第10話 はっかく様 -解 二の幕-

 ここは東京近郊のK市


 市名と同じ駅名のK駅の改札に女性が1人。


 濃紺の髪を後ろでまとめ、柔らかいシルエットをしたノーカラーの白のブラウスに、黒のスキニーパンツに白いスニーカー、肩から小さめのショルダーバッグといった出立ちで、静かに立っている。


 シンプルな出立ちながら、明らかに周囲の人間とは一線を画す洗練された美しさを身に纏っており、休日の雑踏の中、明らかに浮いていた。


 スタイルもさることながら、その均整の取れた美しい顔は、肌の白さも相まってまるで彫刻のようであり、道ゆく人は皆、彼女を盗み見ながら、通り過ぎていく。


 大学生と思しきグループの中の1人の不埒な男が、スマートフォンを取り出し、彼女を隠し撮ろうとした瞬間、K駅の改札内から、大きな声がした。


「しおりさーん!!」


 道ゆく人たちが一斉にそちらを振り向く。


 そこには、いかにも今時のイケメンと言った風貌の男性がいて、大きく手を振りながら、駆けてきたのだった。


 駅改札口の雑踏のなか、小林くんを待つ。


 まだ6月の前半だというのに、アーケード内は蒸したように暑く、じわりと額に汗が滲む。


 スカートか幅広のパンツにすれば良かったかと少し後悔する。


 まぁ、この後、M女子学苑までは路線バスが出ているし、長時間歩くこともないから良いかと諦めた。


 それにしても、小林くんの到着が遅い。約束の時間をすでに20分程過ぎている。


 待たされる事自体は、そこまで嫌では無いが、なんの連絡もない事に気を揉んでいた。


 何かあったのではないか?


 10分前くらいに、無事を確認する連絡を入れた。しかし、未だ返信がない。


 寝坊して、まだ家で寝ている可能性も考慮して、そろそろ電話しようかと携帯電話を取り出した時、小林くんの恐ろしく大きい声がアーケード中に響き渡った。


 道ゆく人が皆そちらを振り向く。


 正直、そのまま私以外の誰かの元に駆けて行ってくれないだろうかと考えるが、彼は、真っ直ぐ私の元に息を切らしてやってきた。


「詩織さん、すみません。駅でおばあちゃんを助けていたら、遅くなっちゃいました」


 遅刻の言い訳としては、ベタ中のベタであるが、この小林琢磨は、底抜けに他人に優しく、こういった慈善行為を、さも当たり前かの様にする人間であり、私自身もその姿を何度か目撃している。だから、きっと本当のことなのであろう。


「それは、大変だったね? でも、遅れる連絡くらいできたでしょう?」


 そう、嗜めると、彼は、叱られた子犬のような目で私を皆がら、「昨日、ゲームしたまま寝落ちしちゃって、充電してなくて、連絡しようと思ったら、携帯死んでたんです……」と言い訳をした。


 まぁ、別に怒っているわけではないので、それ以上追求はしなかった。


 今日の目的地は、M女子学苑である。もちろん、儀式場である社を確認しに行くためだ。


 当初は1人で調査に行くつもりだったのだが、うっかり口を滑らせ、小林くんにその計画が知られてしまった。


 彼は、持ち前の正義感で、私に何かあったら大変ですから、僕もついていきますと聞かず、仕方なく、こうして待ち合わせをしたというわけである。


「さて、それじゃあ、行こうか?」と小林くんに声をかけ、M女子学苑を通る、F駅行きの路線バスのバス停に向かって歩き出した。


 小林くんは、私の右側にやけに接近して付いてきたかと思うと、身をかがめて、小声で話しかけてきた。


「詩織さん。さっき駅で、詩織さんのこと盗撮しようとしている人がいました。気をつけてくださいね。咄嗟に大きな声を出して、注意を逸らしたんで、多分撮られてはないとは思いますが……」


 なるほど、あの恥ずかしい行動にはそういう意図があったのか。


 誰に写真を撮られようと、あまり気にしないたちなのだが、私を思っての彼の行動には、感謝した。


「そう? 気がつかなかったな。でも、ありがとう」

「ところでM女子学苑はここから遠いんですか?」


 小林くんが聞いてくる。


「いや、そんなに遠くないよ。K駅とF駅のちょうど中間くらいにあって、歩いても、30分くらいだと思う。バスだと10分から15分くらいかな」

「そうですか……」


 なぜか小林くんは残念そうだった。


 バスに揺られることしばらく。


 M女子学苑のバス停に到着し、私たちは学苑の校門の前に立った。


「なんか、お嬢様学校と聞いていたので、もっとでかい校門を想像してました」と小林くんが率直な感想を述べる。


「ここは、敷地の北西の角にある、裏門だからね。正門は南側の幹線道路沿いにあるみたいよ」

「なるほどねぇ。じゃ、早速いきましょうか!」


 小林くんは、校門に向かって歩き出した。


「ちょっと、小林くん! 何してるの?」

「何って、お社を見に行くんですよね?」


 そう言って、不思議そうな顔をする。

 まさか、入ろうとしているのか……。


「あのねぇ、小林くん。大学じゃないんだから、部外者が学校に入れるわけないでしょ? それにここは女子校よ? 普通の学校よりもさらにセキュリティは厳しいんだから」


 そういって、校門の右側、ポールの先に取り付けられている監視カメラを顎で示す。


「じゃあ、どうするんですか?」

「覗くしかないでしょ。こっちきて。」


 そう言って、校門の角を左に曲がり、校舎

の北側の道に入る。


 この道は、バス通りではないため、車通りも少ない。左手側、すなわち学苑側には煉瓦造りの二メートルほどの高さの塀が、ずっと先の方まで続いている。流石、小中高一貫校と言ったところで、その敷地は、大学のキャンパス並みに大きいようだ。


 塀の内側には、木が植えられており、ちょっとした雑木林のようになっている。


 道路を挟んだ向かい側にも、学校と思しきも敷地が広がっており、遠くに見える建物のデザインを見る限り、おそらく、大学である。この近くだと聞いているT大学の敷地なのだろう。道路に面した大学側の敷地にも、木が植えられており、鬱蒼とした林が広がっている。


 つまり、このM女子学苑の北側の道路は、両側を雑木林で囲まれているのだ。


 そのため、夏だというのに、薄暗く、ひんやりしていた。


 何かが出そうだと思った。


 学苑の塀に視線を戻すと、塀の上には、複雑な意匠をこらした金属製の柵が設けられている。しかし、煉瓦塀を登れば、柵の間から中の様子が覗けそうである。


 真琴ちゃんの話では、初等部の校舎の裏に、例の社があるということだった。


 学苑側の歩道からでは、煉瓦塀が邪魔をして、建物が見えなさそうである。


 そこで、車道を渡って、大学側の歩道から学園を見渡すことにした。


 学苑を見渡すと、先ほど曲がった角から百メートル程、進んだ先に、校舎と思われる白い建物が雑木林越しに見えた。


 学苑側の歩道に戻り、その建物の位置まで歩き、塀の前で止まる。


 小林くんは、何も言わずに、黙ってついてきた。


 さっと左右に目走らせ、人や車が居ない事を確認する。上を見上げても、監視カメラは確認できなかった。


 肩からショルダーバッグを外して右側に置く。


 塀から数歩後退し、助走を付けて跳び上がり、左足で煉瓦塀を蹴る。


 そして、めいいっぱい手を伸ばして塀を掴もうとしたが、後少しのところで届かなかった。


 もう一度飛ぼうと思って塀から離れる。


 走り出した瞬間に、小林くんに止められた。


「ちよっと、ちょっと、詩織さん! 何やってるんですか! ブラウス、汚れちゃうし、最悪破れちゃいますよ!」

「コツを掴んだから、大丈夫。次は登れるよ。」

「大丈夫じゃないですよ! もう! ちょっとこれ持っててください」


 そう言って小林くんは、胸に背負っていたボディバッグを脱ぐと私に渡してきた。どうやら、彼が挑戦するらしい。


 彼は助走もせずに、軽々と跳び上がり、塀の上部を掴んだ。


 それから、懸垂の要領でぐっと体を持ち上げ、塀の中を覗き込んだ。


 塀の内側が見えているであろう、小林くんに声をかける。


「どう? お社みえる? 白くて四角い形をしてるらしいのだけれど」


 小林くんに、声をかける。


 彼は、左右に頭を振りながら、確認する。


「いや、見えませんね。なんか、用具入れかな? 小さめのプレハブ小屋みたいなのは見えるんすけど」


 もう少しよく見て、と声をかけようとした時、左手側から、男性の怒鳴り声が聞こえた。


「ちょっと、あんたたち! 何してるんだ!!」


 咄嗟に声がした方を振り返ると、学苑の用務員と思われる男性が、箒と大きなちりとり、ビニール袋を手に持って走ってきた。


 足元で、「いてっ」っと声がしたので、そちらを見やると、小林くんは、驚いた拍子に手を離してしまったらしく、塀から落下して尻餅をついていた。


 用務員の男性は、そのまま私たちのところまで来ると、にらめ付けながら、「あんたたち、何してるんだ」と、再度聞いてきた。


「すみません。この学苑の職員の方ですか?」


 そう言いながら、言い訳を考える。


 それと同時に、この用務員を素早く観察する。


 用務員は、中肉中背で、40代後半から50代前半だろうか。白髪が混ざった頭髪をオールバッグにしている。銀縁の細い眼鏡をかけており、作業着を着ていなければ、教師と言われても納得するような、どこか知的な印象を受ける顔立ちである。


 薄い水色をした作業着は、こまめに洗濯しているのだろう、それほど汚れてはおらず、清潔感がある。


 作業着の胸元には、彼の名と思われる"Isumi"という文字が黒字で刺繍されていた。


「そうだが?」と怪訝な目をしたまま、彼が答える。


 それが、この学苑の職員であるか、という私の問いへの回答だという事を理解するのに一瞬かかったが、すぐに、「良かった。ちょっとお伺いしたいことがありまして、あ、いや、申し遅れました。私、城之内美織と申します。」と続ける。


 咄嗟に偽名を使ってしまった。


 話しながら、次の言い訳を考える。


「私、K駅で、高校受験専門の塾を経営しておりまして、こちらは、うちの講師である大森くんです」


 そういって、小林くんを紹介する。


 それに合わせて、彼は、用務員の男性に深々とお辞儀をした。


「で? その塾の先生が、なぜ覗きを?」


 男性はまだ警戒しているようである。


「実は、この大森くんの受け持つ生徒さんがですね、今年、この学苑を受験する事を考えておりまして。ですが、ある日、その子が、受験をやめると言い出したんです。よくよく話を聞いてみると、この学苑に通ってらっしゃる生徒さん……うちの塾の卒業生なのですが、その子に、ある噂を聞いたとかで……」


 男性は、眉をピクリと動かす。


 彼は、何か知っているかもしれない。


「なんでも、生徒の間で、ある、おまじないが流行ってるそうで、学校にある古いお社で儀式をすると、嫌いな子に不幸が訪れるとか。実際に、転校してしまう子も出たという話も聞いたようで、うちの生徒がひどく怯えているのです。我々としても、事実を確認したく、こうして今日、学校に、話を伺いにきたのですが、ただの噂なので、取り合ってもらえず、門前払いでした。このまま帰るわけにもいかず、悪いことは知りつつも、本当にそのお社があるのかだけでも確かめようと、覗いていた訳なのです。申し訳ありません」


 男性は、顔色を変えずに、「そうですか。次、変な事をしたら、警察を呼びますからね」と言い、その場を離れようとした。


 この男は何か知っている、そう直感した私は、彼を引き止める。


「ちょっと待ってください!」


 男性は、苦々しい顔をしながら、振り返る。


「なんですか?」

「この噂は、本当なんですか?」

 私が聞くと、男性は、一瞬諦めたような顔を見せた後、こちらに向き直り、「そのような噂が流れているのということは、聞いたことがあります」と答えた。

「では、転校してしまう子が出たというのは?」

「それは知りません。私は教師ではないので。でも、いたとしても、多分偶然でしょうね。呪いなんてある訳ない」

「そうですよね……。ちなみに、その、お社というのは、本当に、あるのでしょうか?」


 男性は答えるべきか悩んだのか、一瞬押し黙ったのち、低い声で答えた。


「ええ、


 それがなんなのか、聞こうと口を開けかけると、男性はそれを遮るように続けた。


「でも、私がこの学園に来たときには既にありましたし、ずいぶん古いようなので、私も含めて、誰もその所以を知らないのです。ですから、これ以上、お答えできることはありません」


 社のことに限らず、もう何も聞くな、ということであろう。


 これ以上粘っても、仕方ないと思い、引き下がることにした。


「分かりました。ありがとうございます。我々はこれで失礼します」


 そう言って、小林くんと2人で、バス通りに向かって、来た道を戻る。


 やはり、この学苑には、なんらかを祀っている社は存在するようだ。


 そこに住まう得体の知れない何者かが、呪いを実行しているということなのか……。


 バス通りに戻る道すがら、もう一度後ろを振り返る。


 一陣の風が吹き、夕日に照らされた赤い雑木林がざやざわと泣く。まるで、この学苑に巣食う巨大な悪意の塊が蠢くかのようだ。


 葉擦れの音に混じって、油蝉の鳴き声が微かに聞こえる。


 今年の夏が早くも到着したようである。

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