第18話 積み木遊び -解 四の幕

「そんなに怖いなら、ついてこなきゃよかったじゃん」


 後ろを歩く小林に声をかける。


「ばか! 詩織さんにもしもの事があったらどうすんだよ!」


 あの後、詩織さんに日曜日に怪異の正体を見に行こうと誘われた小林は、嬉しいのか、恐ろしいのか、さんざん百面相したあと、「行きます」と小さな声でつぶやいたのだった。


 そして、約束の日曜日、お店を閉めた後、3人で例の公園に向かって歩いていた。


 この一大イベントがあったため、今日はお酒を控えめにしていた。


 しかし、もともとアルコールに弱い体質のため、いくらセーブしたとしても、素面というわけにはいかず、ほろ酔い気分であった。


 夏も終盤ということもあり、日中こそ真夏日が続いていたが、夜になれば多少過ごしやすくなってきており、特に今日は酔って熱った体に夜風が心地よい、そんな気候であった。


 ほろ酔い気分も手伝ってか、恐怖はそこまで感じていなかった。


 一方の小林は、明らかに様子がおかしく、口数がめっきり減っていた。そんな殊勝な小林の様子を楽しみつつ、夜道を歩く。


 時間は午前一時を回ったところだった。


 しばらく歩くと、住宅街が急に開け、目の前に史跡が広がる。


 街頭はほとんどなく、周囲の住宅街からの残光によって、かろうじて周囲が視認できるというような暗さだった。


 風が吹き、緑地化された広場の芝生がざわざわと音を立てる。まるで、何者かがささめきあっているようだ。


 先ほどまで何処かにいっていた恐怖心が戻ってくる。腕に鳥肌が立つのを感じて、思わず身震いをした。


 詩織さんは、一言も話さず、涼しい顔をして、ずんずんと広場を進んでいく。遅れまいと、その後を小林と二人並んで、ついて行く。


 あの公園が見えた。


 公園内にひとつだけ設置された電灯の青白く、冷たい光に照らされた遊具たちをみたとき、"死んでいる"と思った。


 陽光に照らされた遊具と、園児たちの笑い声が響く昼間の公園とのギャップが凄まじく、まるで魔窟のような禍々しい雰囲気が充満しているように感じた。


 公園に入った詩織さんは、真っ先に砂場へと向かう。


 そこには、何もなかった。


「よかった、間に合ったみたいね」


 詩織さんは、心の底から安堵している様子だ。


 先ほどから、異常なほど歩速が速かった事を思い出す。もし、僕と小林がいなければ、走り出していたのではないかと思った。


 詩織さんは、念のためといった風に、公園全体を見渡し、"遊びの形跡"がないかを確認する。


 つられて、僕も小林も見渡すが、何もなかった。


「あそこのベンチなら、この砂場がよく見えそうね」


 そう言って、詩織さんはベンチに近づくと、左端に座った。


 僕も小林も何も言わずに、おずおずと詩織さんの隣に僕を真ん中にする形で座る。


 ベンチから公園を臨むと、ちょうど目線の先に砂場があった。


 そのすぐ近くに立つ電灯の灯りがスポットライトのように、砂場を照らしていた。まるで舞台のようだった。


「城ヶ崎さん。怪異は現れるでしょうか?」


 沈黙に耐えきれず、声をかける。


 隣に座る詩織さんはピンと背筋を伸ばし、静かに目を閉じ、何も言わない。


 聞こえていなかったのかと思い、もう一度声をかけようと口を開きかけたその時だった。


「来た。」


 詩織さんが、あの不思議な声色でつぶやいた。


 僕の体が緊張で固まる。


 喉がカラカラに乾いていく。


 思わず目を伏せ、自分の膝を見つめる。


 膝に置かれた拳は小刻みに震えていた。


 今、自分の目の前に、何者かが立って覗き込んでいる気がしてならない。


 意を決して、ゆっくりと目線を上げる。


 誰もいない。


 少しだけ安心して、今度は、砂場に目をやるが、何もいない。


 何も見えませんよ? と、詩織さんに声をかけようとした時だった。

 微かに誰かの話し声が聞こえた。


 ……ちゃ……まっ……

 た……ちゃ……まち……い……


 全身から冷や汗が噴き出す。


 耳を塞ぎたいが、拳と膝が接着剤で貼り付けられたようにまるで動かない。


 先ほどの声はどんどん近づき、はっきりと聞こえてくる。


 そして--


 たっちゃん ちょっと待ちなさい


 はっきりと聞こえた。


 咄嗟に声のする方を見る。


 公園の入り口には、ひとりのお婆さんが立っていた。


 そのお婆さんは、ゆっくりとした足取りで、公園に入ってくると、砂場へと向かって歩き出す。


 ザッザッと、足音が公園にこだまする。


 そして、あることに気がつく。


 そのお婆さんは、左手を前方の虚空に伸ばしているのだ。まるで、誰かに手を引かれているかのように。


 もう、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


 でも、今動いたら、彼らに気づかれる。


 そう思うと、指一本たりとも動かすことは出来なかった。


 お婆さんは、砂場のへりに、こちらに背を向けて腰掛けると、何やら虚空に向かって楽しげに話しかける。


 あまりに異様な光景だった。


 しかし、これではっきりした。たっちゃんと呼ばれた男の子は、きっと事故で亡くなった子だ。そして、このお婆さんは、その子に導かれ、夜な夜なここで一緒に遊んでいたのだ。


 ただ、保育園に積み木を取りにきた女性は、"子供の忘れ物"と言ったらしいのだ。どう見ても目の前のお婆さんとは年齢が合わない。


 だが、そんなことは瑣末な問題だと思った。今、目の前で繰り広げられている事こそ、怪異の真相だ。であれば、もはやここにいる意味はない。一刻も早く、ここから離れたかった。


 帰りたい旨を伝えるために詩織さんをちらりと見やる。


 詩織さんは、2人の楽しげな様子をじっと見つめていた。


 すると、何か意を決したような顔つきで、詩織さんは急に立ち上がった。僕と、小林は一瞬呆気に取られ、硬直してしまう。


 次の瞬間、詩織さんは、2人に向かって歩き出した。意図を理解したときには、もう、手遅れだった。


 彼女は、声をかける気だ。


 僕も小林も、何もできないまま、ただ後ろ姿を目で追うことしか出来なかった。


「可愛いお孫さんですね」


 詩織さんがお婆さんに声をかける。


 お婆さんは、ぴたりと動きを止め、そして、ゆっくり振り返り始める。


 なんて事をしてくれたんだ!


 気づかれる!


 走って逃げようか、一瞬考える。


 でも、もう、間に合わない。


 振り返ったお婆さんは、意外にもにこやかな表情をしていた。


「あら、ありがとう。息子夫婦の子供なんです」


 柔らかな声色だった。


「お名前はなんで言うんですか?」

「たつやと言います」

「こんちには、たつやくん。いくつになるのかな?」


 詩織さんはお婆さんの隣にしゃがみ込むと、誰もいない空間に話しかける。


「そっか。お砂場遊び好きなの?」


 ありえないほど和やかで普通の会話が目の前で繰り広げれている。


 しかし、詩織さんとお婆さんの目線の先には誰もいない。


 自分だけが見えてないのかと思い、小林に小声で話しかける。小林は、首が取れそうな勢いで横に首を振る。そして、「見えねぇよ」と小さく囁いた。


 二人の会話を聞いているうち、だんだんと恐怖が薄らいできた。


 そろそろ帰りましょうと声をかけるべきかと考え始めたとき、遠くの方で、「おかあさーん」と女性の大きな声がした。


 その声は段々と近づいてきて、ついに、公園のすぐ近くまで来た。


「おかあさん!」と呼びかけるような声がしたかと思うと、バタバタと足音がして、公園の入り口にひとりの女性が現れた。


 直感的に、積み木を取りにきた人だと思った。


 彼女は、お婆さんに駆け寄るが、詩織さんの存在に気がつき、数m手前で足を止める。


 警戒していると言った様子で、何と声をかけようかと思案しているようだ。


「あら、かおるさん。どうしたの?血相を変えて?」


 お婆さんが驚いた様子で、その女性に声をかける。


 彼女は、まだ、何を言うべきか考えあぐねている様子だ。


 詩織さんが先に声をかける。


「この方のご家族の方でしょうか?」


 警戒心たっぷりといった風に、女性が答える。


「そうですけれど……」

「私たち、帰宅途中にこの公園を通りましたら、こちらのお婆さまが座り込んでいらっしゃるのを見かけて、ご気分でも悪いのかと、声をかけさせていただいたのです」


 そう言って、詩織さんは、僕と小林の方を見る。


 その女性は、僕達の存在に今気がついたようで、少し表情をこわばらせた。


 詩織さんが続ける。


「すこし、混乱されてらっしゃるようでしたので、警察に保護していただこうと考えていたところです。ご家族の方にお迎えに来ていただけて安心しました」


 女性は、少し警戒心が解けたと見え、お辞儀をしてお礼をいった。


「助けていただき、ありがとうございます。そちら、私の義理の母なのですが、認知症を患っておりまして、最近徘徊をするように……。ご迷惑をおかけしました。それで、その、"混乱していた"と言うのは……」


 女性は、何かを気にしているようだ。


「いえ、お孫さんと遊んでいらしたようなので」


 詩織さんがそう答えると、女性はやっぱりといった顔をした。


「そうでしたか、最近、妄想も激しくて、いもしない孫とよく話したりするんです」


 そう言う彼女の顔はとても疲れていた。


 しかし、今の事実は聞き逃せない。


 だって?


 それがこの怪談の真相か!


 認知症のお婆さんが夜な夜な徘徊をして、妄想上の孫と遊んでいただけという、何ともシンプルな真相だったのだ。


 男の子の幽霊が僕にも小林にも見えないのは当たり前だ。僕らには霊感がないのかと思ったが、そうじゃなかった。おそらく詩織さんにだって見えていない。だって最初からそんな存在はいなかったのだから。


 詩織さんは何も言わない。


 その女性は、お婆さんに話しかける。


「お義母さん。帰りましょう?」


 お婆さんは、先ほどまでの矍鑠かくしゃくとした様子とは打って変わって、ぼうっとした様子でふらふらと立ち上がると、何も言わずに彼女の元へと歩いていく。


 女性は、もう一度、詩織さんに一礼をして、隣にいるお婆さんに、声をかけると、公園の出口に向かって歩き出した。


 詩織さんは、その後ろ姿をなんとも言えない悲しげな眼差しで見つめていた。


 二人が公園の出口にさしかかったとき、詩織さんが声をかける。


「かおるさん」


 女性が歩みを止めて振り返る。


 そして、詩織さんはとんでもない事を口にした。


「お婆さまは、取り憑かれています」


 あの、霧の中から響くような不思議な声色だった。

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