」


「ははぁ、なるほど。それは遠回りでしたね。ところでそれが何か?」


「ええ、実はドゥリビエにいたノエという人物について聞きたいんですが、何か心当たりはありませんか?」


「……いえ、生憎と。私も王都に住んでいましたが、ノエという男のことは存じ上げません。ところで、そろそろ良いですか?風邪をひいてしまいそうで」


 今度は考える仕草をして少し間を空けてから返事があった。


「あ、引き留めてしまってすみません。どうもありがとうございました。今度お会いしたら、ゆっくりドゥリビエのお話を聞かせてくださいね」


「ええ、是非。それでは」


 そう言い残して、デニスさんは元々向かっていた方向に足早に去っていった。

 途中、機嫌を損ねてしまったかと思ったが、こんな雨の中、質問にも答えてくれるなんて良い人だ。ただ、会話中、右の頬を何回かぴくっと動かしたのは気になった。エルマー・ブルームハルトの名前を出したとき、デニスと名乗るとき、ドリテ訛りに言及したとき、それから見え辛かったがノエの名前を出したときも動いていたように見えた。何かに反応したのか、嘘を付く前の癖なのか、話し始める前のただの癖なのか。

 いずれにせよ、今の会話だけでは断定が出来ないし、どこに住んでいるとも知れない彼を探してこれ以上調べるのは、当然、今の依頼に支障が出る。運頼みだが、明朝の出発までにどこかでばったりと出会う偶然に期待するしかない。


 が、やはりそんな都合の良いことは起こらず、ロスツェスティの北門から出るまでにデニスさんと再び出会うことは無かった。昨晩、宿に戻ってきたバルナバスさん、オスヴァルトさん、それからルッツさんにも、一応、昼間の件を話して調査の了解を得ようとしたのだが、ルッツさんとバルナバスさんに寸刻もなく却下されている。残念だが、致し方あるまい。今、大事なことは、最優先すべきことはルッツさんの護衛なのだから。調査に賛成してくれたオスヴァルトさんは、昨晩の話のときはすぐにでも探しに行きたい雰囲気だったのもあって、とても残念そうに見える。


 さてさて、シェドニィドゥベジェまで約190kmの下りの山道も、途中2回ほど武装もしていない2人組と4人組の強盗に食べ物をよこせと凄まれ、武器を向けて追い払ったことがあるくらいで順調に6日間で走破した。


「あぁ、町を出たときと何も変わっていない。懐かしいなぁ」


 そうルッツさんが言ったシェドニィドゥベジェは、流れの速いリフア川の河口に作られた海を臨む町である。周りを城壁や柵で囲っていないために町の入り口は定かではないが、それなりに建物も多い。しかし、空の青いが弱いこともあってか、どこか寒々しい。別の言い方をすれば寂れている印象だ。何も変わっていないということは、ルッツさんが町を出るときから、ずっと寂れたままなのかも知れない。


「ところで、滞在は予定通り1日だけで、明日の昼過ぎに出発で良いですかな?」


「はい。予定通りでお願いします。お昼の鐘が鳴ったら、町の南、建物が途切れる辺りに集合しましょう」


「分かりました」


「私は時間の都合でこの通り沿いしか案内できませんけど、観光していってくださいね」


「ええ。そのつもりです」


 久しぶりの里帰りで予定を変更する可能性を考慮したのだろう。バルナバスさんがルッツさんに確認をしていた。今日はこの後、宿を取り、ルッツさんは実家へ、俺たちは明日の集合まで自由時間だ。

 それにしても、観光か。うら寂しい町を観光するのは精神的に応えるものがあるが、ぶらぶらするだけしてみよう。



 バルナバスさんはあの受け答えをしておいて疲れているからと宿に着いて早々に眠ってしまった。残った俺とオスヴァルトさんでルッツさんを実家まで送り届け、暫く大通り沿いを見学した後、男2人で海を見に来た。ここは浜辺は無いが幅の広い立派な桟橋が何本かかけてあり、先端まで行けば見渡す限りの水平線を楽しむこともできる、と地元の漁師さんらしき男性から聞いたので来てみたのだ。

 うん、何と表現して良いか分からないけれど、人生を考えるには丁度いい感じかな。そうだ、思い切ってあの件も聞いてみようじゃないか。

 桟橋の上で、2人で胡坐をかきながらのんびりと話す。


「ところで、オスヴァルトさん」


「何ですか?あなたからの告白ならお断りですよ?でも、ちょっとだけならいいかも……」


 いや、告白しないから。そういう話じゃないから。しかもなんでツンデレた?


「俺の告白というか、オスヴァルトさんの妹さんに告白されたんですが……」


「その件でしたか。てっきり私の体目当てでこんなところに連れ込んだのかと」


 連れ込むも何もここ外ですよ!?


「それにしても我が妹ながら、なぜこんなにも凡庸な男に結婚を申し込んだのか……」


 この人、たまに辛辣だよねー。


「えーっと、その妹さんと凡庸な俺の結婚の件なんですけどね、お父様と協議してみる、とか言って2年も音沙汰ないんですよ。どうなってるかご存知ないですか?」


「ふむふむ、そうでしたか。いやあ、私も気になってはいるんですけど、実家に全然帰ってませんし、妹は妹でドロテ様がカネウラに行ってからじきに実家に帰ってしまって、会ってないんですよ。どうなってるか知りませんか?」


「俺が聞いてるんですが、俺が聞いてるんですが、俺が聞いてるんですがああ」


「おっと、これは失礼しました。ま、この私の妹が理由もなしに放置するはずはありませんから、実家の方で何かあったのかも知れませんね。今度、私と一緒に実家に行ってみますか?」


「なんかそれだと、オスヴァルトさんを俺に下さい、とか言っちゃいそうで嫌かも。ところでご実家ってどこにあるんですか?」


「やっぱり私の体が目当てだったのね!およよよよ」


「ちーがーいーまーすーかーらー!ところで実家」


「スヴァンヌって呼ばせてくれたら教えて差し上げてもいいですよ?」


「あ、いいです。間に合ってます」


「……そこまで仰るのならしょうがないですね。この私が教えて差し上げますよ」


「あ、なんかすみません……」


「イヌイの東門から出るとゾンマー川が見えてきますよね。我がフォーゲル家は川を渡らずに、そこから少し上流に遡った辺りのクニヒトに代々任ぜられています。大きくはないですけど、そこのお屋敷に家族仲睦まじく、慎ましく暮らしているのですよ」


「かなり近いんですね。でも、それだと尚のこと、連絡が無いのが気になるな」


「そうですね。私も気になりますので、イヌイに戻ったら行ってみましょう。アルマとスヴァンさんの結婚は全力で阻止しますけどね!」


「ええ!?阻止しないで下さいよ。お義兄にいさん!」


「あなたにお義兄さんと呼ばれる筋合いなどありません!でも、……ちょっとだけならいいかな……」


 またツンデレたよ。

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