第23話 幸せの赤い糸 -解 一の幕-
伊丹は早朝に事件発生の連絡を受け、現場である、K市住宅街の中にある児童公園へと向かっていた。
彼は、移動中、ずっと不機嫌な顔をしていた。
朝五時に携帯の呼び出し音で叩き起こされたことだけが彼の不機嫌の理由ではなかった。昨日も娘は外泊していたことも大きな理由の一つであった。
それともう一つ。
BAR「夜行」のキッチンバイトの小林 琢磨から聞いた、あの赤いミサンガの話がずっと頭の片隅で黒い靄のように居座っていたのである。
*
公園の入り口に立つ。
どこにでもある小さめの公園といった感じだ。入口近くには、さび付いた金属製の四角いポールが立っており、そこには、この公園の名なのだろう「S寺児童遊園地」とあった。
「遊園地ねぇ……」
あたりを見渡すと、かなり使い古された、特になんの変哲もない、数種類の遊具と砂場があるだけだ。”遊園地”とは、また大きく出たものだ。
昨晩から降り続いた雨は上がっていたが、まだ空気は濡れており、体にべったりとまとわりつき、最悪の気候といってよかった。そのうえ、公園内もぬかるんでいるようだ。
入口は規制線が張られ、警官が一人立っていた。
その公園の奥の一角にブルーシートで囲われた現場が見えた。
「機捜と鑑識は?」
警官に話しかける。
「すでに到着されています。」
規制線をくぐり抜けて、公園内に入る。ブルーシート内に入ると、相棒の小坂がすでに到着していた。
小坂の指導係を命じられ、コンビを結成したのが三年前、指導期間が終了してもそのままコンビを続行していた。
小坂は、いい意味でも悪い意味でも若く、正義感にあふれる根っからの刑事というタイプだ。だからこそ、殺人や強盗といった凶悪事件となると暴走気味になるほど気合が入るのだが、逆にそうでない事件では、明らかにやる気が感じられない。
「伊丹さん。遅いですよ」
「すまん、少し道に迷った」
小坂との付き合いは短くないわけで、彼の様子から、これが凶悪事件ではないことはなんとなくわかった。
「それで?」
そういいながら、目の前の死体に目をやる
三十代くらいの女性だろうか。やせ型で、白のロングTシャツにジーンズ、黒のスニーカーといったごくシンプルな服装をしていた。
昨日からの雨で全身はしっとりと濡れている。ここ最近は朝晩冷え込むことが多い。しかも昨日は雨が降っていた。この服装では寒かっただろう。
「鑑識の見立てでは自殺でほぼ間違いないようです。足跡も彼女と第一発見者の男性のものしか残されていなかったようです」
彼女は、ブランコの支柱から、ぶらりと力なく垂れ下がっていた。
彼女の遺体に手を合わせる。
「機捜は?」
「すでに聞き込みに走ってます」
聞いてもいないのに小坂が自身の見解を述べる。
「ブランコに立って縄をくくったんでしょうね」
状況を見る限り、小坂の言うとおりだろう。
ブランコの支柱から延びる二本の鎖の間に彼女はぶら下がっており、ブランコの乗る部分は彼女のふくらはぎに接するような形で静止していた。
「身元は?」
「判明しています。彼女のカバンに身分証明書がありました」
そういって、免許証を手渡される。
そこには、
免許証の写真と目の前の女の顔を見比べるが、別人ではなさそうだ。おそらく本人であろう。
もう一度、免許証を確認する。住所の欄には江戸川区とある。この町の住人ではないようだ。さらに、有効期限が切れている。
「ヤドカリか……」と独り言をいう。
「え?ヤドカリ?」
小坂がそのつぶやきに反応する。
「これ、見てみろ」
そういって、免許証を小林に返す。
「住所は江戸川区だろ? それに有効期限が切れてる」
小坂は、それがなんだといった様子で次の言葉を待っているようだ。
「だから、この町の住人じゃないんだよ。江戸川区といえば東京の東の端だ。お前、自殺するために、わざわざこの西の端ともいえるK市まで移動するか? 死に場所として、例えば北海道の支笏湖なんてのを選ぶのならまだわかる。だが、ここは何の変哲もない公園だ。もちろん、彼女の思い出の公園という可能性も否定できんがな。それから、有効期限が切れてる。ふつうは更新するだろ。彼女は現住所を持っていない可能性が高い。あと、ほら、その荷物」
そういって、彼女の傍らに置かれた大きなボストンバッグを指さす。
「旅行者並みの荷物だ。だが、ここは観光地じゃないぜ」
「なるほど……。しかし、なんでまた期限切れの免許証なんか。身分証としての効力はないですよね?」
それは、たぶん−−
しかし、その考えを述べる前に小坂に問いかける。
「その荷物全部、
「いや、まだですけど」
「カードケースみたいなもの入ってないか?」
ちょっと待ってください、そう言って小坂は荷物を探る。
「あ、ありました。うわ! なんだこれ。漫喫の会員証がいっぱいだ」
「やっぱりな。最近の漫喫ってのは身分証が必要なんだよ。基本的には名前を確認するくらいの形骸化した儀式みたいなもんだからな、有効期限までは確認しない。だから、この免許証でも十分だってわけだ」
「なるほど、住所を持たず、漫喫を転々と渡り歩いていたってことですね。だからヤドカリ」
「まあ、お前の言うとおり、ほぼ自殺で間違いないだろうから、エリート様の出番は今回はないだろうな」
「伊丹さん、相変わらず捜査一課のこと嫌いですね」
小坂は笑いながら言う。
「とはいえ、さっさと担当に現場引き継いで、飯でも食いにいきたいな」
その時だった。
一陣の風が吹き荒れ、ブルーシートがバサバサとめくりあがる。思わず首をすくめ、目をつむる。
風が収まり、目を開け、「すごい風だったな」と言いかけたとき、それが見えた。
風にあおられ、ゆっくりと前後に揺れる女の死体。
その左腕にチラリと赤い何かが見えた。
血か?
いやな予感がして、雨で張り付いたロングTシャツの裾をめくりあげる。
その腕には、絹糸だろうか、滑らかな光沢のある糸で織られた真っ赤な紐が巻き付いていた。そしてその紐は、ねじられていた。
まさか。
心拍数が上昇する。
あの青年から聞いた荒唐無稽な怪談。
”あの赤いミサンガをつけると、あの世に呼ばれる。”
ミサンガから目が離せなくなる。
この女は、呼ばれたのか?この呪いのミサンガに……。
「伊丹さん、伊丹さん! どうしたんですか」
小坂に、肩をゆすられ、我に返った。
「ああ、すまん。何でもない」
とっさに取り繕う。
「なあ、さっきのカードケースもう一度見せてくれ」
「いいですけど」
小坂は、怪訝な顔をしながら、カードケースを手渡してくる。
中から、会員証の束を取り出し、一枚ずつ確認していく。必ず、この周辺の漫喫に宿泊していたはずだ。最後の一枚、目的のものを見つける。大手漫喫の店名とその支店名「K駅南口店」。
「小坂。あとは頼んだ」
そういって、カードケースを返して、歩き出す。
「ちょ、ちょっと! 伊丹さん。どこ行くんすか!」
小坂が後ろから慌てて声をかける。しかし、どちらかは現場に残らなければならないため、小坂はついて来ることはできなかった。
「野暮用だ。体調不良で直帰したと言っといてくれ」
そういって、ブルーシートが張り巡らされた現場を後にした。
怪談なんて馬鹿馬鹿しい。しかし、何か大きな悪意のようなものを感じる。この連続自殺の裏には何者かかがいる。そんな気がした。
誰がどう見ても今の現場は自殺だ。事件性がなければ警察は動けない。
ならば、自分ひとりで調べるしかあるまい。
俺もまた、根っからの刑事だったようだ。
*
「
そういって、漫喫の受付の青年は、レジの端末を操作する。
「ああ、ありました。ええっと、確かに長期滞在されてますね。十月の二十一日から、昨日の十一月四日までの二週間の利用ですね」
「ここを出たのは?」
「昨晩の十二時ちょっと前ですね」
あの公園までは歩いても二十分程度である。すぐ行動に移したかどうかはわからないが、最短だと、十二時半ごろにはあの公園で亡くなっていたのだろう。
「彼女の使用していた部屋は見れますか?」
「ええ。彼女の後には誰も利用していませんから……。ところで、その女、なんかしでかしたんですか?」
受付の青年は野次馬根性丸出しで、好奇に満ちた目でそう聞いてきた。
「捜査上のことなので、お話しすることはできません」
そう答えると、彼は納得した様子で、そして、ひどく満足げだった。
「部屋を見てせて下さい」
そう頼むと、彼は、もちろんどうぞと言って、案内してくれた。
「好きに調べてください。僕は、これで」
そういうと、青年は戻っていった。
部屋に入る。一畳半程度の空間で、天井はなく、二メートルほどの高さの
PCを起動する。
見慣れた初期設定のデスクトップの画像が現れる。デスクトップ上のショートカットは最低限のものしかなかった。
その中から、ウェブブラウザを探し、よく見知った青色のアイコンをクリックして立ち上げた。
さて、何かヒントになるようなものが残っていればいいのだが、そう考えながら、検索履歴を見る。そこには、思わず、眉をひそめてしまうようなワードが並んでいた。
”縄 かけ方”、”首吊り 縄 種類”、”首吊り 方法”、"自殺 おすすめ"……
そんな中、頻繁にアクセスしているサイトがある。そのURLにアクセスする。
「ひだまり保健室……?」
いかにも素人が作成したようなデザインのHPが出てきた。
どうやら、掲示板のようなものらしい。TOPページには、HPの簡単な説明がある。それによれば、悩みを抱える人たちが集まり、自分の状況を話したり、相手の相談を聞いたりする中で、人とのつながりを感じ、自分の悩みとも少しずつ、向き合えるようにするための広場……とある。つまりはお悩み相談室のようなものか。
どうやら、誰でもトークルームを作成できるようになっており、HPの中段以降は、入室可能なトークルーム一覧が記載されている。現在は二十程度の部屋が存在していて、”恋愛相談聞いてください”や、”転職のアドバイス求む”など、軽めの相談から、”母が統合失調症になりました”や、”余命宣告されました”といった重めの話題まで多種多様なお悩み相談室が開催されているようだ。
その中で、参加者ゼロ名のトークルームを選択してクリックしてみた。
ハンドルネームと自身のコメントの文字色を設定できるページに飛ぶ。どうやら、掲示板というより、ひと昔前に流行ったチャットルームに近いものらしい。
適当なハンドルネームを入力し、トークルームに入室する。
ログを確認すると、どうやら若い女、おそらく女子中学生くらいだと思われる相談主が、学校の先輩に片思いをしているという何ともかわいらしい相談をしていた。
自殺した彼女もこのサイトで悩みを相談していたのだろう。どんな悩みを抱えていたのか分かれば何かのヒントになるかとも思ったが、彼女が使ったハンドルネームもわからないため、これ以上個人で調べるのは難しそうだった。
とりあえずTOPページに戻ると、ページの左上に管理者のハンドルネームとメールアドレスが記載されている。
管理者 俳人
Mail:XXXXX@xmail.com
とりあえず、このHPのURLと管理人のメールアドレスをメモした。
その後、いくつか彼女が閲覧したであろうサイトを確認したが、特に気になるものはなく、あのミサンガについての情報も何もなかった。購入先でも分かればよかったのだが……。
今回の捜査はどうやら”はずれ”のようだ。これ以上粘っても無駄だと判断し、漫喫を出ることにした。
漫喫を出ると、また、小雨が降っていた。
軽く舌打ちをし、漫喫の入っているビルの一階にあるコンビニに入り、ビニル傘を手にする。そういえば朝食もまだだったことを思い出し、おにぎりや菓子パンを適当に購入した。
コンビニを出て、歩きながら先ほど買った菓子パンを頬張りながら考える。正式な捜査でないためできることは限られる。正直、楠本 美織の線はこれ以上は追えない気がする。
これら、なんの関係性もないような、いくつかの自殺を繋ぎ、”連続自殺”たらしめているのは、あの赤いミサンガである。楠本の線が途切れたのであれば、その赤いミサンガをたどっていくほかないだろう。二人の女子高生の自殺を目撃したという小林君の後輩に話を聞く必要があるようだ。
その時、十一月の冷たい風が、バス通りを駆け抜け、思わず身震いした。
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