第79話 山と川の間

 人を殺すのは簡単だった。心さえ閉じてしまえば、あとは作業だ。

 油断をさせて近づき、視界を奪い、心臓を突き刺し、或いは首の太い血管を斬れば良い。

 誰にでも出来る。誰にでも――


* * *


 ドリテ王国の王都ドゥリビエを出発した俺たちの次の目的地は神聖リヒトの国境の町、ホルスキィポトクである。ドゥリビエから国境まで、かなりの距離があるにも関わらず、しかもドリテとリヒトの一つしかない交易路であるにも関わらず、その町まで詰所や宿屋のある町は存在していない。小さな集落はいくつか存在するようだが。

 原因はトーム山脈とクペル連山がねじれてぶつかっているかのような複雑な山地と、そこを緩急織り交ぜて流れるゼレナー川によって、家屋を沢山建てられる土地の確保が難しいためだ。

 そんな土地に馬車が2台半通れるような道を通した人々の努力には敬服するしかない。なお、町はないが、道から外れたところには山を掘削して建てられた大きな要塞がある、という噂だ。大変に興味をそそられるが、依頼主が見に行こうと言わない限りは計画通りの道を進むしかない。


「スヴァン、起きろ」


 ドゥリビエを出発して3日目、ホルスキィポトクまで残り80kmほどのところまで進んだところで、荷台で眠っていた俺は緊迫感のある声に起こされた。声の主はオスヴァルトさんだ。いつも丁寧に話すオスヴァルトさんがこんな声も出せるのかと思うとともに、続いたバルナバスさんの言葉に一気に背筋が伸びる。


「これはまずいな。オスヴァルトは短銃をいつでも撃てるように準備、一発だけで良い。荷台から様子を伺って左側面から襲撃があったら適宜対応してくれ。スヴァンは馬車の左後方で周囲を警戒、状況に応じて私かオスヴァルトの援護。ルッツさんは荷台に移動して楯を準備してください。それでは前の様子を少し見てきます」


 ボドワンさんが教えてくれた山賊の情報が頭をよぎる。


「オスヴァルトさん、何があったんですか?」


「前に馬車が1台、止まっていましてね、どうやらその馬車の前にいるもう1台の馬車が故障して、道を塞いでいるようですよ」


 鉄兜一式を装着しながら状況を聞くと、フリントロック式の短銃に弾込めをしながら答えてくれた。昔、講習で聴いた「何かが道を塞いでいたら野盗がいると思え」だったか。装着し終わったらすぐに外に出て、指示の通りに馬車の左後方に位置取り、スモールソードと大型ナイフのマインゴーシュを手に取って周囲を警戒する。進行方向の右手にはすぐ近くに川が流れていて、人が隠れることは難しいとバルナバスさんは判断したのだろう。襲ってくるとしたら正面か、身を隠しやすい左手の岩場からだろうな。

 オスヴァルトさんとは今回の護衛で初めて一緒になったが、昔のようなジャケットの下にスプリントアーマーといった周囲への威圧感を抑えたものではなく、イヌイで売られている一般的なバフコート、タセット草摺無しのキュイラス胸甲、革頭巾に鉄兜の武装をしている。

 それにしても短銃か。かなり近くないと当たらないそうだが牽制には使えそうだ。俺も1つ持っておいた方が良いのだろうか。


 バルナバスさんが様子を見に行って5分ほどで、その方向から悲鳴や雄叫びが聞こえ、すぐに聞こえなくなったかと思ったら、バルナバスさんが小走りで戻ってきた。


「あ、ルッツさんはそのまま中にいてください」


 荷台から顔を出したルッツさんを慌てて中に戻す。


「前の様子はどうでした?」


「ああ。故障した馬車にいた男3人は、私が様子を見に行くとじきに武器を持ち出して襲い掛かってきたから、前の馬車の護衛2人と一緒に無力化したよ。例の山賊だろうな。ただ、隠れて様子を伺っているであろう奴らの仲間がいつ襲ってくるともしれないから、故障した馬車を片付けられるまでは、警戒を解かない方が良いな。私とスヴァンは外で周囲を警戒、オスヴァルトはそのまま荷台で迎撃待機、ルッツさんはそのまま荷台で待機をお願いします」


「故障した馬車の撤去は?」


「前の一団と、反対側からちょうど来た別の一団がやってくれることになっているよ」


「了解です」


 俺がそう言い終わるタイミングで、中にいるオスヴァルトさんにバルナバスさんが声を掛ける。


「すまないが、あの辺りに向けて馬車の中から発砲してくれないか?」


 バルナバスさんが指さした左前方には、幹の直径が1mくらいありそうなアカマツと岩があり、オスヴァルトさんは黙って頷いたすぐ後、轟音と大量の煙を吐き出して発砲した。


「うん、良いじゃないか」


 鉛玉が当たったのかも分からないのに、何が良かったのだろうと疑問に思ったが、すぐにそのアカマツの近く、或いはやや遠い岩の陰からゆっくりと人影が遠ざかっている様子が見える。全部で6人くらいはいそうだ。


「どういうことですか?」


 何を聞こうとしているか曖昧な質問だが、目の前で起こった光景を理解できず、率直に口から出てしまった。


「そうだね。山賊の気持ちになって考えてみようか。まず、先に無力化した3人だけでここを通る馬車から金品を奪えるだろうか?前の馬車も、ついさっき反対方向から来た馬車も護衛が付いているから難しいだろうね。そうすると3人を足止め役にして、その間に近くの伏せている仲間が一気に周りを囲んで、そうだね、人数としては10から20人くらいが良いだろう。だとすると7人以上、20人いたら残り17人も近くに潜んでいると予想する。こちらは非武装の人間を含めてもそんなにはいないだろう?でも、護衛の傭兵はいる。だから、仕掛けるか諦めるか、様子を見ている可能性がある。そこで、向こうから見え辛い位置から発砲してもらった」


「一人しか銃を持っている人間がいないのでは、威嚇にもならないのではないですか?」


「そう、こっちはね、一人しか持っていないことを知っている。けれど、向こうからしたらどうだろう?」


「……は!?そういうことですね」


「うん、そういうことだ。とは言っても、向こうが慎重だったから良かったけど、向こう見ずな連中だったら戦闘になっていただろう」


「戦闘になっていたらと思うとぞっとしますね」


「負けることはないだろうが、依頼主の安全については不確実性が増してしまう。撤退してくれて良かったよ」


 そうだった。依頼主を無時に送り届けることが今回の使命であって、勝ち負けではないのだ。


 そんなハプニングも有ってホルスキィポトクには予定より1日遅れで到着したが、その後は順調に進み、そこから5日でロスツェスティに到着した。ドゥリビエ以来、11日ぶりの町だ。国境のホルスキィポトクも途中の集落に比べれば大きかったのだが、残念ながら、土地の都合上、あまり人が多く住めず、壁がある大きな村くらいの印象だった。しかし、赤鉄街道と、遠くウミヴァドゥロとドゥリビエを結ぶ緑光街道が交差し、山間部の急に開けた土地に存在するロスツェスティは、高い城壁に囲まれた、見慣れた町の風情を醸し出している。採れる石材の都合だろうか、城壁が赤みがかっているのも新鮮だ。

 ちなみに詰所への挨拶だが、ホルスキィポトクでもロスツェスティでも、アシハラ王国の名前を出した途端に担当の兵士が渋い顔をするものの、最後には「アイン神のご加護を」と言って拘束や尋問もされずに締めるので、ここでも民間人の護衛のための約束事は守られているようだ。


 さて、ロスツェスティでは休息と情報収集のために2泊することにしている。特にルッツさんが故郷のシェドニィドゥベジェのことと、それまでの道中のことを気にしていたので、滞在中、食堂や酒場でルッツさんが中心となって聞き込みを行う予定だ。もちろん護衛2人以上付けてだが。


 そんな2日目の午後、仮眠時間になった俺はオスヴァルトさんと護衛を交代し、一人、食堂で遅い昼食をとった後、宿へ戻る石畳の道の途中にいた。トルデルニークを食べ過ぎてお腹が少し重たいことを後悔していたとき、それをあざ笑うかのように雨が降ってくる。これは早く帰らないと風邪をひいてしまうなと、急ぎ足になろうとしたそのとき、反対方向からすれ違おうとした人がぶつかってきた。


「あ、ごめんなさい。急いでいたもので」


 立ち止まり、頭を下げて謝る男性に反射的に俺は問いかけていた。いや、正確には思考を1つ挟んで質問した。


「いえ、大丈夫ですよ。ところで、あなたはエルマーさん……、エルマー・ブルームハルトさんですよね?」

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