第25話 幸せの赤い糸 -解 三の幕-

 緊張でのどが渇き、目の前のアイスティーに口をつける。喉の渇きが一瞬癒えるが、やっぱりすぐに渇いてしまう。


 この緊張は、あこがれの小林先輩と二人きりでカフェにいるからということだけではない。これから、刑事に会うというシチュエーションに緊張していた。


 街中で見かける制服を着た警官というのは見たことはあるし、存在も実感できるが、刑事などという人種は、TVドラマの中でしか見たことがない。


 正直、どのように対応したらいいのかわからない。


 そんな、緊張している私に気が付いたのか、先輩が優しく声をかけてくれた。


萌香もえかちゃん、なんか緊張してる?」

「はい……」


 正直に答え、またアイスティーを一口飲む。


 こんなに飲んでいたら、途中でお手洗いに行きたくなってしまう気がして、それもまた新たな不安要素として心にずっしりのしかかる。


「大丈夫だよ!伊丹さん、すごい気さくな人だし、実はゲームとかも好きらしくてさ、なんとイレ・レイもやってるんだよ。すごいレベル高くてさ。俺びっくりしちゃった。萌香ちゃんもフレンド登録してもらったらいいよ!」


 イレ・レイ…、小林先輩との共通の話題が欲しくて始めた携帯ゲーム。でも、正直何が面白いのか分からなくて、ほとんどやっていなかった。


 私は、取り繕うように笑う。その笑いが引きつっていることに気が付き、さらに焦りと緊張で喉の奥が張り付く。


 その時、先輩がカフェの入り口あたりに向かって手を振りながら声をかける。


「あ! 伊丹さん! こっちです!!」


 私もその方を見る。


 入口付近には、スーツ姿の男の人が立っていた。年齢はうちのお父さんと同じくらいで、五十代だと思う。思ったよりも、優しそうな顔をしていて、少し安心する。


 伊丹と呼ばれた刑事さんは、こちらに気が付いたようで、近づいてきた。


 反射的に椅子から立ち上がり、姿勢を正す。


「すみません。お忙しいところ」


 そう、目の前の刑事さんにお辞儀をしながら言うと、彼は驚いたように目を丸くし、そして、「ははは」と笑い出した。


 何か、おかしなことを言ったのだろうか。とても恥ずかしくなり、思わずうつむいてしまう。


「いやいや、失礼。お嬢さん、それは、こちらのセリフですよ。では、改めて。刑事の伊丹といいます。今日は時間をいただきありがとうございます」


 そういいながら刑事さんは優しく微笑みかけてくれた。


 確かに、用があるのは、刑事さんの方だった。私はさらに恥ずかしくなる。


「では、何か飲み物を……」


 そういって、刑事さんは、机の上に置かれている私のアイスティーと、先輩のブラックコーヒーをチラリと見やると、「すでに飲まれていましたか。今日はお礼と言っては何ですが、ごちそうしようと思ったのですが……。どうでしょう? おかわりはいかがです?なんでもおごりますよ」と言った。


 どうしてよいか分からず、思わず先輩の方を見る。


 すると先輩は、小さくうなずくと、「え! なんでも良いんですか! じゃあ、あの期間限定のモンブラン・フラペチーノにしようかな。萌香ちゃんも、それが気になってるって言ってたよね? それにする?」と助け船を出してくれた。


 私は、申し訳なさそうに小さくうなずく。

 頷いてから、おごってもらうのはとても失礼なことのような気がして、「でも、悪いですから……」と断ろうとした。


 しかし、その言葉は届くことなく、「あの、看板に乗ってるメニューね。分かった。ちょっと買ってきますから、待っててください」と刑事さんは言うと、レジへと向かっていった。


 しばらくすると、とても大きなモンブラン・フラペチーノの二つとホットコーヒーをもって戻ってきた。


「伊丹さん……でかいの買いましたね。」

「いや、サイズ感が分からなくて、とりあえず一番大きいのにしてみたんだ。思ったよりも大きくてびっくりしてしまったよ」


 刑事さんは照れ臭そうだった。


 少し、かわいく思えて、緊張の糸がほんの少しだけほぐれた気がした。


「さてと、お名前を窺っても?」


 刑事さんにそう聞かれ、名前を名乗る。


「私は、遠藤えんどう 萌香もえかと言います」

「遠藤さん。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 声が上ずっていた。


「どうやら、緊張なさっているようですね。緊張するなと言っても難しいですが、ほんとに今日は簡単なお話を聞かせてもらうだけですから、心配しなくても大丈夫ですよ」


 そういって、刑事さんは柔らかい笑顔を見せてくれた。


「まずは、この大きな飲み物を処理しましょうか。溶けてしまってはもったいない」


 そういって、先ほど買ってきてくれたフラペチーノを私の前においてくれた。


 先輩はそれは嬉しそうに、「これ飲みたかったんですよ! ありがとうございます!」と言って、さっそく、飲み始める。


 私も、お礼を言ってから、一口飲んだ。


 栗の優しい甘さとチョコレートのホロっとした苦みが口の中で交じり合い、なんだかほっとする味だった。


 緊張の糸がゆっくりほどけていくのが分かった。


 先輩はしきりに刑事さんに例の携帯ゲームの話を振り、しばらく、先輩と刑事さんの二人は楽しそうにゲームの話で盛り上がっていた。


 私は、ついていけなかったので黙って聞きながらフラペチーノを堪能していた。


 ゲームの話題が終わると、我々が所属している映画研究会についての話になった。映画研究会といっても、自主製作映画を撮るとか、課題映画を設定してそれに関する評論や感想を議論するといった、真面目な活動はしていない。ただ、映画が好きなものどうしが集まって、日々生産性のない映画談義に花を咲かせているだけだ。まあ、そんな緩い空気が好きで、私はこのサークルを選んだのだが……。


 先輩がサークルであったちょっとしたトラブルの話や、笑い話を披露し、刑事さんを笑わせて、時々、私も質問に答えたり、会話に混ざるといった、和やかな時間がしばらく続き、フラペチーノが半分ほどになった時には、緊張は完全にほぐれていた。


 そんな様子を感じ取ってか、刑事さんはついに、本題へと入っていった。


「さて、そろそろ、お話聞かせていただいてもいいでしょうか?お二人もお暇じゃないでしょうし」


 すでに、緊張がほぐれていた私は、「大丈夫です」と答えた。


「まずは、これを見てくれますか?」


 そういって、刑事さんは一枚のメモ帳に鉛筆で書かれた絵を見せてきた。


 その絵は、あのミサンガを忠実に描写していた。驚くほどうまく、びっくりした。


「失踪したというバイト先の先輩や、二人の女子高生がつけていたというミサンガというのはこれのことでしょうか。これは鉛筆画ですが、実物は何色ですか?」

「デザインは完璧にこれです。色は、真っ赤です」


 それを聞いた刑事さんの目に、一瞬鋭い眼光が宿る。しかし、すぐに元の優しい目元に戻って、質問を続ける。


「ありがとうございます。それで、失踪したというバイト先の先輩のお名前は何というのでしょうか」

「山口さんです。山口やまぐち 明菜あきなさん」


 刑事さんは、メモ帳にメモしていく。


「漢字はこれであっていますか?」

「ええっと、確かあってると思います」

「わかりました。その山口さんは、失踪する前に変わった様子はありませんでしたか?」


 記憶をたどる。そういえば……。


「失踪する少し前あたりから、すっごいやせていったんです。もともと、スリムな人だったので、ダイエットなんてする必要なんてないのになって思ってたんです。でも、いま考えれば、何か悩みがあったのかもしれません」

「直接、悩んでいるといった話を聞いたことは?」

「本人からは、特に……。あ、でも、それからしばらくしたら、すごい明るく元気になったんですよ。不思議に思って、なんかいいことあったんですか?って聞いたんです。そしたら、良い相談相手、というかカウンセラーを見つけたって言ってました」

「カウンセラー……ミサンガをつけ始めたのはその頃ですか?」

「確かそうです」

「なるほど。ありがとうございます。そのミサンガをどこで手に入れたか聞いたことはありますか?」

「ありません」


 あまり、センスが良いとは思えなかったので、気になりはしたが、あえて触れることもしなかった。


 刑事さんは、少し残念そうな顔をした。


「ちなみに、”ひだまり保健室”とい言葉を聞いたことはありませんか?」

「小林先輩からも、そのホームページのリンクももらったのですが、見たことも、聞いたこともないです」

「そうですか。ほかに、山口さんの行動で気になることはありますか?」

「そうですね……。そういえば、本当に失踪する直前なんですが、もし私が死にたくなるほど悩むようなことがあったらいい人紹介するねって言ってました」

「そのいい人っていうのは?」

「わかりません。でも、たぶん先輩の言ってた、カウンセラーなんだと思います。その時の先輩、なんだか、必死な感じがして、新興宗教の勧誘みたいだなってちょっと、気味が悪かったんです」

「なるほど。ほかにはありますか?」

「……そんなものでしょうか」


 もう、彼女について思い当たる点はなかった。


「わかりました。ありがとうございます。非常に参考になりました」


 そういって、刑事さんは立ち上がる。


 私も立ち上がろうとすると、それを制される。


「私はこれで失礼しますが、お二人はゆっくりしていってください。まだ、飲み物も残っているようですし。それでは失礼します」


 そういって、刑事さんは、出口に向かっていった。


 正直自分の証言が役に立ったのだろうかと心配になる。


 チラリと先輩の顔を見るが、きょとんとした目で見つめ返されてしまった。


 その後、先輩と他愛のない話を三十分程したのち、解散となった。


 *

 正直、彼女への聞き込みでは、有力な情報、特にミサンガの出どころについては明らかにならなかった。


 しかし、はっきりしたことがある。あの公園の自殺者も、失踪者も、あの二人の女子高生も同じミサンガをつけていた。


 そして、山口という女は、とあるカウンセラーに出会った直後からあのミサンガをつけ始めたという。もしかしたら、そのカウンセラーがミサンガを渡しているのかもしれない。


 謎のカウンセラーと自殺の関連性はまだはっきりしないが、もし、そのカウンセラーが相談者を自殺に導いているとしたら?


 しかし、そうだとして、ミサンガを渡す理由は何なのだ?それがいまいちわからない。それに、根本的なことだが、相談者を自殺に導く動機も分からない。


 ただの快楽のためなのか?


 そういった、巨大な悪意があるのかもしれないと思うと、首の後ろ髪がぞわりと逆立つのを感じる。


 もし、悪意があって、相談者を自殺に導いているのだとすれば、そいつは……


 

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