第二部 怪談語り

プロローグ

プロローグ

 雨が降っている。


 大粒の雨は、泥濘む地面で爆ぜ、びちゃびちゃと泥が跳ねる。


 跳ねた泥が、目の前に仰向けに横たわる女の頬や、髪に付着する。


 どこか作り物めいた青白い肌に跳ねた泥は、まるで、大きなシミのようで、大変、見窄らしかった。


 その女は、歯を剥き出しにして笑っていた。


 にっこりと、真っ赤なルージュをひいた唇で、それは下品に笑っていた。雨が口に入るのも厭わずに……。


 頭の可笑しな女だと思った。


 しかし、あることに気がつく。


 ああ、そうか。この女は死んでいるのだ。だから、この、下品な笑みを止められないのだ。


 私は、この女を哀れに思った。せめて、死ぬ時くらい、美しくありたかっただろうに。


 この哀れな女は、一体誰なのだろう?


 私は、身をかがめて、その女の顔を真上から覗き込んだ。


 弾力を失った、女の肌と、そして、剥き出しにされた歯と歯茎に雨粒が容赦なく降り注ぐ。歯と歯の間から僅かにみえる口腔内には、もう、かなりの量の雨水が溜まっているようだ。大きく開かれた口角から、雨水が涎のようにだらだらと溢れていた。


 その、汚らしい涎は、薄紅色をしていた。


 私は、歯医者の、あの小さな洗面器に流れていく、血の混じったうがい水を思い出した。


 この女は、口の中を出血しているのかもしれない。そう思うと、何故か、この口をこじ開けて中を覗いてみたくなった。


 覆いかぶさるように、女の顔をさらに覗き込む。


 相変わらず、雨粒が女の顔中で爆ぜている。


 私は、彼女の赤い唇に触れようと手を伸ばす。


 唇は、蚯蚓みみず腫れのように細く、そして、酷く不細工だった。表面はまるで、割れた柘榴の果実のように、無数のごく小さな凹凸がびっしりと、ひしめいている。まるで、噛みちぎられた肉の断面の様だと思った。いや、肉の断面、そのものであった。


 私は、ようやく気がつく。


 この女は、笑っているのではない。


 のだ。


 私は、あの男の汚らわしい唇が、自分の唇に押しつけられる、悍ましい感触を思い出す。腹の中を火かき棒で掻き回される様な、不快な痛みも……


 涙が込み上がってくる。


 私は、この醜い死体の女を知っている。


 これは--


 


 あの男に陵辱され、そして、無様に殺された私だ。


 雨が降っている。


 雨粒は、覗き込む私の体を通り抜け、私の死体へと降り注ぐ。


 その雨粒には、私の涙も混じっているのだろうか。

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