怪談殺し

第37話 怪談殺し -祓え 一の幕-

「それじゃあ、その黄色いトレンチコートの女は、何もせず、そのまま逃げていったんですね?」

「そう……です。」


 取調室の小さな椅子に座るその女性は、疲労困憊といったようで、どこか投げやりな印象すら受ける声色だった。


 とても美しい人だった。


 涙で目元が赤くなり、悲しみに満ちた顔でうつむこうとも、瞳には、彼女の芯の強さが宿っていて、決して失われることのない輝きを感じた。


 ああ、この人は刑事に向いている。そう思った。


 捜査一課の向井という刑事は、さらに彼女に質問をする。


「その女の顔を見ましたか?」

「ええ……見ました」

「はっきりと見えましたか?」


 向井が確認したいのは、つまり、“顔があったか”であろう。しかし、そんな荒唐無稽な質問をすれば、こちらがおかしな人だと思われる可能性もあるわけで、遠回しな聞き方をしているわけだ。


「いえ、暗くて、はっきりとは……目と歯だけは見えました」


 向井はこちらを振り向くと頷いた。


 手元のノートパソコンで、“黄色いトレンチコートの女を目撃した。顔は暗くて確認出来なかったが、目と歯だけは見えた。他の目撃情報とも一致“と打ち込む。


「小坂さん。後は頼めますか? 私は、本部長に報告してきます。」と向井がこちらに声をかけてきた。


 小さく頷きながら、向井の肩越しに、女をちらりと見ると、目が合う。


 その人は、意外そうな、何かに驚いているような顔をしていた。


 向井が部屋を足早に出ていった。


 先ほどの彼女の反応が気になり、少し話を聞いてみることにする。


 彼女の前の、先ほどまで向井が座っていた椅子に座り、聴取内容を記録していたノートパソコンを開いたまま、机に置く。


 彼女はこちらをじっと見つめ、何かを言いたそうな顔をしていた。


「あの、何か他に話しておきたいことはありますか?」


 すると、一瞬迷うような素振りを見せるが、意を結したように「伊丹さんはいらっしゃいますか?」と聞いてきた。


 彼女の口から伊丹さんの名前が出るとは思っていなかったので、正直驚いた。


 何者だろうかと思い、先ほど打ち込んだ彼女の名前をちらりと見る。


 城ヶ崎じょうがさき 詩織しおり――


 どこかで……そのとき、伊丹さんがいっていたとんでもない美人のBARのマスターの話を思い出す。


「ああ! あのBARのマスターでしたか! 伊丹がよく話していましたよ。いや、噂通りの美人ですねぇ……」


 そういってから、これはセクハラに該当するのではないかと気がつき、慌てて非礼を詫びる。


「ああ、申し訳ありません。つい……」


 彼女は特に気にしていない様子だった。


 少し安心する。


「伊丹は本日、別件の捜査で出ておりまして、不在なんです」


 そう答える。


 彼女は、困ったような顔をする。


「何か、お伝えすることがあれば伺いますが……」


 そう提案するも、まだ言うべきかどうかを思案しているようだ。


 しばらく黙っていたが、彼女は、恐る恐るといった感じで口を開く。


「あの、山下さん、先ほどお話した、T大学の教授のかたは、どうなったのでしょうか。」


 なるほど、それが聞きたかったのか。


 証言によれば、彼女の店の従業員である小林こばやし 琢磨たくまが、山下という大学教授の研究室を尋ねたところ、例の女に襲われているところを目撃したと電話口で話していたらしい。


 彼女は、その顛末が知りたいのであろう。


 彼女の通報を受けて、そちらにも警官は急行していた。そして、心停止状態の山下教授が発見され、救急搬送先の病院で死亡が確認されたのであった。


 これ以上、彼女に心労をかけることに心が痛んだが、隠しても、いずれわかることである。正直に話すことにする。


「残念ながら、警官が到着した時点で、山下さんは、亡くなっていました。」


「そうですか……」


 覚悟はしていたのだろうが、やはりショックを隠しきれないようだ。

 

 彼女は、小さくつぶやき、きつく口を結んだ。


「小林くんは、我々、警察の威信にかけて、必ず探し出します」


 少しでも彼女を安心させようと、声をかけるが、彼の少し前に失踪した男子高校生の行方もまだ掴めておらず、はっきり言って、生存は絶望的であった。


 彼女もそれを分かっているのか、黙ったまま、何も答えなかった。


 これ以上、引き留めても仕方がない。


「もちろん、あなたにも警護を数名つけますので、安心してください」


 花山さんを囮にした作戦が失敗した捜査本部は、方針転換し、今後、目撃者が現れても、数名の警官をつけるのみとし、大々的な警護はしないことになっていた。


 もちろん、自分は反発し、本部長に噛み付いたのだが、捜査員の数は有限だと一喝され、引き下がるしか無かった。


 彼女も命を狙われるかもしれない、そう思うと、心が締め付けられるように痛んだ。


 自分は、市民を守るために刑事になったのだ。


 しかし、命令を無視することも出来なかった。


 彼女を見送るために、立ちあがろうとしたときだった。


 彼女が口を開いた。


「ひとつ気になることがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「もちろんです。なんでしょう」

「なぜ、小林くんは“失踪“したのでしょうか」


 質問の意図がわからなかった。


「どういうことでしょう?」

「この事件、“死体となって発見される場合”と“失踪する場合”が混在しています。確か、高校生の男の子も行方が分かっていないのですよね?」


 確かにそのとおりである。


 彼女の証言からするに、この小林という青年は、あの公園で襲われたと考えられる。しかし、死体は無かった。


 死体を担いで移動すれば、当然目立つはずで、犯人にとって、メリットがない。死体をその場に捨てて逃げた方が安全である。


 もちろん、死体を見つからない場所に遺棄するために持ち去ったとも考えられるが、他の被害者の死体はすでに発見されているわけで、今更、リスクを冒してまで、死体を隠す必要は無いように思われる。


 彼女は続ける。


「私、少し考えたのですけれど、小林くんは、黄色いトレンチコートの女の顔は見ていない、姿と言っていました。失踪した高校生も、報道では、恋人が先に現場に到着していたと言っていました。もしかしたら、彼も女の顔を直接見ていないのではないのでしょうか」


 はっとする。


 顔を見たものは死に、姿のみを見たものは忽然と消える……確かに、そんな法則性があるのかもしれない。


「な、なるほど。しかし、そうなると……」


 あなたは、死体となって発見されることになる、そう続けることは出来なかった。


「私は、死体となって発見されるでしょうね」


 霧の中から響くような、それでいてはっきりと聞こえるような不思議な声色だった。

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