第65話 俺の嫁

 パァン……


 乾いた、だが大きな音とともにアレの頭が少し動き、微動だにしなくなった。アレの周りを徘徊していた捕食者たちは大きな音に驚いてこの場を離れたようだ。つい数秒前の喧騒が嘘のように森が静謐な空気に包まれている。


 アレを無事に仕留められたのだろうか。俺達は狼が離れている間に足早に且つ慎重に近づき、反応を確認する。


「解体。狼が戻ってくる前にこの場ですぐに解体します」


 銃創はよく分からなかったが、頭から血のような液体が染み出していることと、何をやっても無反応だったので、どうやら絶命しているようだ。ほっと一安心だが、この辺り一帯にはおかヒトデを斬ったときと同じような悪臭が、しかし、あの時ほど強烈ではない悪臭が立ち込め始めていたので、狼がニオイに惹かれて戻ってくる前に手早く解体をする。

 幸いにして持って帰るのは、毛皮と肉と例の玉っころと言われているものの、玉っころ以外は細かい指定は無い。毛皮と肉は一部でも良いのだ(※個人の感想です)、などど思っていた俺の心を察したのか、或いは同じように思っていたのか、惚れ惚れする手付きでアロイスさん、クレーメンスさん、ノルベルトさんの猟師組が魔物を手早く捌いている。俺とアルバンさんは狼の群れを警戒しつつ、気持ちよく解体していくその風景を眺めているだけだった。

 結局、毛皮は全て回収、肉は後ろ足のもも肉と腹肉だけで、残りの肉はそのまま置いてきた。簡単に食べられる食糧があれば、わざわざ生きている俺達を襲うことはないだろう。玉っころは透明感のある鮮やかな猩々緋で、今までに見た2つの石と同様、中とも表面とも把握できない位置に、炎を象形化したようなヤクト神の神紋が見て取れた。



 今回の依頼だが、7日間で切り上げた。もう少し滞在してみようかという気持ちも有ったものの、かなり緊張をしていたみたいで、アルバンさんが日に日に無口になっていったことと、自分も疲労が溜まっていたことが実感できたためだ。


 7日間滞在した結果、6日目にもう1頭、くくり罠に足をとられていた鹿型の魔物を、狼や熊に荒らされる前に運よく駆除できた。アルバンさんが暴れる魔物の頭をメイスで叩いて気絶させてから首を落とした。あのヘラジカのように大きな、しかも暴れている魔物の頭を攻撃できるとは、アルバンさん、実は強い人なんじゃないか?

 ところで、魔物の体内から出てきたのは今度も猩々緋のヤクト神の石だった。驚いたことに、滞在2日目の石と全く同じだ。工場で大量生産でもしているのだろうか?


 おかヒトデは、というかスライムは、あの後、出会っていない。

 7日目に森の奥から山土場に引き上げる際に、少し大きな岩の上からこちらを座って伺っている狼がいたが、あれが狼型の魔物だったのだろうか。こちらも様子を伺っている間に、ふいと森の中に消えてしまった。

 憶測の域を出ないけれど、スライムと7日目の狼から思うに、魔物は一概に獰猛だとは言えないのかも知れない。

 7日間の滞在で、駆除成功は2匹、それからシュテファン襲撃犯の新たな情報は無し。メインストリート沿いの宿酒場などで聞き込みをしてみたが、やはりクニヒト様から聞いていた通り、うまく紛れたのか、そもそも立ち寄っていないのか、それらしい人物の情報は得られなかった。また、依頼の対象以外に魔物の新種が見つかるかと期待もしていたのだけれど、残念ながらそれもなかった。分かったことと言えば、最近、鉄、銅、鉛、それから木材や石材などの取引が活発で、価格が上がってきていることくらいだ。それすらも、フォルカーさんに報告したら把握済みとのことだったが。


 自分の中では何か釈然としない今回の結果だったけれど、フォルカーさんとクニヒトのヘルマン様がとても喜んでいたので良しとしよう。4体全部駆除だなんて、高望みだったのかも知れない。実際、他の4人のメンバーも帰りの馬車の中で嬉しそうに……、クレーメンスさんとノルベルトさんはよく分からないけど、心なしか表情が柔らかく見えるので、嬉しいに違いない(※あくまでも個人の感想です)。


 さて、気になる今回の報酬だけれど、具体的な金額が決まっていなかった報酬だけれど、1人ずつに日当11日分の銀貨33枚、駆除の報酬は魔物2匹合わせて銀貨300枚が支払われた。300枚はメンバー5人で均等に配分するので、1人あたり銀貨60枚、日当と合わせると1人銀貨93枚、11日かけて。


 うん、安い、安いよ。1日当たりで考えると、見習いでヒグマを追い払ったときよりも安いよ。今回は1匹いくら、ヒグマのときは1日いくらの報酬で現地の猟師さんも一緒だったから、誤魔化しようが無かったことも報酬額の設定に影響しているのかも知れないが。


「うーん、組合長……」


「おう、スヴァン、どうした?」


「今回の駆除の報酬、安くないっすか?」


「そうだなあ、5人分だと厳しかったかも知れねえなあ」


 例の事務室っぽいところで、組合長と男2人、膝を突き合わせてお話し中だ。前の娘さん――名前はラーレというそうだ。ちなみにサコのクニヒト屋敷で門衛をしていたエッボさんは組合員で、ラーレちゃんはその妹らしい。そうと知っていればエッボさんを接待したのに――も前と同じ席に座って束になった蝋板にカリカリと書き込んでいる。黒に近い茶色の髪を三つ編みにして、生成色の頭巾を被っている。シフトドレスは白いが、ステイズとスカートも生成色で彼女の若々しさを引き立てているように見える。


「そうですよね……。なんとか報酬を増やさないと駆除が捗らないと思うんですよ。次から報酬を増額してもらえないっすかね?」


「それなんだがなあ、今回は5人にお願いして、結果、2匹だったから1人の貰いが少なかったけどよ、報告を聞いた感じじゃあ、2人か3人で十分じゃねえか?俺の差配が慎重すぎたんだがよ」


「いや、それは、まぁ、確かに5人も要らなかったかも知れないですね」


「だろう?それにな、実はランプレヒト様は魔物がもっともっと、沢山増えると思ってるんだわ。そんで、特別なことが無い限り今回みたいな依頼じゃなくてよ、野盗討伐みたいに報奨金にするつもりみたいだぜ?」


「確かに魔物がどんどん増殖してしまったら、いちいち依頼を出すよりも、駆除したら誰でも報奨金を貰えるようにした方が手間が少なくて良いですね」


「だな。ただ、誰でも報奨金を貰えるようにするんじゃなくて、傭兵組合所属を条件にするみたいだぞ?今回みたいなことがあるときに、出来るだけ早く、出来るだけ多く兵士を揃えられるようにもしたいみたいだな」


 ランプレヒト兄さんはそこまで考えていたのか。流石に俺とは頭の出来が違うな。


「ほー、そうなんですか。そう言えば、王軍側にあれから動きってあったんですか?」


 組合長への質問にラーレちゃんの筆が一瞬だけ止まった気がする。


「ねえな。徴兵して訓練をしているらしいが、こっちに向かってきている情報は全く無い。動きが無いといえば、ランプレヒト様も徴兵を続けてはいるが、訓練以外で特に動いてはいねえな。フォルカーの話じゃあよ、サコの先にある名前ばかりだった砦と、今は使われていない周辺の廃棄された砦を本格的に増改築しているようだが、なんだって王軍と反対方向を強化しているのか分からねえ。リヒトの動きを警戒しているのかも知れないがな」


 ははあ、なるほど。サコの町で聞いた色々値段が上がってるのはそういうことだったんだな。戦の準備となるとやはりお金がかかるものだ、などと偉そうに思っていたら、14時を告げる教会の鐘が鳴った。


「ああ、すみません、長居しちゃって。魔物の報奨金の件は、出来るだけ高くなるよう、組合長、頑張ってくださいね。それでは」


「おう、またなスヴァン」

「また来てくださいね、スヴァンさん」


 !?


 組合長のだみだみの大声の後に続いた、そう、それはまるで吹き荒れる嵐の中心に楚々として咲いている一輪の花のような、優しくて凛とした声(※個人の感想です)。言うまでもない、ラーレちゃんのものだ。むしろ組合長からあの声が出たら尊敬する。


 ああ、決めた。ラーレちゃんは俺の嫁。

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