積み木遊び
第14話 積み木遊び -邂逅-
ここは東京郊外のK市にあるBAR
屋号を「夜行」という
今宵も様々な怪談が集まる
*
黒く、重い雰囲気の扉。
扉の中央には真鍮製のプレートが照明に照らされ光っている。彫り込まれた「夜行」という文字が黒々と浮き出て、まるで、蛇のようだ。
やはり、この扉の前に立つと緊張する。
大学生という身分ながら、こういった、大人の遊び場に来るのは、場違いな気がしてならない。
しかし、この緊張感は、それだけのものでは無い。
この扉の中には、詩織さんがいる。
初めて大学の友人の小林琢磨に連れられ、この店に来たのが三ヶ月前。
初めて彼女をみた時、身体中に電流が走った。つまるところ、一目惚れをしたのである。
詩織さんは、今まで出会った全ての女性の中で、間違いなく最も美しかった。
明らかに一般人と一線を画す、美しさをまとっており、それが、彼女の内面の清らかさ、優しさといった善なるものの発露であると気がついた時には、もう、夢中になっていた。
僕の恋心は、愛おしいというよりもむしろ、強烈な憧れという感情に近かった。
そして、それを自覚した時、僕は失恋をしたのである。
お互いが対等でなければ、恋人、いや、友人関係すら築けない、と思う。
僕と彼女では、何もかもが違っていた。
だから……
僕は、決して手に入らないと知りつつ、篝火に群がる虫のように、今宵もこのBARにやってきて、そして、自分の恋心で我が身を焼くのである。
「飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこの事だな。」
ひとり呟く。
一呼吸置いて、胸の鼓動が少し落ち着くのを待ってから、その扉を開けた。
八月の終わり。
夏の夜特有の、じめじめと馴れ馴れしい空気が、背後から僕の体を抱くように流れ込む。
あぁ、今夜は怪談日和だ。
そう思った。
「いらっしゃい。南くん」
詩織さんがいつもの笑顔で出迎えてくれた。
導かれるまま、中央付近のカウンターに座る。
冷たいお絞りを手渡してくれた。
それで熱った体を少しでも冷まそうと、仕切りに手を拭く。
「何にしましょう?」と穏やかな声がする。
まるで、霧の中から響くような、それでいてはっきりと聞こえる、不思議な声音である。僕は、この声も好きだった。
「あの、じゃあ、今日のおすすめのウイスキーをトワイスアップでお願いします」
以前は、BARと言えばウイスキーを飲むところであり、しかも、飲み方はストレートかロックに限られ、それ以外は邪道なのだと勝手に思っていた。しかし、お酒はあまり強くなく、すぐに酔ってしまう僕にとっては、そういった、度数の高い飲み方は出来なかった。
初めてこのBARに来た時、まあ、それがBAR初体験だったのだが、格好をつけるべきか、大人しく度数低いお酒を頼むべきか、散々悩んだ。
しかし、結局、酔って醜態を晒すほうが、何倍も恥ずかしいと結論づけて、「度数の低いお酒はどれですか?」と聞いたのだ。
詩織さんは、小馬鹿にするような様子や、嫌がる様子を微塵も見せず、飲みやすいカクテルなどを色々と教えてくれた。
そして、僕があまり甘い物が好きでは無いと知ると、ウイスキーに水を1:1の割合で加えるトワイスアップという飲み方を薦めてくれた。
その時飲んだウイスキーがあまりに飲みやすく、そして美味しいので衝撃を受けた。
トワイスアップは、ウイスキー本来の味と香りを引き出す飲み方で、ウイスキー愛好家の中でも、この飲み方を好む人は多いのだということを詩織さんは教えてくれた。
それ以来、僕は、ウイスキーをトワイスアップで飲んでいる。
詩織さんは、僕の"おすすめで"という注文を聞くと、「かしこまりました」と答え、カウンターの後ろの棚に、所狭しと置かれた酒瓶をじっと見つめる。しばらく悩んだあと、丁寧な手つきで酒瓶を手に取ると、一本ずつ僕の目の前に置いていく。
今日のおすすめの3本についての紹介をひと通り聞いた後、僕は、ラベルが気に入った1本をを選択した。
しばらく、ウイスキーと詩織さんの一挙手一投足に酔いながらぼーっとしていた。
すると、カウンターの内側にある店の裏へと続く扉が開き、男が出てきた。
そいつは、僕を見つけるなり、「なんだ。南、来てたのか」と声をかけてきた。
男は、この店を紹介してくれた小林だった。
小林はいつのまにか、この店のキッキンとして働くようになっていた。
僕は、「ああ」と適当な相槌をうつ。
小林の手には、皿が2つ載っていた。
彼は、カウンターから出ると、テーブル席の2人組の女性の席へと、それを運んで行った。
「お待たせしました。蝦夷鹿のラグーソースパスタです」
「うわぁ、美味しそう。小林くんありがとう。そして、今日もイケメンね!」
女性客に声をかけられた小林は、恥ずかしがる様子もなく、「もう、何言ってるんですか。ハルカさんとチヒロさんも相変わらずお綺麗ですよ!」と軽口を叩く。
2人の女性客は、キャアキャアと黄色い声を出し、喜んでいるようだ。
「こんなオバさん口説いても何も出ないわよ?」と女性客が小林に絡む。少し酔っているようだ。
すると小林は、「そんなぁ。赤ワインのおかわりをお勧めしようかと思ったのですが……」と大袈裟な口調で続けた。
それを聞いた女性客は、愉快そうに笑うと、「じゃあ、おかわりもらおうかな?」と追加の注文をした。
なかなかやるもんだな、と思った。
小林はカウンターに戻ってくると、詩織さんに注文を伝える。
そして、僕の方に近づいてきて、小声で、「あんまり詩織さんを見つめ過ぎるなよ。穴があいたら大変だからな」と揶揄ってきた。
「うるさいよ。仕事に戻れよ」と答える。
彼は、「へいへい」と言って、店の裏へと戻っていった。
小林も、十中八九、詩織さんに惚れている。だが、恋敵だとは思っていなかった。
たしかに彼は、かなりイケメンだ。そして、コミュニケーション能力も高く、誰からも愛される人柄だ。彼がその気になれば、大抵の女性と恋仲になれると思う。
しかし、詩織さんは別だ。
詩織さんは、小林程度の男でどうにかなる相手ではない。それだけは確信があった。
事実、詩織さんが彼のことを男として見ていないことは、誰の目から見ても明らかだった。
だからこそ、僕は小林との友人関係を続けていられるのだと思う。それどころか、同じアイドルや歌手を追っかけている者同士に抱くような、ある種の仲間意識のようなものまで芽生えていた。
「さっき小林くんに何か傷つくようなこと言われた?」
突然、詩織さんに声をかけられ、びっくりして顔を上げた。
どうやら、物思いに耽っていた僕を見て、落ち込んでいるのかと勘違いさせてしまったようだ。
心の準備ができていなかったため、一言「いや……」と言ったきり、何も思いつかず、黙ってしまう。
内心焦っていた。
普段は、自分から声をかけることなど出来るはずもなく、見つめる事しかできなかったのだ。それが、今、詩織さんの方から話しかけてくれている。これは千載一遇のチャンスだ。
何か、何か話題はないか。
「今日も暑かったですね」
あまりに下手くそな話の始め方に自分でも驚く。
「そうね。今日も暑かったね」と詩織さんは、優しく微笑みながら返してくれた。
「こんな夜には、なんだか怪談が良く似合いますよね?」
この店に入る時に思った事を適当に述べる。
"怪談"
自分の言葉に閃きを得る。
「あ、そうだ。城ヶ崎さん。怪談では無いんですが、不思議な体験をした、というより現在進行形でしてるんです」
詩織さんの顔つきが急に変わる。
この店のオーナー兼マスターである詩織さんは、無類の怪談好きであり、夜な夜な客から怪談を蒐集したり、頼まれれば自ら語ったりしているのだ。
「不思議な体験?」
「はい。興味ありますか?」
詩織さんは明らかに、しかし静かに興奮していた。
「もちろん。良ければ聞かせて」
心の中でガッツポーズをする。
すると、視界の外から声がした。
「俺も興味あるな」
小林だ。
こいつは、怪談が得意じゃなかったはずだ。
「怪談苦手だろ?」
「いや、お前、さっき怪談じゃないって言ってたろ。怖い話じゃないなら全然オッケーよ」
一瞬、詩織さんとの二人の時間を邪魔しようとしてるのかと訝しんだが、こいつは、純粋が服着て歩いているようなやつだという事を思い出して、その考えを否定する。本当に、僕の話に興味があるのだろう。
「まぁ、お前が良いなら良いけど……」
そう言って、最近体験している不思議な出来事について、僕は語りだす。
*
僕は、保育補助として、とある保育園でバイトしているんですが……あ、保育補助というのは、保育士の指示のもと、保育業務全般を補助する人のことで、無資格でも働けるんです。
将来、保育士の資格を取りたいと思ってまして、その勉強の一環として……
ああ、話が逸れてしまいましたね。話を戻します。
うちの保育園は園庭がないので、歩いて5分程のところにある公園に遊びにいくんです。
その公園なんですけどね、月曜日だけ、砂場に変なものが置いてあるんですよ。
その、変なものというのは、積み木なんです。
個数は日によって違うのですが、大体三つから五つくらいの積み木が、積んであるんです。
それから、その積み木というのが、ちょっと変わっていて、なんというか、多面体の石のような形なんです。
園児たちが、口にでも入れたり、投げて怪我でもしたら大変なので、片付けるのですが、次の週の月曜日には、また、積み木が積まれているんですよ。
それで、いつからあるのかなって、ちょっと気になって、先々週の日曜日、この店で飲んだ帰りに、その公園に寄ってみたんです。
時間は大体、23時くらいだったと思います。
その時は、積み木、無かったんですよ。
で、次の朝、出勤前にちょっとだけ遠回りして、その公園に寄ってみたんです。
時間は7時くらいでした。
そしたら……
積まれてたんです。
つまり、毎週日曜日の夜の23時から次の日の朝の7時までの間に、誰かが積み木を積みに来てるんです。
*
「話は以上です。別に怖いってわけじゃないんですが、なんだか気味が悪いというか、不思議というか……」
話終わると、詩織さんは、しばらく考えこんでいたが、静かにこう言った。
「なんだか、賽の河原みたい……」
その瞬間、背中に嫌な寒気がぞわりと這う。
確かにそうだ。
まるで、賽の河原の石積みのようだ。
子供の亡者が、真夜中の公園で一人寂しく積み木を積む姿を想像する。
その、俯いた白い顔は、どんな表情をしているのか……
-りん-
どこか遠くで、鈴の音が響いた。
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