第9話 送ります

 今日の羽藤の面談で、聞き逃せない事項があった。

 これまで彼が無造作にナンパして、付き合う振りまでしようとしたのは、女の子たち。けれども学校をさぼり、若木のGPSで見つけられた時の羽藤は、男と寝ていた。


 ホーストコピーの柚季からは、母親への言葉にしがたい憎悪を感じた。


 着目するべき優先順位は、性的な対象が女性から男性に変わったことだ。それとも一夜限りの遊びのつもりだったのか。


「先生。お疲れ様でした」


 十二時で柚季の面談を終わらせて、麻子は院長室まで出向いて告げた。駒井は肘掛け椅子の背もたれを倒し、うたた寝していたようだった。


「あー……、お疲れ。今回は、どうだった?」

「ありがとうございます。良かったです。指定時間よりも早く来ました」

「そうなんだ。本人には約束をした自覚があるんだ」

 

 駒井の指摘で気がついた。そうなのだ。柚季には時間も日にちも直に伝えたことはない。それでも面談中に交代人格たちが聞いていて、それを柚季に教えているのか。


「ホーストコピーのカルテの提出は、明後日でいいからね。今日は早く帰りなさい」


 明日は休診日。

 カルテは明日、自宅で作ろう。

 コートを着るなど身の回りの支度を済ませて廊下に出ると、駒井が待ってくれていた。


「すみません。お待たせしました」

「今日は車で送って行くよ」

「えっ?」

「タクシーでも、こんな時間じゃ心配だよ」


 てっきりマスターキーで正面玄関の鍵をかけるために待っていてくれたのだろうと思っていた。面食らった麻子は思わず遠慮の言葉を口にした。


「そんな……。ただでさえこんな遅くまで居残らせて、そのうえタクシー代わりになんて出来ませんよ」


 麻子は胸の前で掌を向け、左右に振って言い及ぶ。けれども駒井は、どこ吹く風の表情で、麻子を共同廊下に出したあと、医院の玄関に施錠した。

 

「車をビルの玄関先に付けるから、少し待ってて」


 一緒にエレベーターで一階まで降りてくると、麻子を残して駒井が走る。

 グレンチェックのグレーのスーツに白いシャツ。ブルーのネクタイ。グレーのチェスターコートをまとった紳士が、事務室ではキャラクターが書かれたプラスチックのマグカップでコーヒーを飲んでいる。 

 そのうえ、ちょび髭。灰汁あくの強い先生だ。


「長澤さん!」


 ビルの正面に車を横づけにして、窓を開け、呼びつけた駒井の車に駆け寄った。一瞬、助手席にするべきか、後部座席にするべきかで迷ったが、助手席に乗る。麻子がシートベルトをつけるまで、待っている。

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