第24話 幸せの赤い糸 -解 二の幕-

再び、あの黒い扉の前に立つ。

今日は、客としてではなく、刑事としてこの扉をくぐらねばならない。それはつまり、今まで隠してきた自分の素性を明かすということに他ならない。

刑事という仕事は、それだけで他人を威圧する嫌な職業だ。俺の職業を知った友人が、徐々に離れていったという経験は少なくない。

自分の素性が明らかになれば、もうここにはいられなくなるだろうか。そんな一抹の不安が胸をよぎる。このミサンガがつなぐ自殺事件はただの偶然だと思い込み、今日はただ、飲んで帰ろうかとも考える。しかし、彼の長年の刑事としての勘が、この事件の裏には何かあると叫んでいた。

これほどまで、この扉が重かったことはいまだかつてない。

意を決して、扉を開いた。


「いらっしゃいませ。あら、伊丹さん。」

「ああ、マスターこんばんは。」

彼女は、いつもと違う雰囲気を敏感に察知したのか、表情が一瞬緊張する。この城ヶ崎という女もまた、小林君に負けず劣らず、人の機微を敏感に察知する能力にかけている。しかもその能力は、小林君以上である。

自分も長年刑事をしていて、人を見抜く能力は人一倍であると自負しているが、人の微妙な心の動きの察知する能力に関しては、この人に勝てないという予感があった。しかし、悔しいとは感じない。不思議と清々しいとすら感じていたのである。

「何かありましたか?」

俺が着席するや否や、マスターが問う。

「いや、隠し事はできませんね。今日は仕事です。小林君はいますか?」

それを聞いたマスターは、なるほどという顔をする。

どうやら、明かすまでもなく、俺の素性はなんとなく想像がついているようでした。

「もしかして、この間の自殺事件についてでしょうか?」

「さすがはマスター。その様子だと、私が刑事であることも見抜いているようですね。」

「いえ、なんとなく、そんな気はしていたのですが、今の今まで確信はありませんでした。少々お待ちください、今キッチンで仕込みをしていますので、呼んでまいります。」

そういうと、マスターはカウンターの内側の扉から、店の裏に入っていった。

しばらくすると、小林君を連れて、マスターが戻ってくる。

「伊丹さん。いらっしゃいませ。何かお話があるとか聞きましたが…」

小林君はとても不安そうな顔をしている。

この小林君も、なんとなく俺の素性には気が付いているのかもしれない。

まずは、ジャケットの内ポケットに入っている警察手帳をほかの客には見られないように、こっそりとジャケットを開いて、小林君に見せる。

「まあ、その様子だと、なんとなく気が付いているかな?つまりはそういうことなんだ。でも、安心してくれ、ちょっと小林君に協力してほしいことがあるだけだよ。別に取って食おうてわけじゃない。」

そういって、笑いかける。この笑い方は長い刑事人生で身に着けた数少ない対人スキルのうちの一つである。

小林君は少し緊張が解けた様子だ。

「それで、お話とは?」

「ああ、ほら、この間話していた小林君の後輩の子を紹介してほしいんだ。少し、話が聞きたくてね。」

小林君はまた少し警戒するような顔をした。もしかしたら、後輩が疑われていると思ったのかもしれない。

警戒を解くためには、ある程度、情報は開示した方がいいだろうと判断した。しかもこれは正規の捜査ではなく、あくまで個人的に調べていることである。多少話したところで、捜査情報のリークにはならないのだ。

とは言え、誰が聞いているかわからないので、二人にだけ聞こえるように小声で話す。

「いやな、昨日この市内である女性の自殺死体が発見されたんだが、その死体もね、小林君から聞いたミサンガのようなものをつけていたんだよ。」

小林君が顔を引きつらせる。怪談が苦手というのは本当らしい。

そんな小林君を無視して話を続ける。

「警察としては、自殺で間違いないということで捜査は近々終了するのだが、なんとなく気になってな。それで、この間の話に出てきたミサンガと同じものなのか、後輩ちゃんに確認を取りたいんだ。その時一緒に、失踪したというバイト先の先輩の話とか、二人の女子高生の話とか、ついでに聞けたらと思ってね。そんなに時間は取らせないよ。」

それを聞いて小林君は少し安心した顔をする。

「そういうことなら、後輩に連絡してみます。」

「ありがとう助かるよ。連絡が取れて、話ができそうだったら、ここに連絡くれるかな?」

そういって、名刺を小林君に差し出す。小林君はその名刺を受け取ると、大事そうにシャツの胸ポケットにしまった。

「そうだ。”ひだまり保健室”って知ってる?」

もしかしたら若者に人気のチャットサイトなのかもしれないと思い、ダメ元で聞いてみる。

「いや。聞いたことないですね。何ですかそれ?」

「お悩み相談を相互にしたり聞いたりするチャットサイトなんだけれど、もしかしたら若者の間で流行ってたりしないかなと思ってね。」

「聞いたことないですね。詩織さん知ってますか?」

話を振られたマスターも聞いたことがないようで、「知りません。」と答えた。

「なんか、自殺事件と関係があるのですか?」

小林君が聞いてくる。

話すべきか一瞬悩むが、隠さなければならない理由もあまりない。

「いや、その自殺した女性が頻繁に出入りしていた形跡があってね。」

それを聞くと、小林君は自分のスマートフォンを取り出し、そのサイトを検索し始める。

「伊丹さん。そのサイトって、これですか?」

そういって、画面をこちら側に見せる。

漫喫のPCの画面とは違い、スマートフォン用のページレイアウトとなっているようだが、説明文や、管理者名も同じであったため、間違いなく、このページだろう。

「ああ、このサイトだ。」

「わかりました。後輩にも聞いてみますね。もしかしたら、そのバイトの先輩から何か聞いてるかもしれませんし。」

「ありがとう。よろしく頼むよ。」

しばらく、小林君はそのサイトを眺めていたが、何かに気が付いたようで、クスリと笑う。

「どうかしたか?」と思わず聞く。

「いや、このサイトの管理人の名前、変だなっと思って。」

「管理者の名前?」

「ほら、サイト名は”保健室”って名前なのに、管理人の名前が”先生”とか”養護教諭”とかじゃなく、”俳人”っていうのが不釣り合いだなって。それに、なんか、”廃れた人”って書く方の廃人を連想しちゃって。保健室の管理人が廃人はまずいだろって思ったらちょっとおかしくて。」

「なるほどな。でも、これは俳句の方の俳人だから大丈夫じゃないか?いや、大丈夫と言えるほど理解できるものでもないか。でもハンドルネームなんてそんなものじゃないか?実際、俳句を詠んでるいる人なのかもしれんぞ。」

「まあ、そうかもしれないっすね。自分もイレ・レイのアバター名”SERPENT_1028”ですからね。」

小林君は何か納得したような感じだった。

「イレ・レイって、あの携帯ゲームのイレブン・レイブン?」

「え!伊丹さん知ってるんですか?」

「あ、ああ、まあ。なんか後輩の勧めで一応インストールはしているよ。この職業柄、よく歩くからな。位置情報サービスを利用して歩いた距離の分だけレベルアップする仕様というのは、親和性が高いんだわ。」

「なんか意外です。じゃあ、フレンド登録してくださいよ!」

確かに、五十過ぎてゲームに興じるというのは若い子にしたら珍しいと感じるのかもしれない。しかし、自分が青春時代を過ごした80年代といえば、家庭用ゲームの黎明期であり、爆発的にゲームが一般家庭に普及していく過程をリアルタイムで経験したのである。かくいう、俺も寝る間も惜しんで遊んでいた。

それに加えて、非番であっても突然呼び出される可能性があるという刑事という職業と、家庭用ゲームというのは、実はかなり親和性が高い。今でも最新ハードが出るたびに購入しており、自宅にないハードというものはほぼない。いわゆるゲーマーなのである。だから、スマートフォンのゲームというのも、話題になっているものはとりあえず遊んでいる。このイレ・レイについても、後輩に勧められたというのは本当だが、すでに遊んでいたし、その時の後輩のレベルの倍近くまで到達していた。

「まあ、いいけれど。」

そういって、プライベート用のスマートフォンを取り出し、小林君とフレンド登録を実施する。

「伊丹さんのアバター名は普通に本名なんですね。うわ…レベル高っ!」

「ああ、別にそれで個人が特定できるわけではないからな。ところで、小林君のアバター名の由来は?」

「大好きなゲームの主人公の名前、というよりコードネームです。1028は僕の誕生日です。」

小林君は、そう笑って言った。

”SERPENT”が主人公のゲーム…

「ああ、MGSか。」

「え!それも知ってるんですか!?」

小林君は明らかにテンションが上がっている。

「ま、まあ、娘がゲーム好きでな。」

なんとなく恥ずかしく、娘を身代わりにする。

少し、小林君は残念そうな顔をした。どうやら、ゲーム談義を続けたかったようだ。

しかし、今日はあまり長居するつもりもないので、この辺で切り上げることとする。

「とりあえず、小林君、あの件よろしくね。」

「あ、はい。わかりました。連絡します。」

元気な返事だ。警戒心はどうやら完全に解けたようだ。ゲームのフレンド登録も無駄ではなかったようである。

「マスター、今日は一杯も飲まず、申し訳ない。今度埋め合わせをします。」

マスターに謝辞を述べると、彼女は、笑って「いいんですよ。また、いつでもお越しください。」と言ってくれた。入店する前に抱いていた、もう来られなくなるかもしれないという一抹の不安を吹き飛ばすような満面の笑みだった。ほっと胸をなでおろす。

次は、いつもより、多めに飲まないとな。そう心に誓って店を出た。


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