第63話 森の中

 俺達は森の入口――と言ってもはっきりと別れているわけではないが――その入口で念のため装備と持ち物を確認した。例の鹿皮の外套は畑を抜けたあたりで各々、身にまとっている。この8月の暑い中、バフコート、革鎧、鹿皮の外套とかなりの厚着だが、命にかかわることなので省略も出来ない。

 暑いのは我慢、我慢、と思ってたのだけど、森の中はびっしりと繁茂した木々のお陰で森の外よりも涼しい。それは同時に、陽の光があまり届かず、薄暗いことも意味していたのだが。


 森の探索は、ほぼ猟師で慣れているクレーメンスさんと、趣味でたまに狩りをしているアロイスさんの二人が先頭、その次が狩猟講習しか狩りの経験が無い俺とアルバンさん、最後にクレーメンスさんと同様、ほぼ猟師のノルベルトさんという隊列で、ひとまずは地元の木こりが使っている林道を進んでいく。林道から少し周辺に目を遣れば、元々の起伏に富んだ地形に加えて、ごつごつとした岩場や縦横無尽に地表を這う太い木の根が見え、動物たちにとって格好の棲家となっていることが容易にうかがえる。

 虫や小鳥のさえずり、フクロウの鳴き声、枝葉の擦れる音、それから大きな革袋の中で4つのパーツに分かれたハルバードが、歩みに合わせてカチャカチャと金属音を奏で、黒い緑の中で静かに時間が流れていった。

 森の音を体に取り入れながら小半時ほど歩くと、急に開けた場所に出た。比較的平たんな場所に切り株がいくつも在り、ここで切り出されたであろう大きな丸太が、何ヶ所かにまとめられて積み上げられている。ここから森の外で見かけた土場に運ぶのだろう。


「くぁー、気持ち良い場所だー。休憩にしよう、休憩に。暗いところばかりで気持ちが沈んでるから、俺達には休憩が必要だ!」


 アルバンさんが伸びをしながら、久しぶりの開放感を包み隠さず休憩を催促する。

 うん、確かにそうだ。


「じゃ、ここで周囲を警戒しつつ、少し休憩しまーす。休憩中に離れるときは、必ず二人以上で行動してください」


 俺達は屋根のある東屋を拠点にして休憩に入った。久しぶりの陽射しが美しく見えたとしても、まともに浴びればすぐに黒い森が恋しくなることだろうから、選択の余地はない。


「さてと、今はこの辺りですね」


 俺は東屋に無造作に置いてあった丸太の一つに、地元の猟師や木こりから聞いて作成した地図の描かれた蝋板を置き、指でトントンと今いる場所を指し示す。


「ここまでで、何か気になったことはありましたか?」


 質問しながら他の4人を見回したが、「いや」と短く答えるか、首を横に振るだけだった。今のところは平和そのものといったところか。


「普段から人間が使っている場所には、なかなか近寄らないからね、ここまでで小動物の痕跡くらいしか見なかったよ」


 アロイスさんの話に、クレーメンスさんとノルベルトさんも頷く。猟師さん業界ではそういう常識があるんだな。勉強になる。


「やっぱりもう少し奥に行かないと駄目ですね。そうしたら次は、予定通りここの水場に行きましょうか」


「うん。普通の動物なら水場に行くだろうから、何か痕跡が見つかる可能性は高いだろうね」


 再び、アロイスさんの返事にクレーメンスさんとノルベルトさんが無言で相槌を打つ。アルバンさんは腕組みをして目を瞑り、神妙な面持ちで考え事を……、じゃないな。寝てるな、この人。


「アルバンさん、起きて下さい。もう出発しますよ」


 某執事のようにアルバンヌさんとは呼ばない、絶対に。いや、本当は呼んでみたいだけどね。


「あー、ごめんごめん。もう休憩終わり?」


「終わりですよー。次はここの水場に行ってみますよー」


 地図の水場を人差し指で示す。


「スヴァン君、顔が怖いよ……。分かった、水場ね。水場に行こう!」


 今度はノルベルトさんが先頭、アロイスさんがその斜め後、その次に俺とアルバンさん、最後尾にクレーメンスさんという隊列で水場を目指す。

 地元の猟師によると、先ほどの山土場、俺が心の中で切り株広場と呼称した場所から見える、北のトーム山脈の一番高い尖塔に向かって少し歩くと、池沼ほどの規模ではないが、1年中、水が湧き出ている小さい水場があるとのことだった。その近くを探せば何か痕跡が見つかるだろうし、罠を仕掛けておけば、もしかしたら魔物を捕獲できるかもしれない、という目論見だ。


 さて、正確な時間は分からないが、なるほど確かに、切り株広場からそう遠くない場所に水場があった。歩いて来た方向から見ると、奥に段差があり、手前からは少し窪んで見えるところに大きな水溜まりがある。幅は、最も広いところで20メートルくらい、すぐに水底が見えるから深さは50センチもないのだろう。水溜まり周辺は木々がまばらで、うっそうとした杣道を歩いてきたせいか、一際明るく見えた。

 動物の姿は……、見える範囲では無い。


「俺、アロイスさん、アルバンさんは水場近辺の痕跡探し、クレーメンスさんとノルベルトさんは少し離れたところに何か痕跡が無いか、探索をお願いします」


 事前に決めていたことなので、俺がそう言い終わるや否や、ほぼ猟師の2人は無言で目に付いた場所へ向かっていった。2人が向かったその先をよく見ると、他と比べてほんの少しだが草木が避けているのが分かる。すぐに獣道を見つけるあたり、流石だなと思う。


 水場捜索班の俺達3人は、下を見ながら糞や足跡の痕跡探しだが、ほとんどアロイスさんが見つけて、俺とアルバンさんはアロイスさんの解説を聞く係に徹している。ここには予想通り、森の色々な動物が来ているみたいだったが、アロイスさんの見識では、特別おかしなものは見つかっていないようだ。アロイスさんが分からないなら、俺とアルバンさんは尚更分からん。


 暫く目ぼしい成果もなく時間が過ぎていったが、獣道に入っていったノルベルトさんが、近くまで戻ってきて手招きしている。クレーメンスさんも一緒だ。


「何か見つかりましたか?」


 俺がそう尋ねると、


「うむ。この先に気になるものがあった」


 と、クレーメンスさんが答えてくれた。


 案内されるままクレーメンスさんとノルベルトさんに付いていくと、まだ木々がまばらな位置に20メートルくらいのコブカエデが悠然と構えていた。2人はその前に立ち止まり、みぞおちくらいの高さの幹の一部分をノルベルトさんが指さした。


「これだ。分かるか?」


 見れば赤黒い毛の塊がコブカエデの幹にいくつか付着している。更にその少し下、下腹部くらいの高さには灰色と少し白が混ざった毛の塊もあった。


「これは……、下のは色と付着している高さから狼の毛ですかね。上の赤黒いのは、うーん、もしかしたら狼の魔物のものかも知れないですね」


「スヴァンもそう思うか。では、この付近にくくり罠をいくつか仕掛けよう」


「はい、それでやってみましょう。あとは、水場に近い茂みのところにも仕掛けておきましょうか。仕掛け終わったら、先ほどの山土場に戻っていったん休憩します」


「はーい!」


 休憩と聞いてアルバンさんが元気よく返事をしてくれた。


「休憩の前に罠作りを手伝って下さいよ?」


「えー……」


 俺が釘を刺すと、アルバンさんは嫌々ながらも罠作りを手伝ってくれたが、飲み込みは早いようで、クレーメンスさんがお手本を見せながら作業すると、すぐに同じようにやってみせていた。やれば出来る子なんだな、アルバンさんは。

 俺はノルベルトさんに何回かダメ出しをされながら、どうにか手伝った。お手伝い出来たはずだ。


 罠を仕掛けた後、予定通り切り株広場の東屋で休憩し、パサパサに乾いてしまったプンパニッケルを1枚つまむ。薄くて酸味があり、暑い時期でも食べ易いのだが、どうにも前の世界で食べていたパンが恋しくなってしまうのは困りものだ。

 休憩を終わらせて空を見ると、太陽は頂点よりも西に少し落ちていた。


「今度は小さな沢があるという東側を探索します。お昼を過ぎているので、沢から奥には行かずに目立つ痕跡が無いかだけ確認しましょう」


 これも予定通りだが、4名それぞれ返事をしたり無言だったりで進み始めた。

 今度は森に入ってきたときと同じ隊列で、トーム山脈が左手にあるであろう方向に歩くと、今回も広場から比較的近い位置で、幅が1メートルもない水の流れがあった。


「ここも動物の痕跡が沢山あるだろうね」


「そうですね。魔物の痕跡も見つかると良いですね」


 アロイスさんに返事をしながら、ふと沢の対岸にほど近い木の根元に目が留まった。


 あれは、なんだ?何か光沢のある物が落ちているな。


 少し近づいて、じーっと目を凝らして観察してみると、1メートルくらいの長さがある赤黒い半透明の物体が、ゆっくりと伸び縮みしながら少しずつ動いているように見える。


 なーんだ、スライムじゃないか。ゲームで定番のモンスターも、この世界にもいるんだな。盛り上がっているところは、膝くらいまであるな。


 んんん?もしかしておかヒトデってアレのこと?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る