第41話 怪談殺し -祓え 五の幕-
夢を見ていた。
それは遠い昔、母に抱かれ、頭を撫でられていた、ある盆の記憶。
私は泣いていた。
その日、母から聞かされた、この家の生まれた女の宿命が恐ろしかったから。
母は優しく、美しい人だった。
叱られたことなど、ほとんどない。
遠い記憶の中の母はいつも、優しく、聡明で、静かだった。
その日、私が泣いた日。私は、何かを母に尋ねたのだ。何を尋ねたのか、覚えていない。しかし、その後、母に叱られたことを、なんとなく覚えている。いや、今考えれば、叱られたのではないのかも知れない。あれは、多分、母が酷く動揺して、感情を露わにしていただけなのだと思う。しかし、そんな様子の母を見たのが生まれて初めてだったから、叱られていると勘違いをしたのだ。その時、母が抱いていた感情が、なんだったのか、それも、もう、覚えていない。ひとつ、覚えているのは、その時母が発した言葉だ。
本物の悪霊は血に憑く
そして、その後、私の一族にまつわる、ある逃れられぬ宿命を聞かされたのだ。
この夢を見たのは、今日が初めてではない。
数年に一度見るのだ。
夢の始まりはいつも、恐ろしいという感情から始まる。その感情が形を得て、母の姿を得るのだ。そして、母は何か一族にまつわる話を聞かせてくれるのだ。そして、私は怖くて泣いてしまう。そんな私を母は優しく抱きとめ、頭を撫でてくれる。すると、恐怖がたちどころに消えていき、そして、目が覚める。目が覚めた私の心には、微かな郷愁の残り香だけがぼんやりと居座っている。そんな、夢だ。
だから--
私は、今回も、目を覚ました時、泣いていたが、それは恐怖からではなかった。
起きた後も、私は、母の残り香を聞きながら、しばらく茫然としていた。
その時、首に鋭い痛みが走る。
痛みにより、霞がかかったようだった意識が覚醒する。
私は椅子に後ろ手を縛られていた。
辺りを見渡す。
どうやら、ここは、五メートル四方ほどの空間で、窓はなく、壁も、床も、天井も、全てコンクリートで固められている。地下室のようだと思った。
天井に灯りはなく、四隅に置かれた間接照明により、部屋全体がぼんやりと明るくなっている。その照明をよく見ると、その光は不規則に揺らめいていて、それが蝋燭かランプの火であることに気がついた。
私は部屋のちょうど中央あたりに座っていた。
そして、目線の先には扉があった。いや、扉と言うよりも、鉄格子と言ったほうがいいかも知れない。その鉄製の格子は、大蛇のように太く、黒々と蝋燭の火に照らされて、光っていた。
その扉の向こうには、地上へと続くものなのだろう、やはりコンクリート製の階段が見える。
鉄格子は、この部屋が普通でないことを雄弁に語っているがしかし、この部屋において、最も異質な存在は、それではなかった。
床にはびっしりと幾何学的な模様が描かれていた。そして、それは同心円状に描かれており、私は、その円の中心に座らされていたのだ。
床に描かれた複雑怪奇な幾何学模様は、どす黒く変色していたが、本能的にそれが生物の血液で描かれていることを理解する。
その途端、私の眠っていた嗅覚が覚醒し、この部屋に充満する錆鉄の匂いを嗅ぎ取った。
本能的な嫌悪感が腹の底から込み上げ、私は、横を向いて嘔吐する。
胃液で焼かれた喉の痺れを和らげようと、肩で息をしながら、何度か唾液を嚥下するが、無駄だった。
その時、鉄格子の先、階段のさらに先から、扉が開くような音が聞こえた。
そして、階段を一歩ずつ降りてくる足音が続く。
私は、目の前の鉄格子を睨みつける。
鉄格子の奥、蝋燭の微かな光の中に、足が見えた。影のような黒い足だ。
徐々に正体が暴かれていく……そして、その影が鉄格子の前に来た時、顔が見えた。
嗤っていた。
私は、恐怖よりも、悲しみを覚えた。
何故なら、知っていたから。
既知の人間という意味ではない。
この者こそ、牛女の正体。そして、一連の怪談を作り上げた連続殺人犯であることを知っていたのだ。
「やっぱり、あなただったのね」
影は、意外そうな顔を一瞬見せる。
「へー……さすが詩織さん。気がついてたんですね」
小林 琢磨は、満足そうに、もう一度嗤った。
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