第11話 はっかく様 -解 三の幕-

 美術室に向かうため、5階の廊下をクラスメイトと並んで歩いている時、私はトイレに行きたくなった。


 隣を歩くクラスメイトに声をかけ、美術室とは逆方向、廊下の突き当たりにあるトイレへと急いだ。


 5階は、美術室や、家庭科室など、移動授業のための教室がまとめられており、ここのトイレは、あまり使われていない。ただし、噂話など、あまり人に聞かれたくない話をする時には、よく使われていた。


 ドアを開けて中に入る。


 案の定、誰もおらず、しんと静まり返っていた。


 私は、入口から1番遠い個室に入った。


 用も済んだので出ようと立ち上がった時、誰かがトイレに入ってくる気配がした。


 どうやら2人組のようだ。


 個室には入らず、洗面台付近で話を始めた。


「ねぇ、聞いた? 二組の萌、呪われたみたいだよ?」

「話ってそれかよ。でも、まじ?」

「まじ。例の紙が下駄箱に入ってたんだって。あの子さ、ちょっとわがままだったじゃん? 恨んでた子も結構いたんじゃないかな?」

「それで、萌はどうなったの?」

「それがさ、何にも起きなかったって」

「え、なにそれ。じゃあ、やっぱり呪いなんてないんだ?」

「いや、どうだろ。二年の先輩は、はっかく様に襲われたって聞くし、そのせいで学校辞めちゃうらしいよ」


 依里の話だ。


 後輩にまで依里の噂が広まっていたなんて。


 依里のあの時の目を思い出してしまう。


 鼓動が速くなる。


「直接襲われるなんて、その先輩何したんだろ? いじめとか?」

「分かんないけど、それに近いことはしてたんじゃない?」


 違う! 依里はそんなことしてない!


 勝手な事を言う、後輩たちへの怒りが湧いてくる。この扉を開けて、はっきり言ってやりたい衝動に駆られるが、ぐっと我慢する。


「でもさ、なんで萌は助かったわけ? あの子、全くの無実って訳じゃないでしょ? 千鶴なんて、あの子に泣かされてたじゃん」

「それがさ、らしいよ」

「は? 初耳なんだけど」


 私も初耳だった。


 呪いを解けるの?


 だったら、依里は……


「私も、友達から聞いたから詳しいことは分かんないんだけど、その人に聞いたら、呪いの解き方を教えてくれるんだって。萌は、その方法を試したから助かったんだってさ」


 誰なの? 呪いの解き方を知ってるその人というのは!


「で、誰なの? その人」

「いや、そこまでは知らない」


 心の底からがっかりした。


 もしかしたら、依里を助けてあげられるかもしれないのに。


「ちなみにさ、呪いがかけられてない場合は、その人に解き方を聞いても、そんなもの知らないの一点張りで、なーんにも教えてくれないらしいよ。本当に呪われちゃった人だけに教えてるみたい」


「でも、呪いがかけられてるかなんて、どうやって見分けんの?」


「さぁ? でも、呪いを解けるんだから、なんかしらそういう霊的な? 力があるんじゃない?」


 その時、予鈴が鳴る。


 私は意を決してトイレから出た。


「ねぇ、そこのあなたたち……」


 *

 その電話があったのは、小林くんと社を調査しに行った次の週の月曜日だった。


 私が開店準備をしていると、携帯に着信があった。画面には白石真琴とある。


 電話に出る。


「もしもし? 真琴ちゃん?」

「あ! 詩織さん! 良かった出てくれた!」

「どうかした?」


 その時、キッチンで在庫の確認と注文書の作成をしていた小林くんが戻ってきた。


「しおりさーん。確認を……」

 小林くんに目配せし、"あとで"と口の動きで伝える。


 小林くんは、黙って頷くと、キッチンに戻っていった。


「もしかして、詩織さん今忙しいですか?」

「ううん。大丈夫。それで、どうかした?」

「あのですね! 今日、学校で呪いを解ける人の噂を聞いたんです!」


 少し興奮気味だ。


 しかし、だって?


「まさか、真琴ちゃん……」

「違うんです! たまたまトイレで聞いてしまって。自分で調べた訳じゃないですよ!」

「ならいいけれど……」

「もしかしたら、詩織さんの役に立つかなって思って話しておこうと思ったんです」

「そういうことね。分かった。じゃあ、その噂っていうのを聞かせてもらえる?」


 真琴ちゃんは、今日聞いた呪いを解く方法に関する噂を話して聞かせてくれた。


 終始興奮気味で、何か良からぬ事を考えていないかと、心配になる。


「ありがとう。少し考えてみるね。それから、これ以上は……」

「分かってます。危ないことはしません」


 すこし、ほっとする。


 その後、二言、三言、会話を交わし、電話を切った。


 電話をきった私は、正直混乱していた。


 あの呪いは発動しない可能性の方が高い。


 それなのに、呪いを解いて回っている何者かがいる。


 社に祀られている何者かによって、本当に呪いが発動してしまっていて、それを呪術の心得がある者が、助けているのか?


 しかし、あの呪いが偽物だとしたらどうだ?


 そもそも解く必要のない呪いを解けると吹聴する目的はなんなの? ただ、力を誇示したいだけ?


 だとしたら、女性徒の話にあったように、"無関係の人間には、解呪の方法がある事を秘密にする"とは考えにくい。


 そのとき、ひとつのアイデアが浮かんだ。


 もし、解呪して回っている人間と、あの呪いを作った人間が同一人物だとしたら?

 としたら……。


 嫌な予感がする。


 この呪いを作った人間は、呪殺の儀式を、それとは解らぬようにした上で、年端もいかぬ子供たちの間で流行らせるような奴だ。絶対に碌でもない目的があるはずだ。


 バックバーの下段にある棚の中から黒いファイルを取り出し、その中から目的のものを探す。


 どこだ……


 確かこのページに……


 見つけた。


 私はファイリングされた一枚の名刺を取り出す。


 T大学 教養学部 教養学科

 文化人類学専修 教授

 山下 登


 普段は、お客さまに自分から連絡する事は、絶対にしない。


 しかし--


 山下さんは、大体金曜日の夜に飲みにくることが多い。今日は月曜日だ。


 五日も待っていたら取り返しのつかない事になる気がした。


 そして、私のこういう勘はよく当たる。


 名刺に記載されるアドレス宛に、相談したいことがある旨を連絡した。


 運のいいことに、すぐに返信が来た。


 出来れば直ぐにでも相談をしたかったのだが、開店時間の二十時が迫っていたため、明日の午前中の空いた時間に、電話をいただく事になった。


 一限の講義のあと、自分の研究室に戻る。


 自席の机の上の採点中だったレポートの束を脇に寄せつつ、机の上に出しっぱなしになっていたマグカップを手に取る。


 備え付けの水道で簡単にマグカップを濯いだあと、大学の生協で購入した安物のインスタントコーヒーの粉を適当に入れる。


 電気ケトルの電源を入れ、研究室を見渡す。今日は誰もいないようだ。


 ケトルからお湯を注ぐと、安い割に立派なコーヒーの香りが立ちのぼる。


 水切り台に刺さっていたティースプーンを手に取り、コーヒーを攪拌する。

 ティースプーンを軽く水で流して、彼の万年床である水切り台に放り込んだ。


 自席に戻り、コーヒーをひと口。


 深いため息をつく。


 今日は、教授会のある、一週間で一番憂鬱な火曜日である。


 しかも、近々、学長の任期満了に伴う学長選挙が実施される。今日の教授会にもその議題が含まれていた。


 ドラマのような殺伐とした派閥争いなどは起こらないが、水面化での静かな戦いは繰り広げられるわけで、その戦いに、教授というだけで否応なしに巻き込まれるのだから、たまったものではない。


 教授会まで、あと一時間程は余裕があるため、詩織さんに連絡する事にした。


 PCのメーラーを、立ち上げながら卓上の電話を手にとる。


 メールを開いて、そこに記載されている、彼女の店の番号をプッシュする。


 二コールほどで、彼女が電話に出た。


「もしもし。山下です」

「ああ、山下さん。申し訳ありません。お忙しいところ」

「いえいえ、今日は暇ですから、大丈夫ですよ。例の件、何か進展があったとか」

「ええ。そうなんです。手短にお話ししますと……」


 詩織さんは、例の学校で流れている、"呪いを解ける人がいる"という、もう一つの噂話を聞かせてくれた。


「私には、この呪いを作った人間と、解いて回ってる人間が同じ人間な気がしてならないのです。でも、わざわざ呪いかけておいて、それを解く理由が、私には分からなくて……」


 私には、ひとつ、心当たりがあった。


 しかし、もし、そうなのだとしたら……


 この術者は、本物の悪魔だ。


 私は、あくまで、可能性の一つだと前置きをしつつ、話を始めた。


「この前、人を呪う場合は、相手に知られてはならない、というお話をしましたね。しかし、強力な呪い、それこそ呪殺の呪いなどは、なかなか遠隔ではかからないと考えられてきました。強力な呪いをかけるためには、やはり、対象者と対峙して直接かけるのが手っ取り早い。しかし、呪われると分かっていて、のこのこと術者の前に出て行く馬鹿はいません。そこで、考えられたのが、次のような方法です」


 彼女は、静かに聞いている。


「まず、対象者になんらかの呪いをかけます。その後、対象者に近づき、呪いがかけられている事を教えるのです。そして、こう言います。"私がその呪いを解いてあげよう"と」


 彼女が息を呑むのが聞こえる。


「分かりましたか? そうです。術者は対象者の呪いを解くふりをして、さらにのですよ」

「だとしたら……」


 彼女の声は、少し震えていた。


「だとしたら、この術者の本当の狙いは、呪いを解いてほしいと頼ってきた子たちに、本物の呪いをかけること……。いや、違う。この術者は、山下さんの見立てどおりなら、呪術なんて扱えない。でも、依里ちゃんは実際に襲われている……。これが呪いじゃないのなら……術者の本当の目的は……そうか! 子供たちに、直接危害を加えるためか! そして、襲われた子たちは、はっかく様の呪いと信じて、術者を疑わないどころか、さらに頼るしかなくなる……。この術者こそ、はっかく様の正体か! なんておぞましい!!」


 彼女の声は怒りに震えていた。


「あくまで、可能性のひとつですよ。もちろん、本当に呪いが発動してしまっていて、それを知った力のあるものが、助けているという可能性もゼロではありませんし、ただ、面白がって術者ごっこに興じている子がいるというだけかもしれません」


 そういうと、彼女は少し落ち着いたようだった。


「そうでしたね。すみません。興奮してしまいました。とにかく、もう少し考えてみます。大変参考になりました。ありがとうございます」

「いえ、お力になれて良かったです。またいつでも連絡ください」


 そう言って、受話器を置いた。


 そうは言ったものの、私も彼女と同じ意見である。


 この術者こそがはっかく様だと思う。


 これ以上、被害が出ない事を祈った。


 開店準備中もずっと自分の仮説が頭を離れない。


 どうすればいい?


 警察に相談するか?


 しかし、まだ仮説に過ぎず、証拠は何もない。そんな状況で、警察が動いてくれるとは思えなかった。

 

 なんでも良いから情報が欲しい。

 

 社の写真でもあれば何かの手がかりになるか?真琴ちゃんに撮ってきてもらうか?

 

 いや、だめだ。彼女を危険に晒すわけにはいかない。


 もう、店を開けなければならない時間だ。気持ちを切り替えなくては……。


 その時、店の扉が勢いよく開いた。


 そこには、今日はシフトの入っていないはずの小林くんが立っていた。


「どうしたの? 今日、お休みのはずよね?」

「詩織さん! 大変です! 真琴ちゃんが!」


 全身に冷水を浴びたかのような衝撃。心臓が早鐘のように鳴る。


「真琴ちゃんがどうしたの!?」

「さっき、ゲームに誘おうと思って、連絡したら、今日は忙しいって言われて。様子が変だなって思って聞いてみたら、自分で自分に呪いをかけたって! それで、今から、呪いの解き方を教えてもらいに行くって言ってて……。俺、ちょっと心配で。呪いなんて偽物ですよね!?」

「真琴ちゃんは、これから、呪いの解き方を教えてもらうって、そう言ってたの? それ何時くらいの話?」


 最悪だ。


 もし仮説が本当だったら……。


 悪い想像を無理やり頭から締め出し、小林くんを問い詰める。


「えっと、確か、十八時半くらいだったと思います」


 今から、一時間も前か。


「なんで、もっと早く連絡しなかったの!!」


 つい、語気を荒げてしまった。


「連絡しましたよ! 携帯に! でも返信がなかったんで、こうやって直接伝えにきたんです」と泣きそうな顔で言う。


 確かに、考え事をしていたせいもあり、店に来てから携帯を確認していなかった。


「ごめんなさい。どうかしてた……」


 落ち着こう。


 まずは、玲子さんに電話をして、真琴ちゃんが無事な事を確認しよう。


 携帯をどこに置いたか思い出そうとしていた時、小林くんが小さな声でつぶやいた。


「それで、あの、真琴ちゃん、呪いの儀式をした時、ついでにって、お社の写真を撮ったみたいで、何かの参考になればと、送ってくれたんですが」

「なんですって!? ちょっと見せて!」

 携帯を引ったくり、社の写真を確認する。


 驚愕した。

 

 そんな、そんなまさか。


 しかし、この特徴的な鎧壁は……これは—


 だ。


 確かに、百葉箱を教えない学校もあると聞くため、今の子が知らない可能性は十分に考えられる。


 これが社の正体ならば、こんなものに神や妖が住まうわけがない。


 やはり呪いは偽物だった。


 しかし、何か引っかかる。


 なんだ……。


 その時、店の固定電話が鳴り響いた。


 嫌な予感がして、恐る恐る通話ボタンを押す。


 予感は的中した。


 電話をしてきたのは玲子さんだった。


「もしもし、詩織?そっちに真琴行ってない?あの子、まだ学校から帰ってないのよ」



 全身から冷や汗がどっと吹き出す。


 やはり、仮説は正しかったのだ。


 真琴ちゃんが危ない……!


 何から説明したら良いか、分からない。


 頭がパンクしそうだ。


「玲子さん、落ち着いて聞いてください。真琴ちゃんは今、依里ちゃんを襲ったもの、生徒たちの間では"はっかく様"と呼ばれる者に捕まっている可能性が非常に高いです」


 玲子さんが大きく息をのむ。


 そして、次の瞬間、予想外の言葉が飛び出した。


「今、"はっかく様"って言った!? 私、そいつを知ってる!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る