第43話 怪談殺し ー祓え 大詰めー
俺は、怪談が、怪異たちが恐ろしかった。
奴らは暗闇からいつも見ている。昼も、夜も関係ない。はっきり見えることもあったし、姿は見えなくとも、声が聞こえた。
いつか俺もあちら側へと引き摺り込まれてしまうのではないかと思うと、恐怖でまともに息ができなかった。
それなのに−−
目の前のこの女は、怪談を恐れない。
それどころか、怪談を愛しているのだ。
俺は、人様から見れば狂っているのだろう。狂っていなければ、人は殺せない。
でも、この女の方がよっぽど狂ってる。
ただ、狂っているもの同士なら、理解し合えることもあるかもしれない。
この女に、俺が何を見て、何を感じているのか、聞かせてやりたくなった。
「貴女は、この部屋がなんだかわかりますか?」
俺は、女に問いかけた。
彼女は、隠すこともなく、嫌悪感を露わにして、「ええ」と答えた。
分かってくれたことが嬉しかった。
俺も、錆鉄の匂いに満ちた、この部屋が死ぬほど嫌いだった。
「流石ですね。そうです。ここは、俺に薬神を下ろした、神下ろしの儀式場です」
彼女は、眉を
俺を憐れんでくれるのか……もっと、憐れんでくれ。
「俺の両親は、馬鹿でした。本当に薬神なんてものがいると信じていた。だから、俺にそいつを下ろすために、ある儀式をした……」
「もういい! 聞きたくない!」
彼女は、目に涙を溜めて叫ぶ。
俺が、人の道を外した、最初の一歩目だ。彼女もそれが分かっているだろう。他人の心の闇に触れたくないと思うのは当然だ。
だが、聞いてほしかった。いや、聞く義務があるとすら思った。
だって、俺たちは、狂っているから。
「両親は、俺に致死量の薬を投与し、この部屋に閉じ込めたんですよ。薬神が宿れば、その力で命が助かるはずだと信じてね。俺は、この世のものとは思えないほどの苦しみを味わいました。体は高熱で動かせない、頭は割れそうに痛かったし、いくら吐いても、吐き気は治らなかった。何度も母の名を叫びました。でも、誰も助けに来てくれないんですよ」
あれほどの苦しみを俺は知らない。
「でも、一番辛かったのは……暗闇でした。熱にうなされていたからなのか、暗闇の奥から、得体の知れない何者かの気配がずっとするんです。いや、気配だけじゃない、囁き声まではっきり聞こえました。そいつらは、俺が死ぬのをじっと待ってる。死んだら、連れていかれると思って、怖かった。本当に恐ろしかったんです」
今でも、思い出すだけで震えが止まらなくなる。
ブルブルと震える体を抱き、続ける。
「どれほどの時間、苦しみと恐怖に耐えていたのか分かりません。唯一の救いは、母が作ってくれたお守りだけでした」
そう言って、上着のポケットから、赤い巾着型のお守りを取り出す。
これがなければ、今でもまともに寝ることができない。
「永劫とも思える時間がたったと思われるころ、両親がその鉄格子を開けて部屋に入ってきました。そして、生きて、苦しんで、泣いている俺を見て、歓喜したんです」
女は涙を流していた。
「それからと言うもの、俺は、人ならざるものが見えるようになりました。そして、そいつらは、今でも俺が死ぬのをじっと待っているんですよ。だから、怪談が怖いんです」
女は泣きながら、声を張り上げる。
「怖いのなら……どうして、怪異なんかになろうとしたのよ!」
この女は、何も分かってない。
絶望と同時に、怒りが込み上げてくる。
「俺は、怖いんですよ……だから、どんな怪異も手が出せない、最も恐ろしい存在に、鬼に成るしかないじゃないですか……!」
俺の悲痛な心の叫びを切り取り、この女に真正面から浴びせかける。
感情のたがが外れ、目に涙が込み上げてきた。
女は、沈黙した。
「だから、俺は自分が怪異になることにしたんです。父親が残した、薬は簡単に特定されないことを知っていたので、それを使ってね。とりあえず、飲み屋で知り合ったサラリーマンの男で、薬の効果を試しました。でも、量が少なかったんでしょうね。その場では死なず、彼は帰宅途中に死んだ。でも、死んだことには変わりないし、やっぱり警察は薬殺とは気がついていないようでした。これで、僕も怪異の端くれくらいにはなると思った。でも、結果は違った。時同じくして現れたストーカ女に、怪異の座を奪われた!雨女は俺がなるはずだったんだ!!」
怒りが爆発した。今、思い出しても、はらわたが煮えくりかえる。
「でもね、花山さんから、雨女の正体を人間だと見破ってくれた人がいることを聞いたんです。貴女ですよ。俺は、興味を持った。俺が、これほどまで恐れている怪談を、その人は全く恐れず、それどころか、愛している。俺は、こう思いました−−」
この人に怖いと思わせることができれば、それが一番恐ろしい怪談だ……と。
「だから、貴女の店で働くことにしたんですよ」
彼女は、泣きながら、ただ静かに聞いているだけだった。
「それからは、必死でした。貴女に認めてもらうために、怖いと思ってもらうために、あの用務員も、あの婆さんも、藤堂も殺した。でも、貴女は、怖がってはくれなかった。それどころか、興味すらないような態度だった」
今ならわかる。この女は、俺が手を加えた結末が作り物だと、本能的に感じ取っていたんだ。
「だから、黄色いトレンチコートの女になって、貴女を直接殺すことにしたんです」
女は、何も言わなかった。
もう、ここまで話したのだ。きっと、これ以上言わなくても、分かってくれているはずだ。
だから、もう、何も心残りはない。
「詩織さん。最後は貴女だ」
そう言いながらゆっくりと近づく。
彼女は俺を見上げて、その美しい目でじっと見つめてきた。
その瞳には、恐怖の色はなかった。ただ、美しかった。
ああ、俺は、この強く、美しい人を殺して、鬼になるのだ。
さあ、俺を恐れてくれ!
「貴方は、捕まるわ」
霧の中から響くような、それでいてはっきり聞こえる、不思議な声だった。
「捕まる?」
「ええ。警察はすでに、犯行に使われた薬物を特定できている。もちろん、貴方が大学に在籍していないことも、花山さんが亡くなった時に口にしていたものが、貴方のバイト先の店の物であることも、すぐに明らかになる。そうなれば、貴方は必ず、疑われる」
この女は、今、なんと言ったのだ?
捕まるだって?
俺の真意が、本当に分からないのか?
怒りよりも、むしろ哀れみの気持ちが湧いてくる。本当は、馬鹿なのか?
これまで抱いていた、恋愛感情に近い、身を焦がすような感情が、急速に冷えていくのを感じた。
「もう、いいよ……俺はね……最初から、そのつもりなんだよ」
女は、唖然とした表情をする。
言葉の真意を理解できていないようだった。
「だから、最初から捕まるつもりなんだよ。あのさ、人を薬で殺したからって、人間が人ならざるモノになれると、本気で思うわけないじゃん。巷で少し話題になったとしても、すぐに“未解決事件”として忘れ去られるに決まってる」
女は、「まさか」という顔をする。
ようやく、気がついたのか、こいつは。
「そうだよ。俺の両親は救いようのない馬鹿だが、一つだけ良いヒントをくれた。人の身で、得体の知れないモノに成れる方法のね。つまりさ、俺は、怪異になるために、怪異に憑かれることにしたんだよ」
女は、わずかに恐怖していた。
心の底から喜びが湧き上がる。
「俺が捕まったらさ、皆、あんたみたいに、動機を知りたがるだろね。そしたらさ、教えてやるんだよ。ある日、声が聞こえたんだって。そいつが、殺せって命じたってさ。皆、信じないだろうね。でもさ、誰も、この存在を否定できない。だって、俺の心は、俺にしか覗けないから……。そして、人を惑わし、人を殺させる、俺の心に巣食うこの鬼こそ、数多ある怪談を凌駕し、全ての怪異の息の根を止める存在。そう、まさに−−」
『怪談殺し』だ。
鬼が命じる。この女を殺せと。
俺は、ゆっくりと近づき、その、白く透きとおり、芸術品のような首筋に手を当てる。
最後くらい、自分の手で殺してみたかった。
ゆっくりと、両手に力を入れて、首を締め上げる。手のひらに、彼女の頸動脈を流れる血液の確かな鼓動を感じる。この女は生きている、そう思うと、興奮が身体中を駆け巡り、下半身が隆起する。
どんな醜い顔で死ぬのだろう? そう思って彼女の顔を凝視する。
しかし、彼女は美しいままだった。それどころか、頬は上気し、目に涙を溜め、まるで、性行為の快感の波の中にいるかのように、艶めいていた。
そんな、彼女の顔を見て、思わず射精した。
ああ! 一緒に逝ってくれ!
彼女の首に、死んでも消えない、自分の痕跡を刻み込もうと、より一層、両手に力を込めた時だった。
ものすごい怒号が、背後から聞こえた。
そして、津波のような大量の足音が続き、それが、俺のすぐ後ろまで、あっという間にやってくる。
俺はものすごい力で彼女から引き剥がされ、床に組み伏せられた。
蛇の血で描かれた、なんの効力もない忌々しい幾何学模様に、右頬を擦り付けられると、錆鉄の臭いが凄まじく、吐きそうになった。
「薬師寺 一道! 逮捕・監禁罪ならびに殺人未遂の現行犯で逮捕する!」
知っている声だった。
冷たい金属の感触を両腕に感じた。
次の瞬間、手荒く、引き起こされる。
目の前には、伊丹が立っていた。
俺は、混乱していた。
なぜ、警察はこの場所を特定できた? この場所は、K市からも遠い、山の中だと言うのに……。
「なんで、伊丹さん……あんたがここに?」
伊丹は、スマートフォンを取り出すと、その画面を見せてきた。
それは、見覚えのあるゲーム画面。あの、位置情報サービスを利用した“イレブン・レイブン”だった。
しかし、それを見て、さらに混乱する。
この女のスマートフォンにも、このゲームがインストールされていることは知っていた。だからこそ、拉致する時に、その場に捨ててきたのだ。
「この女のスマホは、捨ててきたはずだ! なぜ、追跡できた!」
伊丹は、一瞬、憐れむような顔をする。
「よく見てみろ」
そう言われて、携帯の画面を注視する。そこには、見慣れたアバターと、”SERPENT_1028“というID。
これは、俺だ。
確かに、彼女を襲ったとき、彼女が持っていた俺の携帯は回収した。でも、今は、ゲームアプリを起動していないし、もちろん、アプリを起動していない間は位置情報サービスを切るように設定していた。
まさか……。
女を睨め付ける。
彼女は、悲しい目をしていた。
この女……俺のアプリの設定を、“常時位置情報サービスを許可する”に変更したのか。
だから、ある時から、充電の減りが早かったのか。あれは、ゲームのアップデートの影響なんかじゃなかったのだ。
だとしたら、彼女は、俺が失踪する前から疑っていたことになる。でも、こいつは、俺を疑い出したのは、俺が失踪した後だと言ったはずだ。
嘘をついたのか。
怒りが込み上げてくる。
「あんた……設定を変更したな……! いつからだ! いつから俺を疑っていた!!」
その声に答えたのは、伊丹だった。
「マスターはな、最後まで、お前を信じていたよ! 設定を変更したのも、お前が、黄色いトレンチコートの女に、万が一襲われた時に、少しでも早く助けに行けるようにと考えたからだ!」
心の中で、様々な感情がいっぺんに渦巻いて、何も言えなかった。
「自分を囮にして、お前を捕まえるという提案をしたのは彼女だ。だがな……彼女は、最後まで、自分の推理が外れている方に賭けていたよ。もちろん、その場合は真犯人に、お前の携帯も含めて捨てられる可能性もあった。その時は、俺たちは彼女の行方を追えないわけだから、彼女は殺されていた。それでも、彼女は、やるって言ったんだ。これ以上、お前に罪を犯させないためだ!」
身体中を稲妻のような衝撃が走る。
そんなの、俺より狂ってる……。
唖然として立ち尽くす俺を見て、伊丹はさらに言葉を続ける。
「それとな、彼女が無事である間は、三十分毎に定期連絡を入れる手筈になっていた。だから、お前に襲われた事には、すぐ気がついた。お前がこの山中の教団支部に到着した時点で、警官隊はこの建物を包囲できていたんだよ。つまりな、お前がこの部屋に入って、逮捕されるまでの間、俺たちはこの部屋の外で、全ての会話を聞いていたんだ。もちろん、録音もしているよ。分かるか? お前の"鬼になりたい"なんていう馬鹿げた思惑は、全て俺たちの知るところだ。お前は、鬼になんて成れねぇよ。ただの人間、殺人犯として裁かれるんだ……!」
鬼に成れない……?
いつか、城ヶ崎が藤堂に語った、霊魂についての話を思い出す。
−−生者の強い思いが霊魂をこの世に縛り付ける。
俺が殺してきた人々もまた、この世に縛り付けられ、怪異と成るのだろうか。
そうなった時、彼らは、俺を襲うのではないか?
俺は彼らから身を守る術を知らない。なぜなら、人間だからだ。
怖い。
そう自覚した瞬間、恐怖で息もできなくなる。
咄嗟に彼女を見る。
「詩織さん……助けて……」
自然と命乞いの言葉が口からついて出た。
彼女は、涙を流しながら、そっと、目を伏せた。
恐怖が体を、心を、支配する。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ! 嫌だ!! いやだ!!! 伊丹さん! 本当なんです! 俺の中に、鬼がいるんですよ!! ねえ! 刑事さん……信じて! 信じて……下さい……」
俺の悲痛な叫びは誰にも届かない。
その時だった。
ーりんー
鈴の音が、確かに耳元で聞こえた。
怪談殺し −了−
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