第67話 偽戦

 傭兵組合から正式に通達があってから2週間と少し、不安で眠れない日もあったが、そんなことは関係なしに王軍は到着し、イヌイの町を囲んでいる。


 否。


 正確には町を取り囲まずに城門の無い北西方面に布陣してからというもの、たまに北東や南西の城門寄りに少し移動している。それだけなら、何か作戦があるのかなとただただ警戒するだけなのだけれど、どうにも様子がおかしい。


「スヴァン、見てわかる通りあれが王軍だ」


 11月の中頃、1日だけ軍旗を城壁に設置する仕事があった。

 城壁の内部の階段を重い足取りで上がり、軍旗を指示された場所に設置していると、以前、ツチダの衛兵長を務めていたボニファーツさんに声を掛けられた。聞けば、臨時でイヌイの守備隊長を引き受けているそうだが、なんだってそんな実力者がツチダという集落の衛兵長を務めていたのかは疑問である。


 さて、眼下に広がる王軍だが、奥にテントや仮設の防護柵、手前に映画や時代物のドラマで見たことがあるような横に長い長方形で横4列、縦3段、その長方形1つにはおよそ兵士が100人くらいはいるだろうか。さらに目を凝らすと、100人の塊の中も5人ずつ固まっているようだ。

 そんな1段400人の人の帯が大きな声を発しながら一斉に矢を放ち、また長方形の間に設置されている大きな投石器も時折、ぐわんと唸って稼働している。


 が、


「何ですか、あれ?」


 思わずボニファーツ隊長に聞いてしまったが、途轍もなく違和感がある。一斉に放たれた矢は届かず、壁の前の地面に突き刺さり、投石器に至っては石はおろか何も射出していない。


「これは一般の領民には黙ってて欲しいのだがな、我々は攻城戦をしているふりをしてしているのだよ」


 王軍の攻撃のふりが終わると、今度はオダ軍側が弓矢で応射しているが、こちらも相手まで届いていない。何よりも、鉄砲やバリスタ、大砲の影も形もない……、と思ったが、大砲だけは北東の城門寄りの場所に1門あった。見ている間、一度だけドン!と鳴ったが、砲弾は透明だ。つまり空砲。からの大砲だ。


「???アシハラ王は我々を討滅したいのでは無いんですか?」


「詳しいことは話せないが、これもランプレヒト様の作戦の内だ。予想が正しければいずれ分かる。いずれにしても、王軍に攻撃されていないことが、今はありがたい」


 これが何の役に立つのかは全くもって不明だが、王軍も含めて何かの作戦を実施中で、実際に王軍は攻撃してこないのだ。守備隊長の言う通り、ひとまずはこの状況を喜びたい。


「ところでスヴァン、サコへ行ったそうだな」


「はい。8月に魔物を駆除しに行ってきました」


「あそこのクニヒトには会ったか?」


「ヘルマン様ですね。挨拶くらいでしたけど、お会いしました」


「息災であったか?」


「はい、お元気そうでした」


「そうか。それは重畳」


「ヘルマン様とお知り合いですか?」


「うむ、そうだ。我がバルベ家とヘルマン様のカルツ家は昔から仲が良くてな、私もダミアンとはインターナートでも領軍でも同期だったから、ダミアンの兄上であるヘルマン様にも随分と良くしてもらったものだよ」


「そうだったんですか。ダミアン様は、その……、残念でしたね」


「うむ。あいつとは若い頃からどちらがより多くの武功を立てるか競った仲だった。……ああ、お前、今いくつだ?」


「はい、25歳です」


「そうか。それだとピンと来ないのも無理はないな。ほんの24年前まで、お前が生まれてすぐくらいだな。それまではリヒトやドリテと領地を巡る争いが頻繁にあってな、私もサコは言うに及ばず、東のムカイヤマの砦まで援軍に行ったものだったよ。敵軍に囲まれて死を覚悟したときも、あいつと励ましあってどうにかここまで生き延びてこれた。


「お前が生まれたくらいから膠着状態になって、しばらくは戦もなく、今の機を逃してはならないと、リヒト幹部の中でも特に穏健派のレーデ家から我らがオダ家に縁談が持ち掛けられたのだ。


「それを即断で快諾した先々代の領主様は次男、つまりグスタフ閣下の弟であるロータル様と、レーデ家のそれはそれは大変に見目麗しい御息女であったエレオノーラ様との婚儀を大急ぎでかつ大々的に執り行なった。そして両家の和平の象徴であるシュテファン様が翌年に生まれると、領民が皆安堵したものだ。これでもう本当に戦争が無くなるかも知れないと。


「……ああ、話がそれてしまったな。心のどこかであいつだけは、ダミアンだけは死なないと思っていたのだが、いざその事実に直面すると、存外に自分の心は素っ気ないものだ。討ち死にすることは、武人として生きることを選んだ以上、避けられない事なのかも知れないな」


 俺はただ無言で頷き、熟練のつわものの話を聞いた。そう、護衛任務に就くときも戦場なのだ。いつ死んでも良い覚悟が必要ということだ。日本に居たときには持ち得なかった気持ちだが、だがしかし、持ちたくない気持ちもどこかにあるのだが、気を入れなおさなければなるまい。

 人の命がたった銀貨100枚の世界なのだから。


「おお、すまない。老兵のお喋りに付き合わせてしまったな。まだ、軍旗を運び込まなければならないのだろう?ともかく兵が沢山いるように見せなければならないからな」


「はい、ありがとうございます。持ち場に戻ります」


「うむ。励みたまえ」


 うーむ。それにしても攻城戦をしているふりというのは、どういうことなんだろう。敵は王軍ではないのか?どうして王軍と一緒に戦争をしているふりをしているんだ?それに兵士の数だ。徴兵する期間がそれなりにあったから、2000人前後は守備に就けるだろうという話をどこかで聞いていたが、城壁の上には精々100人くらいしかいなかった。他の兵士は何をやっているのだろう?ふりをするならもっと多い方が良いと思うのに。分からないことだらけだ。シュテファンだったらランプレヒト兄さんに直接聞いちゃうのに、記憶があるだけにもどかしい。

 そうだ。もしかしたら自称神様から貰った、頂いた、頂戴した、下賜されたあの葡萄えび色の薄い本に何か書いてあるかも知れない。帰ったら少し読み返してみるとするか。



 あー、うん、何となく結果は分かってたよ?本当だって。嘘じゃないよ。


 あれから軍旗を運んで設置する依頼を終わらせて、部屋に戻って小さな机の上に鎮座している、葡萄色の薄い本、放置しているのになぜかホコリが付かない仰々しい薄い日記を、何ヶ月ぶりかに開いて読んでたのだが、やはり作戦の狙いなどは書かれていないようだ。重要な単語にアンダーラインが引いてあって、そこをポチっとしたら説明が出てくる機能があれば良かったのだけれど、それもない。本当にただの日記だ。そう思いながらパラパラとページをめくって過去に遡ってみる。うん、何度見てもただの豪華な装丁の誤字がない、肉筆じゃなくて活字の日記だ……?む?


 むむむ?

 むむむむむ?


 俺の子供の頃の日記にクリスタ・ホルツマンとあるが、前はマザーだったハズだ。あの日、マザーからスープと引き換えに聞いた変態クソじじいの話まで、俺はマザーの名前を知らなかった。貰ってすぐにパラパラと読んだときには、マザーと書いてあったのだ。クリスタ・ホルツマンとあれば違和感に気が付かないはずがない。


 これはもしかして、知ったことが順次、更新されていく仕組みなのだろうか?

 ああ、そうだ、間違いない。組合長のところもペーター組合長となっている。だとすると、これは……、これは……、これは……、これは?


 だから何?


 何に使える?


 だめだ。記録の閲覧以外に何の使い道も思い浮かばない。単語をポチっとしてみても解説とか出てこないし、どうしよう、どう使おう?

 ラーレちゃんとの俺の嫁構想が終わったときの切ない心情まで記録してあるよ……。


 うー……、捨てたい!


 が!


 捨てても戻ってくる!


 ま、邪魔にならないから良いか。押し付けられちゃったものはしょうがない。



 捨てられない薄い本に悶えたときから、あっという間に月日は流れ、何も無いまま無事に年を越した、その1月の半ばのこと。

 突如として王軍がイヌイの周囲から消えた。引き続いてイヌイの守備を任されているボニファーツ隊長によれば「ついにこのときが来たか」ということらしいが、勿体ぶってないで教えて欲しい。


 などと思っていたのだが、傭兵組合より通達のあった事態は深刻で、曰く、神聖リヒトが1万の軍勢をもって侵攻してくるとのことだった。

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