第33話 牛女 -終 三の幕-
「それでは捜査会議を始める」
飯塚の鶴の一声で会議が始まる。
「それでは、長岡くん。お願いします」
そう、飯塚に声をかけられた長岡は起立し、会議の進行を引き継ぐ。
「えー。本日から、捜査員を増員することになりました。簡単にですが、手元の資料に沿って、本件の状況を説明します」
隣の小坂は熱心に資料に目を通している。
我々は、この件に最初から参加しているのだから、確認する必要はないと思うのだが。
「まず、事件の始まりは、十二月十日の午後二十三時頃、Y寺児童遊園地にて、二人の大学生、
長岡は淀みなく発言する。
資料は二頁目に突入したのか、会議室には紙を捲る音が響く。
「事件に進展が見られたのは、十二月十四日。事件の目撃者である、佐藤さんが、N神社で遺体となって発見されました。死亡推定時刻は、二十一時から二十一時三十分の間です。死因は一件目と同様、心臓麻痺です。目撃者は二人の高校生の
長岡が着席する。
資料の最終頁にある女の似顔絵を確認する。髪の長い女だ。しかし、顔があるべきところが黒く塗りつぶされている。ただし、二つの目だけは、はっきりと描かれていた。
「まるで、化け物だな」
つい思ったことを口走ってしまった。
隣の小坂がそれに反応し、「確かに。なんだか、お化けみたいですよね」と茶化すが、無視を決め込んだ。
飯塚が立ち上がり、声を上げる。
「今、説明があったとおり、死因こそ特定されていないが、本件は連続殺人事件の可能性が高い。そして、殺された二人の大学生と女子高校生には何の接点も無かったことから、通り魔的犯行、おそらく、事件を目撃したものを次々と襲っていると思われる。となれば、最後の事件の目撃者である、花山 冬子が次の標的となる可能性が極めて高い! 警察の威信にかけて守り抜き、そして、絶対に犯人を逮捕するぞ!!」
飯塚の檄により、会議室内の捜査員は微かに色めき立つ。
「では、分担を発表する。本日から合流した捜査一課の捜査員は、失踪中の河野 良平の捜索にあたれ。それ以外の一課捜査員は、引き続き、この女の行方を追うと共に、一部の者は、花山 冬子の自宅周辺で不審人物がいないか巡回。自分がどちらの担当なのかは、二つ目の資料の警護計画を確認すること。所轄は、二十四時間体制で、花山の身辺警護にあたれ!」
隣の小坂が不満を口にする。
「俺たち所轄は寝ないで雑務ってことかよ」
そんな小坂を小声で嗜める。
「対象者の身の安全を確保するのも、大事な仕事だ。」
「まあ、そうですけど……」
小坂は、犯人逮捕や人命救助に直接繋がる仕事がしたいのだろう。その気持ちは、分からないわけではない。自分も同じような感情を以前は持ち合わせていた。
「何か、質問がある者!」
飯塚が捜査会議を閉めるべく、全体に呼びかける。
警護計画の資料をパラパラとめくっていた小坂が手を上げて発言する。
「ちょっといいですか?」
飯塚は、眉を吊り上げると、低い声で、「なんだ」と聞き返す。
「なんで、対象を家に帰すんですか?この警察署内で警護した方が安全では?」
飯塚は、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「所轄は、文句言わずに黙って従え」
「しかし……」と食い下がろうとする小坂の袖を引っ張り、座らせる。
「何ですか。伊丹さん!」
小坂は、避難がましい目で見てきた。
静かに、低い声で、小坂を叱る。
「ちょっと、黙っとけ」
飯塚は、そんなやりとりを見届けると、会議の閉会を宣言した。
捜査員が一斉に立ち上がる中、小坂が文句を垂れる。
「何で、止めたんですか? 俺、間違ったこと言ってます?」
「いや、間違ってない。間違ってはいないが……」
「だったら、何でですか!」
「あのな、この花山という女はな、囮なんだよ。もちろん、そんなこと、捜査会議で言えるわけないがな」
小坂は、はっとした顔をすると、「そんなことしていいんですか」と眉を顰める。
「気持ちはわかるが、上の命令に従うことも仕事だ」
これ以上の問答をするつもりはなかったため、「いくぞ」と声をかけ席を立ち上がる。
小坂も立ち上がり、背後から、「了解です。警護班班長殿」と声をかけてきた。その声には、揶揄いのニュアンスが含まれていた。
「なに!?」
「伊丹さん、資料見てないんですか? 警護の現場責任者ですよ?」
手持ちの資料を急いで確認する。
小坂の言うとおりだった。
「くそっ!」
悪態をつく。
「まぁ、これも仕事ですから」
愉快そうに小林はそう言うと、俺の肩を叩いて颯爽と会議室を出て行ったのだった。
*
花山の身辺警護が開始されてから、丸二日。特に事件に進展はなかったし、花山の周りで不審な動きをする者も居なかった。
現在の時刻は、午後十八時を回ったところだ。
すでに、辺りは暗かった。
仮眠明けの眠たい体を叩き起こすために、車から出て、身を切るような寒さに体を浸す。
師走の冷たい風が首をなぞり、思わず肩をすくめる。
おかげで目は覚めた。
コートの前をかき合わせて、小坂と交代するためにマンションへと向かう。
マンションは三階建てで、それほどの大きさはないが、きちんと、オートロックのエントランスがついており、女性の一人暮らしにも適した造りだ。
そのため、守るべき箇所はそう多くなく、五人いれば、ほぼ完全に安全を確保できた。
エントランスを警護している同僚に声をかけてから、中に入り、対象が住んでいる302号室を目指す。
エレベーターを降りて廊下に出ると、小坂が声をかけてきた。
「あ、伊丹さん。お疲れ様です」
「お疲れ。様子は?」
「特に変わったことは、何も」
「そうか。それじゃ、交代するから、飯でも行ってこい」
「いや、ちょっと、買い物に行ってきます」
不思議に思い、目的を聞く。
「何を買いに行くんだ?」
「いや、花山さんに頼まれちゃって。近くに行きつけのカフェがあるらしいんですが、そこのサンドイッチを夕飯に食べたいとか」
小坂は少し嬉しそうだった。
大方、美女に頼られたのが嬉しかったのだろう。ため息混じりで嗜める。
「あのなぁ、俺たちは、パシリじゃないんだぞ」
「分かってますって。でも、もう、丸二日も家に閉じ込められて可哀想じゃないですか。あ、そうだ。ついでに伊丹さんの夕飯も買ってきますよ。何がいいですか?」
小坂に俺の言葉は、全く響かなかったらしい。暖簾に腕押しとはまさにこのことである。
「何でもいいよ。早く、行け」
諦めて、小坂を送り出した。
楽しそうに駆けていく相棒の背中を見ながら、大きなため息をついた。
小坂は三十分ほどで戻ってくると、そのカフェで買ったらしい、サンドイッチとホットコーヒーを渡してきた。お礼を言ってお代を払う。
小坂は、チャイムを鳴らした。
「はい」
マイクから可愛らしい声が響く。
「あ、小坂です。あの、買ってきました」
「ありがとうございます。今開けますね」
そう、花山は答えると、十秒ほどで鍵の開く音がして、ドアが開く。
そこには、花山が小さな紙袋を持って立っていた。
「これ、どうぞ」
小坂が紙袋を手渡すと、彼女はお礼を言って、財布から金を取り出そうとする。それを小坂が制した。
「いやいや、良いですよ。これは、俺からの奢りってことで」
彼女は困惑した表情を浮かべ、「でも……」とつぶやく。
小坂は「本当にいいですから!」と大きく手を振った。
彼女は根負けしたようで、「ありがとうございます」と言って財布をしまった。
後で説教だな、と心に決める。
彼女は、持っていた小さな紙袋から、何やらラッピングされた袋を取り出すと、「あの、これ……」といって、俺と小坂にひとつずつ手渡してきた。
その袋にはクッキーが入っていた。
「ほんのお礼です。よかったら食べてください」
お礼を言ってありがたくいただく。小坂は、随分と嬉しそうだった。
「あの、次の交代の時間は……?」
花山がおずおずと聞いてくる。
「次は、九時半です」と答える。おそらく、クッキーを次の担当刑事にも渡したいのだろう。
「私から、担当の者に渡しましょうか?」
そう提案すると、彼女は少し悩んでいたようだったが、「いえ、私から渡しますから大丈夫です」と言った。
「分かりました。では、警護を続けますので、安心してお過ごしください」
そう言うと、彼女はお礼を言って、部屋へと戻っていった。
その後、交代までの三時間、特に何も起きなかった。
翌日の朝六時、俺と小坂は交代のため、玄関前に立っていた。
小坂は別の箇所が担当であったか、なぜかついて来た。どうせ、朝一番で彼女の顔を見てから仕事にかかろうという魂胆なのだろう。
同僚は眠そうな目をしていた。
小坂が声をかける。
「お疲れさまです! そうだ、谷口さん、クッキーもらいました?」
そう問われた谷口は、不思議そうな顔をする。
「いや、こいつが交代したのは、夜中の三時だろ。流石に花山さんも寝てただろうよ。こいつ、昨日花山さんからクッキーもらって自慢したいだけなんだよ」
そう言いながら小坂を小突く。
すると小坂は反論する。
「いやいや、伊丹さん。何言ってるんですか。谷口さんは、伊丹さんの後、九時半から十二時も玄関前の警備でしたよ。現場責任者なんだから、しっかりしてくださいよ」
そう言われて、確かに、あの後ここの警備を引き継いだのは谷口だったことを思い出す。
「そうだったな。疲れてんのかな……」
連日の警護で確かに、疲れてはいた。
「で? 昨日の夜、もらったでしょ? クッキー。いやー、嬉しいもんですよねー」
小坂が谷口に話しかける。
「いや、自分はもらってないですね……。昨晩、対象はこの玄関を開けてないです」
谷口は困惑していた。
「え?おかしいなー。昨日、花山さん、次の交代の人にもあげるって言ってたのに……」
小坂が疑問を口にする。
何か、胸騒ぎがした。
谷口を腕で押して玄関前から退かし、チャイムを鳴らす。
何度か鳴らすが応答はない。
この時間、いつもなら彼女は起きている。
朝は、念のため面着にて無事を確認していた。
扉を叩き、彼女の名を呼ぶ。
やはり、応答はなかった。
「小坂! 鍵借りてこい!」
そう大声で指示する。
小坂は近くに住む大家の元へと駆けていった。
まさか……いや、あり得ない。昨晩、不審な事は何も発生していない。もちろんこの部屋に出入りは無かったはずだ。
小坂は十分ほどで戻ってきた。
その間も、ずっと扉を叩いて名前を呼ぶがやはり反応はなかった。
小坂から受け取った鍵を鍵穴に差し込み回す。カチリという音がして鍵が開く。
「花山さん、入りますよ!」と声をかけてからドアを開け、部屋へと入る。
玄関から伸びる廊下の奥に、リビングへと通じる扉が見えた。
靴を脱いで上がる。廊下はひっそりと静まり返っていた。
リビングに通じる扉のドアノブをつかむ。その瞬間、猛烈な寒気に襲われた。俺は、この感覚を知っている。こういう扉の向こうには……
不吉な予想を頭から締め出し、扉を開ける。
リビングには小さなローテーブルが置いてあった。そのローテーブルの近く、頭をリビングの入り口へ向けた状態で仰向けに倒れている彼女を発見する。
彼女は、目を見開き、口から舌を出して、苦悶の表情を浮かべ、死んでいた。
後からついてきた小坂が、震えた声でつぶやく。
「そんな……これじゃまるで、本当に化け物の仕業じゃないですか……」
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