第42話 怪談殺し -祓え 六の幕-

「どこで気がつきました?」


 小林琢磨は鉄格子を開けて部屋に入ると、本当に愉快そうに、まるで、開店の準備中に雑談でもするかのように、軽やかな口調で聞いてきた。


「気がついたのは、山下さんとあなたが襲われた後よ」


 彼は、何かに納得したように、何度か頷く。


「あぁ、やっぱりあの人か。詩織さんの推理、聞かせてくださいよ」


 彼は大きく目を開いて、見つめてくる。その瞳には、一欠片の悪意も感じ取れなかった。


 狂ってる……そう思った。


 心の底から、軽蔑したし、嫌悪した。


 しかし、それ以上に、悲しかった。


 私は、彼が好きだった。


 もちろん、恋愛感情ではない。一人の人間として尊敬していたし、惹かれていたのだ。


 牛女の正体が彼だと気がついた時、とても信じられなかった。


 彼がこの部屋に現れるまでは、私は、彼のことをまだ、どこかで信じていたのだと思う。


 だから、彼が現れた時、私は、悲しかった。


 そして、それと同時に、何故こんなことをしたのかという疑問が生まれた。


 私は、それが知りたかった。


 だから、彼の話に付き合うことにした。


「黄色いトレンチコートの女は、目撃者を次々に襲う怪異としてデザインされていた。それなのに、花山さんの次は、目撃者ではない山下さんが襲われた……それがきっかけだったわ」


 彼は、何度も頷く。


「そうなんですよ! 彼女の次は、警護してた刑事さんの誰かに目撃してもらって、死んでもらうつもりだったんですけれど、事情があって、山下さんに急遽変更したんですよ。流石に気がつきましたか。その様子だと、なんで山下さんを殺したのかってことも分かってそうですね」

「ええ。貴方がいなくなった後、私は貴方が通ってた大学に行ったから」


 彼は、「あちゃー」と手を頭にやり、おどける。


「山下さんは、お守りを渡しに来てくれた日、貴方に試験範囲を教えると言ってたわよね? でも、彼は優しいけれど、不正を許すようなタイプじゃない。もしかしたら、他に目的があったんじゃないか、つまり、貴方と二人で話をしたかったんじゃないかって……」

「なるほど。続けてください」

「そもそも、学内で落としたお守りを店に届けるというのも、少し変だわ。だって、学内で落とし物をした人は、まず、落とし物を預かっているであろう、大学の総務課にでもいくのが普通だし、山下さんがそれを思い付かないはずがないのよ。だから、山下さんは、まず総務課に届けに行ったんじゃないか……そして、そこで、何か貴方にとって不都合なことを聞いたんじゃないかと思った。貴方が在学していないという事実とかね」

「……山下さん、かまかけてきてましたからねぇ、流石に動揺しましたよ。必修の担当教授まで把握してなかった俺のミスですけど」


 彼はそう言うと、ため息をつく。


「でも、それだけじゃ、犯人だって言い切れないですよね?」


 まるでクリスマスのプレゼントを前にした子供のようだ。彼は顔を綻ばせて、私ににじり寄る。


「ええ。でも、この怪異の出現場所である、Y寺児童遊園地、N神社、それから駐車場は、私がこの一年で出会った怪談に関係する場所だった。そして、貴方は、その怪談を全てを知っていた。貴方は雨女の怪談とは直接関わっていないけれど、常連客として来ていた時に話して聞かせたし、残る二つには、貴方は直接関わっていたもの。そこに、貴方が在学していないという事実と、それを知った山下さんが殺された事実を加味すれば、誰だって貴方を疑うわ」

「まぁ、ですよねー。でも、詩織さん。僕が犯人だとして、花山さんをどうやって殺したって言うんです? 沢山の警察に警護されていたって言うのに」


 彼は、手を大きく広げて、芝居が勝った口調で、詰め寄る。まるで、ゲームか何かを楽しんでいるようだ。


「毒殺、いえ、薬による殺人なら、直接現場に行かなくても可能よ。もちろん、詳細は分からないけれど、私は警察でも探偵でもないから、そんなことには興味ないわ」

「へぇ……薬殺ってことまで分かってるんですね。流石だ」


 彼は、今度は少し驚いた様子だった。


「花山さんはね、俺に惚れてた」


 そう彼は、続ける。


「夜行以外にね、カフェでもバイトしてるんですよ。そっちの方が長いかな」


 初耳だった。


「彼女は、そこの常連なんですよ。彼女、俺が勧めた裏メニューがお気に入りなんです。練乳入りのコーヒーです。相当入れ込んでるのか、俺がシフトに入っている時に来店しては、決まってそれを頼む。ほぼ毎週です。だから、警護中にも絶対に飲みたがると思ってました。そしたら、明らかに刑事って感じの人が練乳コーヒーを頼むじゃないですか。吹き出しそうになりましたよ。その注文をするのは花山さんだけなので、そのコーヒーに致死量の薬を混ぜればいい……」


 目的のためならば、好意を自分に持っている相手すら利用する彼の狂気に鳥肌が立つ。


「貴方、いったい、いつから……」


 そう聞くと、彼は二度、三度瞬きし、大きく手を振って答える。


「いやいや、彼女を殺すことを思いついたのは最近ですよ! 初めから殺すために裏メニューを教えたわけじゃないです。ただ、警護中の密室で人が死んだら、怖いだろうなって思いついたんですよ。その時に、目撃者を殺すっていう設定を思いついたんですよ」


 つまり、彼女に警護を付けさせるために、"目撃者が襲われる"というルールを作ったわけか。


「何故、犯行現場に私が行き逢った怪談に関係のある場所を選んだの? これがなければ、私は貴方を疑うことはなかったわ」


 彼は、まるで試すかのように笑う。


「それは、もう、分かっているんじゃないですか?」


 そう、分かっていた。


 私を恐怖させるためだ。


「私を怖がらせるためね?」

「そのとおりですよ。でも、まぁ、これを思いついたのは、花山さんにどこで黄色いトレンチコートの女を目撃してもらうか、考えていた時ですかね。彼女の帰宅ルートかつ、人通りの少ない場所……あの駐車場がベストでした。その時、これらの怪談の舞台となった場所に、怪異を出現させることを思いついたんですよ。それよりも……」


 彼は、一つの疑問を口にする。


「何で薬殺だと思ったんですか?」

「全て繋がっていたから」

「え?」

「私がこの一年間で行き逢った怪談が繋がっていたからよ」


 彼の顔から笑みが消える。


「私は、はっかく様と積み木遊びの怪談の結末が、怪談蒐集家として、気に食わなかった。あの結末は、出来過ぎよ。リアリティがない。つまり、フィクションなのよ。誰かが意図的に結末を書きかえたようだった。だから、黄色いトレンチコートの怪談も含めて、これは私に向けて作られた連作の怪談なんだと気がついた。そして、この一連の怪談で、唯一、はまってなかったのが……」

「赤いミサンガの連続自殺事件……か……」


 彼が私に代わってつぶやく。


「そう。だから、あの怪談も繋がっていると確信できたし、薬殺という手口も容易に想像できたのよ」

「流石に、そこまで看破されるとは思ってなかったです。本当に、想像以上ですよ。詩織さんの言うとおり、十年前の、久世の輪の集団自殺事件で使用されたものと同じ薬物を使ったんです。じゃあ、俺の正体についても?」


 私は小さく頷く。


「貴方の本当の名前は、薬師寺やくしじ 一道かずみち。久世の輪の教祖、薬師寺やくしじ 正道まさみちの一人息子ね」


 彼の目から、すっと光が消える。


 普段の彼からは想像もできないような、暗く、虚な目。おそらく、これが彼本来の姿だ。


「どうして……」


 低く抑揚のない機械のような声。


 どうして分かったのか−−そう聞きたいのだろう。


「藤堂が自殺した瞬間、薬神くすりがみと叫んだわ。あれは貴方を見て言ったのね。私は、十年前の集団自殺の様子を、ある週刊誌で読んだの。それには、貴方を中心にして、教祖も信者も倒れていたとあった……。私は、最初、黄金の杯こそ、この教団の信仰対象だと思っていた。でも、違ったのね。現人神あらひとがみなのね」


 痛いほどの沈黙が二人の間に流れる。


 彼は、無表情のまま、右手を前にだし、人差し指と中指を立ててる。何かの印を結ぶかのようだ。そして、中指を人差し指に絡ませる。まるで、人差し指という柱に蛇が巻きついているかのような形をしていた。


「これは、薬神をその身に宿した俺にしか結ぶことが許されていなかった呪印です。俺という魂に、薬神が巻き付いているのを表しています。そして、この意味は−−」


 迎えにきたぞ、共に逝こう


「流石に藤堂も、成長した俺には気がついていないようでした。だから、あの時、この印を貴女の肩口で結んだんですよ。本当に馬鹿な奴ですよ。こんなもので、死ぬのですから」


 彼は無感情のまま、言い放った。


 彼の目は、私を向いていても、私を見てはいなかった。その目は、どこか遠くの時空を覗いているようで、今、何を考えているのか、窺い知ることは出来なかった。


 私は、疑問を彼にぶつける事にした。


「なぜ、こんな恐ろしい事をしたの……」


 彼は、面食らったような顔をするが、すぐに何か納得したような顔になる。


 そして、私の目を見て、はっきり言った。


「怪談が怖いからですよ」


 鈴を転がすような、穢れのない声だった。

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