第53話 イヌイへ

 さて、と。


 ヤロウティーで冷静になった脳味噌で考えてみたが、悲しいかな、どうやらチートスキルはなさそうだ。

 が、まだ諦めてはいけない。今度、自称神様に会ったら色々と聞いてみよう。質問してみよう。詰問してみよう。そうしたら急に左目が疼いたりするチートスキルが発現するかも知れないし。それまでは俺の最強無双伝説もお預けだな。くふふふふ……


「おや、何やら楽しそうですね、スヴァンヌさん」


 最強無双伝説を夢想していると、いつの間にか机の反対側の椅子に座っていた執事に話しかけられた。窓の外を見ればもうすっかり暗くなり、班長は遠くの席で腕組みをして目を閉じている。


「スヴァンヌじゃないです。スヴァンです。あれ?スヴァンヌだったかな?……ところで何か用ですか?」


「スヴァンヌさん、大丈夫ですか?あなたの名前はスヴァンヌです。しっかりして下さい」


 そうか、俺の名前はやっぱりスヴァンヌだったのか。


「ところでスヴァンヌさん、今しがた領都から遣いが戻ってきまして、衛兵依頼の終了が決定しました」


「分かりました。それで俺はいつまでにここを退去すれば良いですか?」


「まぁ、待って下さい。この話には続きがあります」


「はぃ」


「シュテファン様、私、ボニファーツ衛兵長、そして何故かスヴァンヌさんも、イヌイの領主屋敷にお呼ばれしております」


 何故か、と言われると棘があるけど、普通に考えたら傭兵組合に報告した内容の確認ではないだろうか。だけども、逐一報告してるから俺の話なんて今更いらないんじゃないか?


「ですので、スヴァンヌさんへの依頼は領主屋敷での報告が終わるまで、ですね。出発は明朝7時の鐘が鳴る頃で、乗合馬車は使わずに詰所の馬車に乗ります」


「分かりました。荷造りしてます。あ、それから、」


「どうしました?スヴァンヌさん」


「俺の名前はスヴァンです。スヴァンヌじゃありません」


 俺がそう言うと執事は大げさに舌打ちをして「それではまた明日」と言って立ち去って行った。この若い執事もボクには随分と世話を焼いてくれたのだ。ひどい精神状態になっていないかと気にしていたが、今の感じでは問題なさそうだ。前世……ではないか。別世とでも言うのだろうか、のこととは言え、ボクの死でお世話になった人たちが悲嘆に暮れるのは見たくないのだ。



 東から昇り始めた太陽がやや遠慮がちに朝靄を少しだけ追い払っている時間、詰所から二頭立ての頑丈そうな荷台の幌馬車でツチダを出発した。荷台の壁は高く小さな覗き窓が空けられており、幌の部分は少な目で、如何にも軍用といった風体だ。ツチダには1人でも多く人員を残したいということで御者は執事が務め、荷台には俺と衛兵長、それからボクが布でぐるぐる巻きにされた木棺で乗っている。2頭立てだからだろうか、乗合馬車よりもかなり速い。

 しばらく馬車に揺られ、イヌイの城壁がはっきりと見えるようになった頃、執事が御者台から衛兵長に話しかけてきた。


「ボニファーツ殿。公爵家からのふみに有った王軍は、いつ頃こちらに攻めてくると思いますか?」


「あのふみの真偽は明らかではないが、こちらを征討する軍となるとかなりの数を準備しなければならないだろうから、どれだけ早くても2週間はかかるんじゃないか?正面からまともにぶつかるつもりなら、私だったら最低でも5000は欲しいところだ」


「2週間ですか。実は前々から準備していたとしたらどうですか?」


「王軍が兵を集めているという話は聞いたことはないが、それについては私も引っかかっていたところでね、スヴァンが目撃した王軍と思われるテントが気になっているのだよ。それがもし先遣隊だとするなら、既に準備は終わっていることになる。であれば、間に砦も無い道中、何の準備もしていないこちら側の集落などは無抵抗も同然に陥落して、1週間もあればイヌイに迫れるだろう。それから、王軍側とすれば、名高き水軍でアシハラ湖から一気に攻める方法があるというのが最大の強みであるし、水軍を持たない我々の急所とも言えるな」


「なるほど、よく分かりました」


 執事と衛兵長の話は終わったようだ。密書がそもそも本物かどうか分からないが、王軍が攻めてくることが本当なら、オダ家の倍以上の領地を持つ王族がかなり有利ということだ。


 そうこうしている内に、北東の城門に到着した。久しぶりに戻ってきた感のあるイヌイの街はいつも通りだ、と言いたいところだけど、心なしかいつもより活気がないように見える。

 北東の城門をくぐった後はそのまま馬車で北大通を南下し、噴水広場に出たら、北西に伸びる少し狭い道をゆっくりと進んで、11時の鐘が鳴る前には領主屋敷に到着した。

 門番が取り次いでいる間に、久しぶりの領主屋敷をゆっくり眺める。俺は平時を知らないが、領主屋敷の衛兵はそう多くないように見える。


「オスヴァルトさん、領主屋敷の衛兵と言うのはいつもこれくらいの人数なんですか?」


 執事に質問した後にボクの記憶を辿れば良かったと思ったが、ま、いいか。この方が変に怪しまれないだろう。


「そうですね。少し物々しい雰囲気は伝わってきますが、いつも通りですね」


「そうでしたか。もう少し厳重に警護しているものかと思ったんですが」


「当主のグスタフ閣下の方針で、屋敷の警備よりも街の治安に力を入れているせいですね。スヴァンさんもお会いになったことがあるから分かると思いますが、そもそもオダ領で閣下をどうにかしてやろうと考えるような輩は、肉体の面でも人柄の面でも希少でしょうし」


「ああ、なるほど。よく分かりました」


 それほどまでにボクの叔父上は領民から愛され、同時にあの筋肉で敵に恐れられていたのか。やはり偉大だ。


「ただ、」


 うーん、何か違和感があるな。この違和感の正体は何だろう?


「ただ?」「ただ?」


 俺の呟きに反応して、執事と衛兵長が同時に聞き返してくる。

 あ、違和感の正体が分かった。


「あ、失礼。考え事をしてしまいました。ところで、ここの石畳ってこんな色でしたっけ?」


 指を差したその先にある違和感の正体は、石畳の汚れだった。ボクが居たときも、閣下の護衛でここに来たときも、ここの石畳は明るい灰色だったが、今日は赤黒く変色した箇所がいくつか見られた。


「これは、血だな……」


 俺の疑問に、衛兵長が即座に答えてくれた。


「へー、血ですか。なるほど、それでこんなに……。えええ!?まじっすか!?」


「まじっすか?」「まじっすか?」


 とっさに上げた驚きの声に、またも執事と衛兵長が同時に聞き返してきた。いや、同時に反応しなくて良いから。恥ずかしいからやめて。


 衛兵長に言われて改めて石畳を見遣ると、血痕と思われるシミは、一つ一つは大きくないが、門と玄関のちょうど真ん中辺りまで点々と続いていた。大きなシミは見えないから、何者かが門と玄関の真ん中辺りで血が流れる程度の傷を負い、門の外に行ったか、或いは逆に、手負いの者が門から入ってきて、血痕が途切れた辺りで治療を受けるなどしたのだろう。

 王軍との戦闘がここで有った……、ようにはとても見えない。門も花壇も傷は付いていないし、石畳も血痕以外に特に目立つ損傷などは無い。


 血痕は気になるところだが、馬車がお屋敷の玄関前に到着したから後にしよう。

 まずは執事と俺で協力して、ボクの納められたぐるぐる巻きの木棺を、慎重に荷台から下ろして担当の使用人に引き渡すと、今度は屋敷1階の西側奥にある部屋に通された。


 その部屋はガランとしており、急遽運び込まれたであろう10脚の革張りの椅子が余計に部屋を広く感じさせる。その椅子の1つに腰かけて待機していると、暫くして傭兵組合の組合長、右腕に包帯を巻いた兵士と思われる風体の男、衛兵長と同じ袖のある黒地のチュニックを纏った宰相閣下の次男のハインツ・オダ、最後に宰相閣下の長男であり閣下が不在のときの総責任者でもあるランプレヒト・オダが入室してきた。


「諸君、ひとまず手近な椅子に腰をかけて楽にしてくれたまえ」


 ランプレヒトがそう促すと、それまで立っていた執事も含めて、皆、思い思いに椅子に腰かけた。組合長は俺の近くの椅子を選んでいる。


 全員が椅子に座ったことを確認してからランプレヒトが話を続ける。


「さて、突然だが、我らの父グスタフ・オダが王軍に襲撃され、亡くなった」

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