第5話 インテーク
「すみませんけど、よろしくお願いします」
はきはきとした口調で南野は謝り、ぺこりと頭を下げた後、待合室へと向かい出す。後味の悪い面談だ。捨てられた感は否めない。
麻子は、こぼれかけた溜息を呑み込んだ。
面接室は、がらんどうの学校の教室に近い構造だ。
出入り口の正面には腰高の窓。
窓は一日中ブラインドで閉ざされる。
中央には正方形のテーブルが置かれ、出入り口に背を向ける形でクライアントがパイプ椅子に腰かける。
カウンセラーは、クライアントの右斜め横に着席する。
自分の心臓に近い方、つまり左側に人がいると、人は無意識に緊張する。
急所を守る危機管理の本能があるからだ。
クライアントに無駄に緊張感を与えないため、カウンセラーは右に着く。
それも正面ではなく、斜めに座る。
出入り口に近い方の人間は、出入り口から遠い方の人間を、敬う気質を持っている。面接室では上下関係を派生させない配慮が要る。
カウンセラーが先生で、クライアントが生徒ではない。
その意を込めて、クライアントの右斜め横に当たるテーブル面に着席する。
正方形のテーブルには、クライアントからもカウンセラーからも見える位置に、時計が置かれているだけだ。白い壁には絵画も何も飾られない。
壁際に、スチール棚があるだけだ。
駒井クリニックの院長の指針が反映された部屋だった。
音楽を流したり、植物を置いたり、絵画を飾るなどすると、クライアントの意識がそれらに『持っていかれる』。院長はその状態を良しとしていない。
面談中は、程よい緊張感も要するのだ。
麻子は無機質な面接室からスタッフルームに移動した。
ここもやはり学校の、職員室に近い造りだ。
向かい合わせに並んだ六卓のうち、一卓のデスクの椅子を引き、腰かける。
終えたばかりの面談のカルテを作る。
合間、合間に、
すると、院長の駒井が事務室に顔を出し、「ちょっと」と、言って麻子を手招く。
日本の中年男性にしては珍しく、鼻の下にチャップリンのような『ちょび髭』を生やしたダンディーな院長は、常に温和だけれども毅然としている。
精神科医の見本のような医師でもある。
「長澤さん。今日はもう、カウンセリングの予定は入っていなかったよね」
「はい。……と、思いますけれど」
念の為に予約表を確認した。午後五時三十分に、先ほど終えた南野以降の予約はなかった。
「これから一件、インテークをお願いしたいんだけど、大丈夫かな」
「インテークですか? はい、いいですよ。大丈夫です」
インテークは、初診患者との導入面談。
精神科医であり、院長でもある駒井が問診する前、カウンセラーが院長代わりに、クライアントの職業や家族構成、病歴や、来院した理由などの情報収集を行う面談だ。
この時点では、患者の悩みに深く立ち入ることはない。
通院する必要があるのかどうか。
今後の治療計画の方向性を、一時間ほど相談するだけ。記入を終えた南野のカルテを駒井に渡し、デスクを離れる。
部屋の壁際に並ぶロッカーから、白衣を出して腕を通し、事務室の出入り口付近に置かれた姿見で、身だしなみをチェックする。
思考と気持ちを切り替える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます