第10話 氷解 -解 三の幕-
店内は水を打ったように静まりかえる。時間にして五秒ほど。自分の高なる心臓の音が煩いくらいだった。
詩織さんは、何だかしまったというような顔をしていた。私の問いに軽率に答えてしまったことを後悔しているのだと直感する。
私は、それ以上何も聞けなかった。
そんな中、虻川さんが静寂を破る。
「詩織さん。本当なの?」
「ええ、まあ……」
詩織さんは相変わらず微妙な顔をしている。
詩織さんが眉を顰めるほどの真相とは一体何なのだろうか。いずれにしよ、気持ちのいい話でないことは確かである。
「それって、一体……」
虻川さんも詩織さんのいつもと違う雰囲気を感じ取ってか、恐る恐るといった感じで尋ねた。
「私の口からは何とも。申し訳ありません」
いつもなら饒舌に真相を語る詩織さんらしからぬ態度である。
「そ、そうね。せっかく楽しい会だったのだから、怖い話はなしにしましょう」
そう、虻川さんは柔和に微笑みながら言うがしかし、その声色は、明らかに無理をしていて、何ともばつの悪い響きがした。
すると、ずっと黙っていた瀬戸先生がつぶやく。
「私から、お話いたします」
全員が瀬戸先生を振り返る。
やはり、知っているのだ。この怪談の真相を。
瀬戸先生は、申し訳なさそうに小さくなっていた。
私の中で、良くない好奇心が鎌首をもたげる。知りたい。詩織さんが言い淀むほどの恐ろしい真実を。
「しかし……よろしいのですか?」
詩織さんの問いかけに、瀬戸先生は小さく頷いた。
「とりあえず、真琴ちゃんは、お手洗いに行ってらっしゃい。さっきも言ったとおり何も怖いことはないから」
詩織さんに促されて、その瞬間まで忘れていた尿意が戻ってくる。
まだ少し怖いが、詩織さんは全ての謎が解けているらしい。そんな詩織さんが怖くないというのだから、これは本当なのだろう。
私は、「失礼します」と断り、トイレへと歩き出した。
トイレへと続く扉はどこにでもありそうな木製の扉で、アンティーク調の陶器で出来た可愛らしいノブがついていた。
ノブを掴んで回すがびくともしない。一瞬混乱するが、掴みやすくするためだけの把手だと気がつく。ノブをひくと扉は音もなく滑らかに開いた。
以前聞いていたとおり、扉の奥には三メートルほどの長さの短い廊下に続いており、その突き当たりにもう一枚扉があった。あれがトイレの扉なのだろう。
廊下を進み、扉を開けるとやはりそこはトイレだった。さっと見渡してもなんの変哲もないトイレだった。
私は用をたして、トイレから出る。左側に小さな洗面台と鏡があった。どちらもアンティーク調で、可愛らしいボウル型の洗面器は、白磁にロイヤルブルーの花柄が特に美しく、目を奪われてしまった。
手を洗い終わり、手を拭きながら鏡を覗くと、後ろ側に用具入れだろうか、木製の鎧戸が見えた。振り返って見てみる、鎧戸は、クローゼットによくある中折れ式の扉だった。
もしかしたら、あの男性は、この用具入れに隠れていたのかもしれない。でも、なぜ? 全く理由が思い当たらない。男性が用具入れに息を潜めて隠れる想像をする。あまりの馬鹿さ加減で、そんな想像をした自分に呆れてしまった。
トイレから戻ると店内の客は私たちだけになっていた。
「お待たせしました」
「大丈夫よ」
瀬戸先生が笑って答える。でも、その目はどこか悲しそうだった。
「ね? 何ともなかったでしょう?」
「そうですね。何ともなかったです」
「さあ、もう閉店時間ですし、帰りましょう。怪談の謎解きはまた、別の機会ということにしませんか?」
詩織さんは、虻川さんと瀬戸先生に振り返ると、そう問いかけた。
「そうね。そろそろお暇しましょう」
そう言って、虻川さんも席を立つ。
「少し待ってもらいませんか」
瀬戸先生だった。何かの覚悟を決めたような色がうかがえた。
詩織さんが何か口を開こうとするが、瀬戸先生に制される。
「いいんです。詩織さん。隠しておいても仕方がありませんから。それに、そろそろ隠すのも限界だったんです」
「レイちゃん……無理しなくていいのよ? ごめんなさい。私が余計なことを言ってしまったから」
明らかに重大な秘密を吐露しようとしている瀬戸先生に虻川さんは動揺していた。
「大丈夫です。私、特に虻川さんには聞いてほしいんです」
そう言われた虻川さんは、目を丸くする。そして、その顔には若干の恐怖が見てとれた。怪談の真相を特に聞いてほしいなど言われれば、誰だって怖い。その怪異の発生に自分が関わっているかもしれないのだから。
「私に……?」
「そうです」
「分かったわ。そこまで言うならば、聞くわ」
虻川さんも覚悟を決めたようだ。
瀬戸先生の唇が僅かに開く。しかし、どうしても言葉が出ないようだ。そして、顔にははっきりと恐怖が刻まれていた。
私の心臓は早鐘のようだった。
怖い。
あの詩織さんが隠そうとするほどの真相だ。
しかし、その場を動くことはできなかった。
その時、あの、霧の中から響くような、それでいてはっきりと聞こえる声が聞こえた。
「瀬戸さん」
呼びかけられた瀬戸先生は、はっとして詩織さんを振り返る。
詩織さんの顔からは何の感情も読み取れなかった。しかし、私は、この顔を知っている。これは、怪談師としての顔である。
「虻川さんならば大丈夫です。何も怖がる必要はないと思います」
「そ、そうね。そうよね」
そう答えながらも、顔には苦悩が浮かんでいた。
しかし、大丈夫とはどういう意味なのだろうか。
ちらりと虻川さんを盗み見るが、彼女にも分からないようだった。
相変わらず瀬戸先生は怯えた様子で、口を開くことができない。
そんな彼女を見かねてか、詩織さんが語りかける。
「もし、本当に打明けることをお望みならば、しかし、どうしても言葉にできないということでしたら、私に語らせてはいただけないでしょうか」
瀬戸さんは、一瞬悩むそぶりをしたが、小さく頷いた。
「やっぱり、私の口からは言いづらいのよ。お願い……できるかしら」
「分かりました」
詩織さんは静かに答えると、虻川さんをじっと見据える。
ついに怪談師の口から、怪談の真相が語られる……!
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