第2話 名づけ親

  常に傍観者だった彼が前に出て来た理由。

 それが、名前だ。


 多重人格障害者の分裂した人格たちは、自分で自分に名をつける。自己イメージに添った名前で自分を呼び、主人格とは区別する。

 欧米諸国で報告される事例を知る限り、そうだった。


 けれども彼らは名前を持たない。



 唯一、春人はるとは柚季が顎で使うため、柚季が名付けた人格だ。「おい」とか「お前」と呼んだ時、交代人格の誰が返事をするべきなのかが、わからない。そのためだけに名をつけた。


 春人がその名で呼ばれることに対しては、どんな感情を抱いているのか、わからない。春人本人が面談で、話したことはないからだ。

 柚季に命じられ、ただそこに座っているだけの役割を命じられ、それに準じているだけだ。


「こんな名前がいいなとか。そういった候補はありますか?」


 最初に彼の意思を問う。けれども黙ったままだった。僅かに眉がひそめられ、不満を見せた。当然だ。名前は自分でつけるものではないからだ。親が子供に願いを込めて、つけられるものなのだ。


「あなたはとてもスマートで、自分を律する心得も、ちゃんとある。私はあなたを漢字一文字で呼びたい気がするけれど」

 

 どうかしら?

 麻子は語尾に疑問符を含ませる。常に傍観者としてそこにいる、アルカイックスマイルの彼は、もういない。腕を組み、憤然としながらも、流し目をくれてきた。OKの合図だろう。


「……そうだねぇ。漢字一文字か……」


 彼の名前は『さん』付けで呼ぶ。だから、さん付けで呼びやすい名前が好ましい。麻子も思わず腕を組む。


あゆみさん。あらたさん。はやとさん。ひとしさん。さとしさん……」


 思いつく限りを言葉にするが、どれもしっくりこない気がしてしまう。彼の反応も見逃さずにいる。やはり気難し気に、眉を寄せているだけだ。


 普通の親でも何日もかけて家族親族で話し合い、つける名前だ。

 面談時間は、あと七分。次回に持ち越しになるかもしれない。それは避けたい。彼がまた、出て来てくれる確証がないからだ。


たくみさん。おさむさん。あきらさん……」

「あきらという字は、どんな字ですか?」

「えっ?」


 急転直下の反応に、麻子は一瞬固まった。急いでスケッチブックとペンを出し、彰という字を真ん中に書く。


「それでいいです」

「これは……、いいかも。語感も字面じづらもカッコいい」


 自画自賛する麻子を見る目が、ふわりと和らぐ。


「これからは彰さんと、呼ばせて頂いていいですか?」

「構いませんよ」


 パイプ椅子を少し引き、長い足を組みながら、悠然として承諾した。彼は彰だ。傍観者ではなくなった。これからは。


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