第64話 耳を塞げ
もしかして、
他のメンバーにも意見を聞いてみよう。
「あの、これって……」
皆の方を向いて声を掛けようとして、俺はビクッとした。皆が皆、アルバンさんですら、とても険しい顔で武器に手をかけて警戒している。そして、スライムに近づいていたのも俺一人だったことに気付いた。
スライムから目を離さないよう、刺激しないよう、慎重にゆっくりと後ずさって皆がいるところまで移動する。
「ノルベルトさん、あれ、何ですかね?」
とりあえず、一番猟師経験が豊富そうなノルベルトさんに聞いてみた。
「知らん。初めて見る。あれが陸ヒトデか?」
他の3人にも聞いてみたが、ノルベルトさんと同じく初見とのことだ。逆に、なぜ俺が落ち着いていられるのかと不思議がられてしまった。
「仮称陸ヒトデが襲ってくる様子はないので、前に決めた方法で反応を観察しながら駆除の方法を検討します」
前に決めた方法というのは、ともかくハルバードを使ってぎりぎりの距離から斬ってみよう、という単純なものだ。単純なものだが、相手がどんな攻撃方法を保持しているか分からない以上は、それでやってみるしかない。ちなみに打ち合わせのときに火を使う提案もしたのだが、森の中で火は危険すぎると3人に拒否されたので、またの機会だ。
ともかく、未知の生物なので、どんな生態なのか知的好奇心が駆除するのはもったいないと囁くものの、探り探りやってみるしかない。
ハルバードを組み立て終わったら、とてもゆっくりと動くスライムを取り囲むように配置に付き、ノルベルトさんとアルバンさんを観察役、俺、アロイスさん、クレーメンスさんの順番で斬ってみる。
初手は、15度くらいまで軽くハルバードを上げ、重さでそのまま落としてみると、すんなりとスライムの体を通り地面まで届いた。そして、すぐにハルバードをスライムから離す。
俺からの印象だと、ハルバードは確かにスライムを分断していた。その断面はどろどろとはしておらず、ゼリーを切ったときのような感じだ。が、すぐに背が小さくなり、いや、背を低くして分断された部分同士がくっつき、何事もなかったかのように元の姿に戻った。
そして、
「ここから離れるぞ!」「逃げろ!」
突如、ノルベルトさんとクレーメンスさんの、今まで聞いたことが無いような大声が響く。
「全員、東屋まで退避!」
少し遅れたが俺も指示を出す。
皆の姿を確認しながら、先頭を走るクレーメンスさんをなんとか追いかけ、東屋まで戻ってきた。
「一体どうしたっていうんですか?2人とも」
2人の緊張感のある声に反応して、咄嗟に退避支持を出したが、実を言うとなぜあの状況で逃げなければならなかったのか理解していない。
「あのニオイは危険だ」「あのニオイは危険だ」
2人そろって真顔で全く同じタイミングで同じことを言った。双子?
「ニオイが危険、ですか……。もう少し詳しく教えてもらっても良いですか?」
毒ガスか何かのニオイだったのか?
「説明しよう」
まさかこの世界でも説明しようが聞けるとは。しみじみ。
あ、クレーメンスさんの話を真面目に聞かないと。
「先ほどの排泄物と腐った肉のようなニオイは、狼が好きなニオイだ。あのままあの場所にいたら、例の狼が群れで寄ってくる可能性があった」
「確かにそれはまずいですね。おまけに体にニオイが付いてたら、狼に襲われていたかも知れないですね」
「うむ」
「そうなると、あの陸ヒトデは生き残るために狼を利用して、外敵から身を守っている、ということかな。あれを傷つけた生き物がいたら、ニオイに釣られた狼がやってきて捕食する、餌を提供する関係でもあるかも」
静かに話を聞いていたアロイスさんが、考えてもみなかったことを言う。
魔物が動物を利用して共生する?
いや、動物が利用しあって生きている例は無数にある。魔物がそういう関係にあっても不思議ではないか。
「そうなると、陸ヒトデは基本的に無視するのが良さそうですね。それから、太陽が傾いてきたので、今日はもう町に帰りましょう」
太陽がもう少し西に落ちると空が赤らみ始める頃になっていたので、そろそろ撤収しないと夜道を歩くことになりかねない。灯りの無い夜道は危険だ。それに、沢山歩いた上に強烈なニオイも嗅いで疲れた。早く宿に帰って休みたいのだ。
*
「お早うございます。今日は昨日仕掛けた罠の確認と、余裕があればもう少し森の奥まで行ってみます」
早めの時間に起床して、まずは罠に獲物がかかっていないかどうか確認に向かおう。昨晩はフォルカーさんに報告し、夕食をとった後、すぐに寝たので体調は万全だ。今日はきっと良いことがあるに違いない。
昨日と同じように切り株のある山土場へ出て、それから水場に向かう。そこから少し入ったところに仕掛けた罠を確認しに行こうとしたのだが……、先頭のクレーメンスさんが右手をさっと上げて皆を制止する。
振り返って右耳に広げた右手を当てて、音を集めて聞いているような仕草をした後、「この先に狼が数匹いるようだ」と、小声で言った。
「恐らくこちらにも気付いているかと思いますが、観察するだけしてみましょう」
俺の提案がそのまま採用され、音のする方へ俺を中心にした前3人、後ろ2人の配置で慎重に近づいて行くと、茂みの先、罠を仕掛けた大きなコブカエデの根元に確かに狼が数匹いた。
ひぃ、ふぅ、みぃ、……全部で4匹。群がって何かを食べているようだ。俺達が仕掛けた罠にかかった動物だろうか。
その4匹を中心に辺りをしばらく観察したが、例の赤黒毛はいない。餌を盗られるとでも思ったのか、狼がたまにこちらを向いたりしていたが、特におかしなところは無いようなので、手で皆に合図を送り水場まで無言でゆっくり戻る。
「さてと、皆さん、先ほどの狼ですが、何か変わったところはありました?」
「狼の食事風景のことはよく分からないけど、群れるんなら、近くに赤黒毛だっけ?がいるかも知れないからハルバードの準備をしておいた方が良いんじゃない?」
黙って首を横に振るメンバーの中、アルバンさんだけが声を発した。
うん、それもそうだ。やれば出来る子の意見を尊重しようではないか。アルバンさんの方が年上だけどな。
「では、ノルベルトさんを除く4人はハルバードの準備、ノルベルトさんは魔物の姿を確認したら、猟銃を準備して下さい」
ノルベルトさんに周囲を警戒してもらって、皆で手際よくハルバードを組み立て終わると同時にどこからか犬の警戒吠えが聞こえてきた。いや、犬じゃないな、先ほどの方角から狼の警戒吠えだ。
皆に目配せをしてもう一度、大きなコブカエデの辺りに身を屈めながら行ってみると……
「クサい」
クレーメンスさんが無表情にそう漏らした。
うん、クサい。しかもこれは記憶にあるクサさだ。ノルベルトさんに目配せをして猟銃の準備を促す。
このクサさの正体は大きな、体高2メートルはあろうかという大きな赤鹿だった。角は無いからメスだと思う。それを先ほどの狼の群れが取り囲むようにゆっくりと歩きつつ、たまに吠えながら対峙している。さらにそれを10メートルくらい離れたところから俺達がしゃがみながら見ている。ちなみにハルバードは立てて持っているから、茂みからは、はみ出してしまっている。
「あの赤鹿は魔物で間違いないです。しばらくここから観察します。ノルベルトさんは隙があったら、あれの脳天目掛けて撃ち込んでみ……」
「あれデカくない!?デカすぎない!?赤鹿じゃなくてヘラジカじゃん!?聞いてない……、むぐ……」
小声だけどアルバンさんがうるさいので手で口を塞いで黙らせる。
「横から脳天目掛けて撃ち込んでみてください。頃合いはお任せします」
ノルベルトさんは無言で頷く。流石にアルバンさんとは違う。
狼と赤鹿魔物(メス)は牽制しているだけで、攻撃はしていない。狼の群れは、先ほどまでと同じ動き、赤鹿魔物(メス)は狼を見回すように首や体の向きを変えながら、たまに前足を大きく上げて踏みつけるような動作をしていたが、
「耳を塞げ」
ノルベルトさんの静かな言葉で皆が耳を塞ぐと、少し遅れてパァンと乾いた音が響いた。
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