第40話 怪談殺し -祓え 四の幕-

 東京近郊K市

 それに隣接する市にある、都立公園のベンチで、城ヶ崎詩織は一人考えを巡らせていた。


 日も暮れ、あたりは闇に包まれている。


 休日ともなれば、家族連れで溢れかえるが、今は、夜。彼女以外の人間は、周囲にはおらず、昼間の明るく楽しい雰囲気とのギャップが凄まじく、まるで異界のようである。


 十二月の冷たい風がびゅうびゅうと木立を鳴らしているが、彼女は身震いひとつしない。


 頭脳は火花を散らすほど高速に回転しており、寒さや空腹を感じるといった、生物の生存機能を司る領域すら、思考に回しているのかと思われるほど、彼女は集中していたのだった。


 *

 伊丹さんは、上手くやってくれただろうか。


 玲子さんと真琴ちゃんとのご飯の約束もすっぽかし、その後、連絡もろくにできていない。きっと心配していることだろう。


 私は、二人に謝る機会はあるだろうか。


 もしかしたら、もう、ないかもしれない。


 私は、牛女に狙われているのだから。


 私は、この牛女が恐ろしい。この怪異に殺されることが怖いわけではない。この怪異の"意図"が恐ろしいのである。


 悪意と言ってもいいかもしれない。


 こいつは、確実に私を狙っている。しかも、本当の標的はおそらくだ。


 伊丹さんから三つの犯行現場を聞いた時、これらの土地は忌地であり、ここにになんらかの縁があった者が牛女に出逢うのだと考えた。


 しかし、多分、違う。


 初めから分かっていたのに、気がつかないふりをした。


 それを認めてしまうのが怖かったから。


 でも、もはや、疑いようがなかった。


 私に縁のある場所に牛女が現れるのだ。そして、場所だけでない。最近では、私の縁者が狙われている。


 この澱んだ因果の渦の中心は、私だ。


 そして、牛女は、だんだんと、渦の中心である私に向かって近づいてきているのだ。


 私が殺されるのはまだいい。それまでにあとどれだけの人間が殺されるのか……それを思うと、胸が張り裂けそうになる。


 私という存在を呪い、恐怖させるために、真綿で首を絞めるように、静かに、しかし確かに私を追い詰める、この牛女の正体が、恐ろしい。


 こいつは、行き逢うだけで死ぬ怪異なんかじゃない。


 私を苦しめる為に生まれた怪異だ。


 人に好かれるとまではいかなくとも、恨まれるような生き方はしていないと思っていた。


 しかし、それは間違っていたらしい。


 私は、自らの行いによって、これから、死ぬことになるのだろうか?


 そうだとしても、願わくば、次こそは、私の番であってほしい。もう、私以外の誰も傷ついてほしくないのだ。


 そのとき、ポケットの中の携帯が鳴った。伊丹さんからだった。


「はい。城ヶ崎です」

「マスター……」


 伊丹さんは、電話口でもわかるほど、憔悴しているのが分かる。


 一瞬の間ののち、伊丹さんは、ため息混じりで言葉を続けた。


「あんたの言ったとおりだったよ。今回の事件の被害者から、十年前の久世の輪の集団自殺事件に使用されたものと同じ薬物が検出された。それからな……N神社の首無し死体と、Y寺児童遊園地の婆さんからも同じ薬物が出たよ。駐車場で溺死した男は、すでに事故として処理されちまってたから、調べられなかったが、十中八九、同じものが出るだろうな。全部、あんたの推理どおりだよ」

「そう……ですか……」

「なぁ、マスター。あんた、本当に……」


 伊丹さんは、祈るような、そんな雰囲気で何かを言いかけるが、それを遮るように答える。


「はい。もう、決めました。それに、お話しする代わりに、お願いを聞いてくれるよう、頼んだはずです」

「それは、そうだが……」


 伊丹さんは、納得しきれないといった感じだったが、これ以上、議論するつもりはなかった。


「伊丹さん。後は、頼みました」そう言って、強引に電話を切った。


 しかし、首無し死体と、あのご婦人もか……想像していたとはいえ、やはりショックだった。


 私は、あのはっかく様と積み木遊びの結末があまり好きではなかった。


 片方は犯罪者であるが、尊い人命が失われたことには違いなく、その後味の悪さも好きではない理由に違いないのだが、それだけではない。


 気に食わないのだ。


 この二つの怪談は、いわゆる、どんでん返しのある怪談と言えよう。こういった怪談には、ある共通点がある。


 それは、十中八九、という点である。


 "現実は小説より奇なり"などという言葉があるが、あれは嘘だ。現実は、もっと、どうしようもなく、つまらない。あの、雨女の結末のように。


 だから、よく出来すぎた怪談の結末というのは、基本的には、何者かの、"もっと怖くしてやろう"という意図により作られたものがほとんどだ。つまり、後から付け足されたなのである。


 これら二つの怪談のエピローグは、誰かの創作物であり、そして、あの駐車場の溺死体も恐らくは、誰かの意図により作られたプロローグなのだろう。


 それだけではない。


 この事件は、久世の輪の集団自殺と同じ薬が用いられているという。それはすなわち、伊丹さん一家が巻き込まれた、連続自殺事件とも繋がっていることを意味する。


 あの怪談の結末も、藤堂が得体の知れない存在を幻視したすえの自殺という、なんとも作りものめいたものであった。


 もし、藤堂もこの黒幕に意図的に自殺させられたのだとしたら?


 だとしたら、私がこの一年で出会った全ての怪談--


 雨女

 はっかく様

 積み木遊び

 赤い糸の怪談

 牛女


 これらは、全て、一つの怪談と言えよう。


 そして、これらは、私を怖がらせるために、私の為だけに作られた怪談……


 なんと悍ましい狂気であろうか。


 私は、身震いした。


 思わず肩を抱き、俯むく。


 その、視線の先……


 あるものがひらりと目に入る。


 ゆっくりと顔を上げる。


 ああ、良かった。次はちゃんと私だった。


 そう思った次の瞬間、私は意識を失った。

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