第2話 私のインテーク

「すみません。ギリギリになっちゃいました、ごめんなさい」

 

 急いだつもりだったのだが、スタッフルームに到着すると、午後の診療が始まる十六時の二分前。


「お帰りなさい。いい物件、ありました?」

 

 経理担当の三谷佐和子みたにさわこに、笑顔で声をかけられる。

 クリニックの院長や看護師や、非常勤のカウンセラーにも、不法侵入された話はしてあった。だから、昼休みに役所に行ったり、不動産屋巡りをする理由も彼らは理解してくれている。


「どうせならクリニックの近くで探したいんですけれど。十二月の頭って、一番引っ越しが少ないらしくて。なかなか空きが出ないみたいなんですよ」

 

 麻子は壁際のロッカーの前でコートを脱いだ。

 三谷と話しながら、ハンガーに掛けてコートを吊るし、扉を閉めると、自分のデスクの前に腰かける。

 午後は十七時からのカウンセリングの予約が入っている。

 それまでの時間を事務処理に充てるつもりでパソコンを、起動させた時だった。


「長澤さん、いる?」


 軽妙な口調で院長の駒井こまいに呼ばれ、麻子は「はい」と顔を上げた。


「急で申し訳ないんだけど。十九時三十分から一件カウンセリング、入れる?」


 と、診察室から事務室に入ってきた。


「はい。大丈夫です」

 

 スケジュール的には大丈夫だが、こんな風に予定外に入るカウンセリングは、クライアントの症状も、急を要する重篤な場合がほとんどだ。麻子は俄かにアドレナリンが噴出し、筋肉も神経も張りつめるのを感じていた。


「じゃあ、これ。お願いするクライアントのインテーク。カウンセリングは今日が初回のクライアントさんだから」


 基本的に駒井はスタッフに対しても患者に対しても、必要最小限しか話をしない。鼻の下にチョビ髭を生やした、取っつきにくい風貌の上にそっけないと、クライアントの評判は、良いとは言えない。

 けれども、駒井のこの一定の距離感が、むしろ心地良いと感じられることの方が多かった。


「カウンセリングは初めてのクライアントさんですか?」


 定期的にカウンセリングを受けてはいるが、何らかの事情でこのクリニックに転院してきた場合もある。

 そうなると、同じ初回でも意味合いが変わってくる。

 麻子は立ち上がり、差し出されたインテークを受け取った。

 

 だが、受け取りながら視線を移したカルテは、筆圧の強い特徴的な自分の字で、隙間なく詳細に書き込まれている。

 だからインテークを読み始めてすぐ、引き受けたクライアントが誰なのかを、麻子はすぐさま理解した。


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