第17話 積み木遊び -解 三の幕-
今日も異界への入り口のような扉の前に立つ。
いつもであれば、詩織さんに会う緊張と喜びで浮き足立つのであるが、今日はそんな気分ではなかった。
例の件、詩織さんの読みどおり、終わってはいなかったのだ。
そして、あの日詩織さんが呟いた"呼ばれている"という不吉なワードが、頭の中でぐるぐる回っている。
真夜中の公園で遊ぶ得体の知れない存在の正体は何なのか。夜、目を閉じるとあの公園で誰かと遊ぶ、何者かの影を幻視する。その影は、小さな男の子だったり、女の人だったり、はたまた化け物の姿をしていたりと、定まらない。そして、その影と一緒にいる"呼ばれている人間"の顔を覗き込む。
それは、決まっていつも僕の顔だった。
あまり寝られない状態が続いていた。
誰に相談したら良いのか分からず、結局、詩織さんに助けを求めることにしたのだ。
ノブに手をかける。
今日はなんだかいつもより重い気がした。
入店してすぐ、詩織さんは僕の異常にすぐ気がついてくれた。
いつものように、席に通され、お絞りを手渡され後、注文も聞かずに、声をかけられる。
「南くん、なんかあった?」
その優しい声色だけで、僕は思わず泣きそうになる。
「あの、例の件なんですけれど、やっぱり終わってなかったんです」
詩織さんは、静かに聞いている。
「今週の月曜日にあの公園に行くと、積んでありました。でも、今回は、積み木じゃないんです。石なんです。もう、まるで、賽の河原の石積み、そのものでした。城ヶ崎さん、あの日、誰か呼ばれているって言ってましたよね? あれ、僕のことなんじゃないかって、ずっと怖くて。誰に相談したら良いかもわからなくて、それで、今日、ここに」
正直、まとまりがなく、上手に話せていないことは自覚していた。しかし、話し始めた途端、言葉が止まらなくなってしまったのだった。
静かに聞いていた詩織さんは、「最近眠れてないでしょう?」と優しく聞いてきた。
僕は、小さく頷いた。
「悪酔いして、体調を崩しても大変だから、今日はノンアルコールにしましょうか。甘いの苦手だったよね?」
また、小さく頷く。
「じゃあ、甘くないホットチョコレートなんてどうかな?きっと安心できると思うわ。」
「ありがとうございます。」
もはや、聞こえるか怪しいほどの掠れた小さな声しか出なかった。
詩織さんが、ホットチョコレートと小皿にもったナッツを出してくれる。
ホットチョコレートを一口飲むと、ほんのりとした甘さとほろ苦さが口いっぱいに広がる。熱い液体が喉を通ると、そこを中心に暖かさが広がり、指の先、足の先までじんわり温まるようだった。まるで、誰かに優しく抱きしめられたような感覚がして、少しだけ、恐怖が和らいだ。
「ごめんなさい。私が、変なこと言ったせいで、怖がらせてしまったわね」
「いえ、そんな。僕の方こそ、おかしいですよね?こんなに怪談を怖がるなんて」
「そんなことないわ。でも、南くんは、怖がっているというよりも、囚われてしまっているかな」
「囚われている……」
あまりに脳が疲弊しているのか、詩織さんの言葉を繰り返すことしかできない。
「怪談の愛好家って案外多いでしょう? 愛好家じゃなくても、夏の怪談特番なんかは一度は皆んな見たことあるんじゃないかしら。意外とみんな好きなのよ怪談。でもね、怪談を楽しむためには、一つ条件があるの。それは、"怪談が自分には関係ない事柄"であること。誰かの体験談として聞くから、エンターテイメントとして楽しめるのよ。でも、南くんの場合は違う。実際に体験している訳だもの」
「僕は、怪談の登場人物って事ですね……」
「いいえ。それはちょっと違うの。その考え方が、まさに、"囚われている"という事なのよ」
「どういう事ですか?さっき、僕は体験しているって……」
「確かに、体験しているわ。でも、南くんは、この怪談を聞き手として体験しているに過ぎないのよ」
よく理解できなかった。
顔に出ているのか、詩織さんはさらに解説を続ける。
「この怪談の骨子だけを抜き出すとこうなるの……」
そう言って、詩織さんは語り出した。
ある時、男の子が交通事故で亡くなりました。男の子は遊び相手が欲しくて、夜な夜な人間に取り憑いて公園に呼び寄せ、一緒に積み木遊びをしていました。
次の日には、ぽつんと積み木だけが残っていたのでした。
「この怪談において、登場人物と言えるのは、"亡くなった男の子"と、"取り憑かれた人間"よ。遊びの結果として残された積み木は、聞き手それぞれが、その光景を想像し、幻視するのよ。南くんは、他の聞き手と同様、ただ、積み木を見ただけなのよ」
なるほど、確かに、僕は、幽霊に遭ったわけではない。積み木を見ただけである。
しかし--
「でも、呼ばれているのが僕だったら?それが怖いんです」
「それこそ、あり得ないわ。だって、積み木は南くんのじゃないでしょう?」
そのとおりだった。
呼ばれているのは、あくまで積み木の持ち主である、あの保育園に取りにきた女性に違いないのだ。
こんな簡単な事実すら分からなくなるほど、追い詰められていた。それは、自分がこの怪談の主人公だと思い込んでいたからである。
詩織さんの"囚われている"の意味がようやく分かった気がした。
なんだか、少しだけ、視界が明るくなったような気がした。
「でも、まだこの怪談の真相は明らかになっていないわ。交通事故で亡くなった子供の幽霊が誰かに取り憑いて、一緒に遊んでいるというシナリオは憶測に過ぎない。もし、南くんが、この怪異の正体と真相を知りたいというのなら、一緒に確かめてみる?」
詩織さんは、そう提案してくれた。
願ってもなかった。
自分がこの怪談において聞き手であると分かっても、恐怖が完全に消えたわけではない。
やはり、"得体の知れないもの"は怖いのだ。
正体も、真相も分からないままなのは、嫌だ。
「良いんですか? 僕としても、気になってしまって眠れそうにないですし、それに、正体も真相も分からないままというのは、やっぱり怖いです」
「良いも何も、これは私の趣味だもの。南くんが居なくても、一人で調べるつもりよ」
詩織さんはにっこり笑って言った。
このマスターは、怪談に対しては、少々変態的であるようだ。
そんなところも、嫌いじゃないのだが。
「ところで、城ヶ崎さん。その……どうやって正体と真相を確かめるんですか?」
2人で聴き込みや、文献調査なんかを出来たらな、などという淡い期待を抱く。先ほどまで、恐怖に震えていた自分は何処へやら…自分の変わり身の早さに苦笑する。
すると、詩織さんは、本当に嬉しそうな顔をして言い放った。
「そんなの、日曜日の夜に張り込みして、現場を直接押さえるに決まってるじゃない!」
僕の先ほどの"少々変態的である"という評価は、残念ながら取り下げる必要がある。
このマスター、常軌を逸している。
「大丈夫!南くんが怖くないよう、小林くんも一緒に連れて行くから」
愉快そうな声が聞こえるが、僕は呆然としていて、ほとんど聞こえていなかった。
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