第66話 動く

 あれからまた2ヶ月が経った。


 サコに魔物を駆除しに行ってから2ヶ月経った。


 王軍の動きも、ラーレちゃんとの進展も、傭兵組合の仕事もなく2ヶ月だ。その間、訓練以外は、たまにボーネン食堂で働かせてもらったり、イヌイ近くの森で鹿や猪を獲ってベーコンを作ってお店に卸したり、ご近所や孤児院にお裾分けするなどして、割と充実した日々を送っていた。

 訓練のついでに、店番をしているニクラウスさんやモーリッツさんに依頼の有無を聞いても、「ありませんね」「無い」の繰り返しだった。実際には衛兵の人手が足りていない町の警備依頼があるんだけど、その町に住んでいる組合員や新人に優先的に割り振るので、中堅どころで衛兵の人手も足りているイヌイ在住の俺に適した依頼は無いらしい。


 そんな10月も終わりに差し掛かろうかというある日の10時過ぎ、傭兵組合でニクラウスさんといつものようにお話をしている。


「そう言えば新人?」


「ええ、新人です」


「新しく組合に登録する人がいるんですか?」


「そうですね。スヴァンさんから暫くは……、10年近くも無かったのか……。……新規登録は無かったんですけど、ランプレヒト様の指示で組合長が勧誘していまして、王軍が攻めてくる話もありますから、少しずつですが、新規の登録者がいるんですよ」


「それで組合長が留守のことが多いんですね」


「そうですね。徴兵の手伝いと、組合員の新規獲得の宣伝で大忙しです」


「そうなると、いつか俺にも指導役として新人を指導することがあるんですね?」


「ええ、そのときにはよろしくお願いしますね」


「はい、分かりました。ところでラーレちゃんは受付やらないんです?」


 今までいつも通りにこやかだったニクラウスさんの表情に、その眉間にあっという間に凹凸が出来る。


「あのに飢えた野獣のような男しか来ない受付を任せるわけにはいきませんよ。分かるでしょう?スヴァンさんんんん?」


 こわ。眉間に皺を刻んだまま、にこやかな表情で圧力をかけてくるニクラウスさん、器用でそして恐ろしい人だ。


「あははははー……、ですよねー!俺もそうだと思ったんですよー!」


 これはもしかしてアレなのか?ニクラウスさんもラーレちゃんを狙っているというアレなんじゃないか?


「彼女は私の婚約者ですので、万が一のことがあってはと心配なんですよ」


 こここここここ、婚約者?

 婚約者って言った?

 婚約者婚約者婚約者コンヤクシャって言ったのかな?

 コンニャクの聞き間違いかな?


「ラーレちゃんはコンニャク料理が得意なんですか。良い奥さんになりそうですね」


「コンニャク料理?何ですか、それ?良い奥さんになりそうなのは間違いないですけどね」


 と言った後に何かに気付いたような顔をして、


「……ああ、コンニャクじゃなくて婚約者ですよ。私とラーレは結婚の約束を交わしてるんです」


 なんてことだだ。やっぱり婚約っていいいいいいいいい言ってるよ。おおおおおおお俺の嫁が、俺の嫁が、俺の、俺の、嫁が嫁が嫁がががががが……。


「アラー、アラアラアラ、マアマアマア。ソウナノネー。ソレハオメデトウネー。オバチャン全然気ガ付カナクテ、気ガ利カナクテゴメンナサイネー。ウフフフフフ、ゴチソウサマ」


 いかん。このままでは俺が俺でなくどこかのおばちゃんになってしまう。と、そのとき、


「ちょっとおばちゃん、大丈夫ぅ?」


 後ろから声がした。スヴァンおばちゃんを心配してくれる声がした。


「オスヴァルトさん。お久しぶりです。本日は当組合に何かご用件でも?」


 ニクラウスさんが声を掛けた、心配してくれたその声の主はオダ家の万能執事、オスヴァルトさんだった。ツチダに居たときとは違い、いつもの黒いジャケットに黒いズボン、白いバンドカラーのシャツに黒いループタイを身に着けている。それが彼の、向かって左6右4で分けられ、後ろで黄色いリボンで束ねられたさらさらのダークブラウンの髪とよく合っている。7月のシュテファン襲撃事件後はツチダで代官と衛兵長を臨時代行で兼務している。


「ニクラウスさんも、それからスヴァンさんも、ご無沙汰ですね。ツチダの後任が決まって一昨日から領主屋敷に戻ってきたんですけど、早速お使いに出されてしまいましてね、私めとしてもニクラウスさんの馴れ初めなんぞは是非とも聴取したいところではありますが、役目を先に果たしますね」


「あれ?執事さん、いつの間に。いつからそこにいたんです?」


「スヴァンヌおばちゃんは正気に戻ったのですね。ご健勝のこととお喜び申し上げます」


「あ、オスヴァルトさん、俺はスヴァンヌじゃなくてスヴァンです」


「おや?そうですか?しかし、つい今しがたはスヴァンヌさんだったようですが?」


「あれ?そうなんですか?おかしいなあ……」


「それはそれとして、スヴァンさんをいじるのもこれくらいにして、要件をお話ししますね。ニクラウスさんの眉間からしわが消えませんので」


「そうして頂けると助かります」


 ニクラウスさんは相変わらず眉間にしわを寄せたまま、器用にも営業スマイルを維持しているが、話が進みそうなので幾分かそのしわが浅くなった気がする。


「あ、俺、ここにいても大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ。組合所属の方に伝えてもらわなければならないことですので。ところで本日はペーター組合長は?」


「あいにくと組合長は外出しておりまして、本日は戻らない予定となっております。私で差し支えなければご用件を承りますが、いかがいたしますか?」


 なんだろう、前の世界で業者さんとやり取りしたときによく聞いたフレーズが出てきた。


「そうですか、組合長に直接お伝えしたかったのですが、仕方がないですね。それではニクラウスさんにランプレヒト様から傭兵組合へのご指示を通達しますので、内容を違わずに必ず組合長にお話しくださいね」


「は、はい」


 ランプレヒト様からのお話ということで、ニクラウスさんの気持ちが切り替わったようだ。眉間のしわも営業スマイルも消えた。


「一つ、王軍がこちらに向けて街道沿いに北進し始めたとの情報あり。その数およそ5000。ただし、領都に総勢立て篭もり徹底抗戦をする故、王軍を見掛けても手出し無用。街道沿いの村落についても防衛の必要無し。これについて傭兵に徹底せよ。一つ、引き続き領軍の徴兵と組合員の増強、魔物の調査に尽力せよ。以上」


 執事が思いの外、ビシッと話したので、この人も真面目なときがあるんだなと少し感心した。ボクと一緒にいるときもふざけていた記憶しかない人だ。


「しかと承りました。必ず組合長に伝えます」


 ニクラウスさんはビシッとした執事に、ビ執事に慣れているようで、特に驚いた風も無い。


「では、くれぐれもお願いしますね」


 そう言い残して、足取り軽やかにオスヴァルトさんは組合を去っていった。


「5000ですか……。ところでどうして手出し無用なんでしょうかね?」


 執事が去って行ったあと、何気なく疑問に思ったことをニクラウスさんに聞いてみる。


「さぁ。いくつか理由は考えられますけど、ランプレヒト様のお考えがあるのでしょうから、私たちは指示を実行するだけです」


「確かにそうですね」


「では、スヴァンさん、この件は後で組合から組合員にお知らせするので、それまでは念のために他言無用でお願いします。それから、私とラーレの件は誰かに話しても問題ありません」


「大丈夫ですよ。話す相手も特にいませんし。あ、今日も訓練場使いますね」


 いつも通りに答えたつもりだが、いつも通りに振舞えていただろうか。ラーレちゃんが俺の嫁にならなくなった衝撃と、内心、攻めてこないと期待していた王軍が動き始めたのだ。かなり動揺している。


 ああ、そうか。ついに王軍が攻めてくるんだ。戦争になるのかな。沢山の人が死んでしまうんだろうか。


 これからどうなってしまうのだろう。

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