第10話  臨戦態勢

  今夜の十一時からの面談には、第三面接室を麻子は選んだ。

 診察室に一番近い部屋であり、診察室の奥では駒井が控えている。


 受付のパート女性も三谷も帰った夜の十時。麻子は給湯室で丁寧に入れた緑茶をふたつの湯呑に急須から注ぎ、盆に乗せ、診察室に持って行く。


「失礼します」


 ドアをノックしてから開けた麻子は、診察室の駒井のデスクに湯呑を置いた。


「ありがとう」

「こちらこそ、今日は、ありがとうございます」

「長澤さんも、今から食事?」

「はい。コンビニで買ってきたお弁当ですけど」

「じゃあ、一緒に食べようか。僕もさっき買ってきたのがあるんだよ。一人だと味気ないし」


 デスクに置かれた湯呑の茶卓と、弁当らしきレジ袋を持ち、診察室から出て来た駒井が、畑中のデスクにを陣取った。

 隣のデスクは、契約社員用の空きデスク。

 そちらを借りた麻子はコンビニ弁当の蓋をあけ、駒井は弁当のチェーン店で買った丼を出す。深夜の夜食にしては高カロリーだが、十一時からの面談に備えてのカロリーだ。


 集中力を切らさずに、頭をフル回転させ続けると、気力よりも体力の方を消耗する。

 丼だけではわびしく見えた駒井の為に、麻子は給湯室の買い置き籠から調達したカップの即席みそ汁を作り、冷蔵庫から保存容器も取り出した。

 畑中が、帰省土産として持ってきた、野沢菜だ。

 それを小皿に移すと、保冷容器は元に戻す。


「先生。良かったら食べて下さい」


 盆に乗せて事務室に戻る。駒井がいらないと言ったなら、自分が食べればいいことだ。


「食べるよ。ありがと」


 飯を頬張った駒井は、口をもぐもぐさせながら礼を言う。再び椅子に腰かけた麻子の好意に甘えるように、野沢菜に箸をつける駒井を見ていた。


 畑中と結婚する圭吾との経緯いきさつは、駒井も大体知っている。

 それでも駒井は野沢菜を食べ、どうしてここにあるのかについてのひと悶着もんちゃくには、一切触れない。それがとても自然に思えた。



 これ見よがしの嫌がらせなら、食べてやればいいだけだ。麻子も野沢菜に箸をつける。早食いの駒井が、あっという間に完食する。


「ご馳走様。みそ汁も漬物も、ありがとう」

「いいえ。私の方こそ、今日は我儘言ってすみません」


 麻子は弁当の空き箱や湯呑や即席みそ汁のカップを盆に乗せて、給湯室に舞い戻る。時刻は十時半を過ぎたところだ。手早く洗い物を済ませると、ロッカーから白衣を出した。

 医師ではないのに身につけるのは、カウンセラーの服装が、クライアントに与える印象操作になるからだ。


 たとえば畑中のようにフェミニンなブラウス、スカート、ヒールの高いパンプスが、畑中について何かしらを語ってしまう。信用できる相手かどうかを、クライアントは入念にチェックする。


 白衣を着たあと、ロッカーの扉に備えつけられた、鏡を見ながら化粧を直す。

 あとは髪を手櫛てぐしで整え、身支度は終了だ。



「行ってきます」

 

 まだ事務室で新聞を広げ、くつろいだていを見せた駒井も、新聞を雑に畳んで立ち上がる。


「行ってらっしゃい」


 面談前のスタッフ同士の挨拶を交わしたあとは、麻子は廊下に、駒井は診察室へと、それぞれ分かれる。待合室の電気は全部消されている。廊下の一番奥の天井灯が点されているだけだ。

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