第27話 幸せの赤い糸 -解 五の幕-
今日は、お客さんは少なめだったなと、本日の営業を振り返る。
日曜日の夜は次の日が週初めということもあり、元より集客が望めない。そのため、日曜日は通常よりも早めの十二時に閉店することにしている。そして、月曜日は定休日である。
明日は、休みということもあり、今日は早めに就寝し、明日の午前中から調査を再開するつもりだった。
大方、店じまいの作業が完了し、キッチンの跡片付けを担当していた小林君も作業が完了したようで、着替えて帰宅しようかと話していた時である。
BARの扉が開いて、誰かが入店してきた。
看板をCLOSEにするのを忘れていたのかと一瞬考えたが、入ってきた人物を見たとき、BARに用事があるわけではないとすぐに理解した。
「伊丹さん……どうしたんですか?」
入ってきたのは、ひどく狼狽した、伊丹さんだった。
「店じまい中、申し訳ない。少し助けてください……!」
息も絶え絶えである。きっと走ってきたのだろう。
とりあえず、落ち着いてもらうため、カウンターの椅子に座ってもらう。グラスにミネラルウォーターを注ぎ、伊丹さんの前に置くと、彼は、「ありがとう」と礼を述べるとその水を一気に飲み干した。
彼が少し落ち着き、話出すのを静かに待つ。小林君も私の隣で固唾をのんで立ち尽くしている。
「娘が……春香が、あの赤いミサンガをしているんです!」
彼は、絞り出すようにそう言った。
私は、反射的に”危ない”と思った。
「娘さんは今どこですか?」
「それが、でっかい荷物担いで、タクシーでどこかに! 行先は分からないんです。あいつ、まさか、とんでもないことを考えているんじゃ……。もしもの事があったら……。」
伊丹さんは震えていた。
震えた手で頭を抱えながら続ける。
「この事件は、明らかな自殺だから警察は動いていない。俺が赤いミサンガのことを説明したところで、捜査なんてしてくれやしない。それは刑事である俺が一番分かってるんです。でも、とても偶然だとは思えない。この手帳にかけてもいい。この事件には黒幕が絶対にいる」
そういって、彼は警察手帳をカウンターにたたきつける。
伊丹さんの目には、怒りの感情のようなものが見て取れた。
長年の刑事の勘がかぎ分けた犯罪の匂い。そしてその犯罪に実の娘が巻き込まれているのにも関わらず、刑事として何もできない自分の無力さへの怒りなのだろう。
「俺は、もう、何もできない……。もう、城ヶ崎さんに頼るしか思いつかなかったんです……。」
彼は、消え入りそうな声でつぶやくと、全身の力が脱力したようにうなだれる。
「伊丹さん。あなたには、刑事としてできることはなくとも、まだできることがあります」
彼は顔を上げると、何かを期待するように私を見つめて言う。
「それは、何ですか。俺から刑事という肩書をとったら、何も残りません」
「いいえ、それは違います。あなたは、春香さんの父親なのです」
彼は目を丸くする。
「父親……」
「そうです。この事件、黒幕がいようと、自殺なのです。自ら命を絶っているのです。心身が健康な人を自殺に追いやることなど、不可能です。事実、電車に飛び込み、心中した二人の女子高生は、深い絶望の中にいました。この黒幕は、そういった絶望の中にいる者を見出し、そして、自殺へと導いているのです。ならば、娘さんもまた、深い絶望の中にいると思われます。そして、それを本当の意味で救えるのは、父親である伊丹さんだけなのです」
彼の目から、大粒の涙があふれだす。
「そうか、そうだよなぁ。ずっと、様子がおかしかったもんなぁ。なんで今まで放っておいたんだろうなぁ。俺はバカだ」
「まだ、間に合います」
私は、力強く言い切る。
事実、まだ、生きていると思う。本当に自殺するために、自宅を出たのだとすれば、外泊用と思われる”でっかい荷物”は持っていかないと考えられる。
しかし、予断を許さない状況であることは確かだ。
この事件の黒幕の毒牙はすでに近づいている、いや、むしろすでに毒に侵されている可能性が高い。自死に至る遅効毒に。
「伊丹さん。情報を共有しましょう。私も少し調べてみました。もしかしたら、何か分かるかもしれません。小林君の後輩から聞いた内容を教えてください」
多少落ち着きを取り戻したのか、姿勢を正して、伊丹さんが語りだす。
「そうですね。ええと、確か……その子の話では、失踪したバイト先の先輩、
「カウンセラーですか……」
「そして、その頃から、あのミサンガをつけ始めたといっていました」
「もしかしたら、そのカウンセラーというのが、黒幕なのでしょうか?」
「私もなんとなく、そんな気がしています。ただ、確証がない」
確かに、それだけの情報だけでは決定的とは言えない。
「例の、自殺した女性が閲覧していたという、例のサイトについては? たしか、ひだまり保健室とかいう名前の……」
「それについては、何も知らないようでした」
あのサイトには悩みを抱えた多くの人が訪れる。自殺に追い込むターゲットを見つけるには絶好の狩場だと思う。関係がないとは思えなかった。
「そういえば、
小林君が補足する。
宗教の勧誘だって?
あの
「確かに、そう言っていましたね」
伊丹さんが、小林君の発言を肯定する。
「そうですか…。ここまでの情報で、伊丹さんにはこの事件がどう見ていますか?」
私には、とある仮説が浮かんでいた。おそらく、伊丹さんも同じことを考えている気がする。
「そうですね……。やはり、カウンセラーが怪しいと思います。そいつは、あのサイトのような、悩みを持つ者が集まる掲示板やSNSを徘徊して、ターゲットを見つけては、カウンセラーと称して近づき、何らかの方法でそのものを自殺に導く……。しかし、何一つ証拠はないし、そのカウンセラーの正体も全く分かりません」
やはり、私の仮説とほぼ、同じであった。
ここに、私の調べた事実が加わると、ある真相が見えてくるような気がした。
私は、自分の調べた内容をかいつまんで話す。
十年前、久世の輪という教団の教祖と信者、合わせて二十七名が死亡した服毒による集団自殺事件があったこと。
その教団は、クスシヘビという蛇を信仰の対象としていたこと。
クスシヘビは、ギリシャ神話の医療の神がもつ杖にもあしらわれており、”蛇”は、”医療”、すなわち”生と死”に深いかかわりがあること。
そして、太古より、”生と死”を司る象徴として、“ウロボロス”という自分の尾を噛む輪になった蛇の紋章が用いられてきたこと。
そして、この“ウロボロス”は、”メビウスの輪”と同一視されることがあり、時として、”メビウスの輪”は”蛇”を象徴すること。
赤いミサンガの形状は、まさにこの”メビウスの輪”であること。
つまり--
「今回の連続自殺事件と十年前の集団自殺事件は、”蛇”というキーワードでつながっているのです」
伊丹さんと小林君は静かに聞いていた。
「興味深い話ですね。確かに符合する点もあるように感じますが、こじつけのような気もします」
伊丹さんが、申し訳なさそうに、率直な意見を述べる。
「そのとおりです。これらの事件をつなぐのは、”蛇”というキーワードだけです」
「それに、その集団自殺事件と今回の連続自殺事件に直接的な繋がりがあるようには思えないのですが。すでにその久世の輪とかいう教団はないのでしょう?信者も、教祖すら死んでしまったのですから」
「確かに、教団はもう存在していません。しかし、この集団自殺事件には、生き残りが一人だけいます」
「なんですって!?」
「教団のナンバースリーだった、
「城ヶ崎さん。あなたまさか…」
伊丹さんは、何かを悟ったようだ。
「そうです。この、藤堂こそ、この事件の黒幕、謎のカウンセラーなのではないかと私は直感しています」
伊丹さんは、刑事の顔になり、鋭い眼光が灯る。
「確かに、その藤堂という女が、教団の意志、この場合は教義というのでしょうが、それを引き継いで、今もどこかで活動していて、自殺した彼女たちは、みな、その信徒だった……という説は、突拍子もないが、しかし、筋は通っている。ずっと、黒幕の動機が分からなかったのですが、教団の教義に従っているというのであれば、一応は納得できます。しかし……」
彼は、ひどくもどかしいような、残念そうな顔で続ける。
「その藤堂が黒幕だったとしても、その活動拠点は不明です。娘の居場所は分からずじまいだ」
そのとおりであった。
連続自殺事件は、K市を中心に発生しているため、活動の拠点は、K市内にあると考えてもよさそうだが、それ以上のことは分からない。
もし、そのカウンセラーに連絡が取れるのであれば、接触できる可能性があるが、連絡先も不明である。
あの、ひだまり保健室というサイトで、自殺した女性と接触していたのだろうが、実名を使って信者を勧誘しているとは思えないし、自殺した女性のチャット上のハンドルネームすら不明であり、接触の痕跡をたどるのはほぼ不可能と思われた。
何か、何かないその黒幕につながる情報はないか。
その時、ずっと黙っていた小林君が口を開いた。
「そういえば、なんで十年前の集団自殺事件のとき、彼らは”服毒自殺”を選んだんでしょうかね?」
「え?」
思わず、聞き返す。
そこになんの疑問も抱いてはいなかった。
「だって、毒なんてそうそう手に入らないでしょうし、集団自殺なら、練炭とかの方が一般的じゃないですかね?」
確かに、そうであるが、教祖は元医者である。自殺の方法として服毒を選ぶのは、おかしくない気がした。
しかし、二人に話すときにはこの情報を省いたことを思い出す。
「実はね、さっきは言ってなかったけれど、この教祖の男は、元医者なのよ。だから、毒を入手できたとしても不思議じゃないわ。薬は毒にもなりえるわけだし」
自分の言葉を脳内で反芻する。
”毒を入手できたとしても不思議じゃない”
そう、不思議じゃないだけなのだ。いくら元医者といえども、二十人以上を死に至らせるほどの毒物を手に入れるのは難しいはずだ。練炭自殺の方がはるかに準備も簡単だし、準備段階で誰かに感づかれる可能性も少ない。
もしかしたら、服毒でなくてはならない理由が何かあったのかもしれない。
それに--
“薬は毒にもなりえる”という自分の言葉が、魚の骨を喉に引っ掛けたときのように、妙に引っかかる。
なぜ、古来より蛇が医療の象徴とされてきたのか。それは、蛇の毒が薬にも用いられたからである。毒は薬にもなりえるのだ。
それに気が付いた瞬間、頭の中でスパークが起こり、ばらばらに散らばっていた要素が数珠のようにつながっていく。
ギリシャ神話の医療の神”アスクレーピオスの杖”に代表されるように、蛇は古来より、医療の象徴である。そして、ギリシャ神話には、医療を司る神がアスクレーピオスのほかに、もう一柱いるのだ。かの医神アスクレーピオスの娘であり、薬学の神。
その名は、ヒュギエイア。
そして、この女神は、父と同様ヤクシヘビを従えており、その手には薬を入れる杯を携えている。そう、この女神のシンボルは、”蛇の巻き付いた、黄金色の杯”なのである。
とある週刊誌にはこう書かれていた。
”教祖および信者たちは、蛇が刻印された黄金に輝く大きな杯に毒を入れ、それを回し飲み、服毒自殺を図ったのだ。まるで、何かの儀式のごとく…”
つまり、この教団の真の信仰対象は、”薬神 ヒュギエイア”、そして御神体は、”ヒュギエイアの杯”なのだ。
だからこそ、彼らは、服毒自殺、いや、服薬自殺を図ったのだ!
このヒュギエイアの杯は、アスクレーピオスの杖と同様、世界中の医療組織のシンボルとして使用されている。それだけでなく、英語で”衛生”を意味する、”hygiene"の語源ともなっている。
hygiene……ハイジーン……どこかで聞いたような…
「小林君、ひだまり保健室の管理人の名前って、何だったかしら……。なんだか、面白いって言ってたわよね?」
「え?ああ。俳人ですよ。ハイジン」
繋がった。
私は、大きく手をたたくと、叫んだ。
「このサイトの管理人こそ、今回の事件の黒幕か!!」
二人は、目を大きく見開き、驚く。
「城ヶ崎さん、それは一体、どういうことですか?」
伊丹さんは、静かに興奮しているようだった。
私の考えを伝える。私も興奮しているのか、つい早口になる。
すべて聞き終わった伊丹さんは、愕然とした表情で、「なんてことだ。本当につながってしまった……」とつぶやいた。小林君は、なんだか誇らしげな顔をしていた。
「それで、どうしますか?」
小林君が私たちに問いかけてくる。
「そうね。とりあえず、この管理人にメールをしましょう。おそらく藤堂は、信者を増やしたいはず。だから、相談を聞いてほしいという信者候補は無下にしないはずだわ。うまくいけば、接触できる可能性がある」
「でも、詩織さん、さすがに突然メールしたら怪しまれるんじゃないでしょうか?」
それもそうである。何かいい手はないか……
何か思いついたのか、伊丹さんが興奮気味に口を開く。
「あの、失踪したという、山口 明菜に紹介されたと言えばどうだ?彼女は生前、カウンセラーを紹介すると周りに漏らしていたわけですから、もしかしたら信者拡大の命を受けていたかもしれません」
「確かに、そのとおりですね。それで行きましょう。私がメールします」
そういって、私は、携帯電話を取り出し、手早くメールをしたためる。
伊丹さんも小林君も何か言いたげだったが、黙って私を見つめていた。おそらく、危険な相手に連絡することについて心配してくれているのだろう。
メールを送信する前に、山口さんの名前の綴りがあっているかを、伊丹さんに確認する。伊丹さんは、無言でうなずいた。
メールの送信ボタンを押下し、二人にその旨を伝えると、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
時刻は夜中の一時半を回っていた。
「とりあえず、今日は遅いですし、連絡は来ないと思います。娘さんは宿泊用の荷物を持って出かけたということなので、おそらく、今夜、事に及ぶという可能性はまずないと考えます。明日の朝また集合するというのはどうでしょう」
そう提案すると、伊丹さんは少し安心したように、「そうですね」と答えた。
今日一日で、十年は年を取ったかように、やつれ、疲れた顔をしていた。
伊丹さんは、一度かえって、しっかり休むべきだと思った。
彼が、礼を述べて店から出ようとした時だった。
私の携帯電話が鳴る。
急いで画面を見ると、俳人からの返信だった。
伊丹さんを大声で呼び止める。
「待ってください! 返信がありました!」
三人で額を合わせて、メールを確認する。
そこには、すぐにでも話を聞かせてほしい旨が、丁寧な文面でつづられていた。
そして、来週の都合の良い時間に来院してほしいとあり、メールの最後に、住所が記載されていた。
住所は、どうやら西K駅周辺のマンションのようだ。
これからどうするか相談するために、口を開こうとしたとき、小林君があっと大声を上げる。
「小林君、どうしたの?」
彼は、顔面蒼白で微かに震えていた。
「ここの住所、僕の家の隣の部屋です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます