第9話 はっかく様 -解 一の幕-
真琴ちゃんの話を聞いた後、ココアを入れ、彼女が落ち着くまで少し話をした。
途中からは、空気を読んで離席してくれていた小林くんも加わり、3人で他愛のない会話をしていた。
しかし、初対面なのに真琴ちゃんは、随分と小林くんに心を開いている様子である。
彼は、無意識に人心を掌握する能力があるようだ。
なにやら先程から、また、2人で携帯のゲームについて話をしているようである。私は話についていけないので、黙って聞くふりをしながらひとり考える。
予想はできていたものの、やはり呪いの類だとは……。正直骨が折れる。
怪談の恐怖の根源は、「得体が知れないこと」、「実害があること」、「悪意が存在していること」の3つであるが、呪いの怪談は、この3つの要素の全てを網羅する。
しかも、呪いにおける、「悪意が存在していること」は、少々特殊で、取り扱いが難しい。
通常の怪談であれば、悪意を持っているのは怪異側である。恨めしいとか、未練があるなどで、生者を害そうとする。しかし、呪いの場合、悪意を持っているのは、生きている人間の方である。
なぜ、この人間の悪意が殊更、取り扱いが難しいのかと言えば、確実に存在するである。
怪異が持つ悪意と怪異の存在感は表裏一体であり、通常の怪談において、怪異とそれが持つ悪意は同時に扱うことができる。怪異の存在が否定されれば、その怪異が持つ悪意も消えてなくなる。
しかし、呪いの場合は違う。仮に呪いが無効になっても、呪いをかけようとした人間の悪意がなくなるわけでは無い。したがって、呪いを扱う場合は、怪異が存在する"夜"の領分と、我々生きた人間が存在する"昼"の領分の両方に対処する必要がある。
私は、昼と夜をそれぞれ別々に取り扱うことは出来ても、同時に取り扱うことに慣れていない。やはり、専門家の助けがいる。
私は、民俗学者で、主に日本の呪術を専門としている山下さんに意見を聞くことに決めた。
……さん? ……おりさん! 詩織さん!
真琴ちゃんの声で、現実に引き戻される。
「大丈夫ですか? なんか、ぼーっとしてましたけれど……」
真琴ちゃんが心配そうな顔で見つめていた。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしていただけ」
そう言って、微笑むと、彼女は少しだけ安心したようだった。
「私、そろそろ帰りますね」と真琴ちゃんが立ち上がる。
時計を見ると、17時を回ったところだった。
そろそろ、我々も開店に向けて準備をしなければならない。
「そうだね。引き止めてしまってごめんなさい。呪いの件はちゃんと調べるから任せてね。真琴ちゃんは、さっき約束したこと、忘れないで?」
これ以上、関わらないように釘を刺す。
彼女は、分かりましたと返事をした。
出口まで小林くんと見送る。またね、と声をかけると、彼女はぺこりとお辞儀をして、「今日はありがとうございました。あと、ご馳走様でした。料理美味しかったです!」とお礼を言ってくれた。
私が何か言う前に、隣の小林くんが、答える。
「はいはーい、また食べにおいで! 今度は、真琴ちゃんの好きなオムライス作るよ! あと、今度クエスト一緒に行こうね? 連絡するからー!」
この男は、いつの間に連絡先を交換したのだと少し驚いたが、基本的には彼を信用しているので、その場では追及しないことにしたが、後で釘は刺そうと思った。
「うん。またおいでね?」と私も小さく手を振った。
彼女が、小さくなるまで見送りつつ、隣にいる小林くんに、「相手は女子高校生だからね。傷つけるようなことしちゃダメよ?」と釘を刺す。
当の本人は、"傷"の意味をちゃんと理解しているのかいないのか、「もちろんですよ! 俺、基本的に女性には優しいですから!」と答えた。
それから開店の準備をして、お店を開ける。
出来れば今日中に山下さんと話をしたかったが、彼は店に現れなかった。
次に、彼が来店したのは、それから2日後のことだった。
*
通いなれた地下への階段を降りる、一歩一歩歩を進めるたびに、怪異達の領分である"夜"に近づいていく気がする。
階段の最奥には、黒檀の扉。"夜"への入り口である。
扉の向こうから、無言の重圧が滲み出し、ぐぐぐっと押し戻されるような、そんな威圧感を感じる。
何度来ても、この黒い扉には慣れない。
飲食店にも関わらず、この人を寄せ付けない扉を選ぶオーナーのセンスを疑うが、これがなかなかどうして、新規顧客は右肩上がりで増えている。
ひとえに、オーナーの彼女の人柄と、バーテンダーとしての腕前の成せる技なのだろう。かくいう私も、彼女の虜なのである。
ノブを回して扉を開けると、意外なほど扉は軽く、店内へ倒れ込みそうになる。このギャップにも、なかなか慣れない。
「いらっしゃいませ。来てくださって良かった」
オーナー兼マスターの城ヶ崎詩織が変わらない笑顔で迎えてくれた。
いつもの、カウンターの最奥の席に通してくれる。
"来てくれて良かった"と、わざわざ言うということは、何か話があるという事か。大体の察しは着くので、お絞りを受け取りながら、「あの話かい?」と尋ねる。
彼女は、「はい。想像どおりでした」と答えた。
やはり、彼女の師匠、白石さんと言ったか、の娘さんが巻き込まれている案件とは、呪いのことだったか。
"仇討ちしたい"なんて言い方をするものだから、人間の悪意が介在する怪談だと予想はできたし、そんな怪談は、十中八九、呪いの類だ。
彼女は、いつものジンフィズを作り、カウンターに置いてくれる。その時、彼女は紙製コースターも一緒に差し出した。
裏面を見ると、彼女の手書きで文字が書いてあった。
"今日は、お店を十一時で閉めます。その後お話を聞いていただけますか?"
このBARに来れば、大抵、日付がかわるくらいまでは飲んでいるし、今日もそのつもりであったため、断る理由がない。
私は、彼女を見て無言で頷いた。
彼女は、軽く会釈をして、礼を示してくれた。
閉店までは、まだ、一時間近くあるので、いつもどおり、ゆっくりこの時間を楽しむことにした。
私以外の客とキッチンの小林くんも帰り、店内には彼女と二人きりになった。
「山下さん、お時間取らせてしまって申し訳ありません。お礼と言ってはなんですが、今日のお代は結構ですから」
彼女は、そう申し出てくれだが、流石に気が引けたので断る。
「いやいや、そういう訳には、私は今までの時間、いつもどおり楽しませていただきましたから」
「それでは、私の気がすみません。では、ここまでのお代は、頂戴いたしますので、これから先の分は全てサービスとさせていただくのはどうでしょう? 専門家の知識をお借りするのですから、対価を支払うのは当然ですし、山下教授が専門とされる呪術においても、等価交換は最も基本的な原理なのではないでしょうか?」
彼女は若い割に、なかなか詰将棋のような交渉の仕方をしてくる。ここは、折れるしかなさそうである。
「分かりました。そうしましょう」
「ありがとうございます。では、お話の前に、おかわりの注文をお聞きします」
「では、いつもので」
彼女は微笑みながら「かしこまりました。」といって、手際よく、ジンフィズを作ってくれた。
「それで? どんな話でした?」
「そうですね……呪いなのは間違い無いのですが、この呪いが有効なものなのか、はたまた、ただの"ごっこ遊び"なのか、ご意見を伺いたいです」
そう言うと、彼女は、はっかく様なるものを使役して相手を呪う儀式について話してくれた。
「学校で流行っている怪談と、儀式の作法については以上です。それで、儀式中に唱える呪文はこれなんですが……」手書きで書かれたものを見る。
はっかくさま
はっかくさま
どうかねがいをかなえてください
そのこをないりにおくってください
くびはあなたにさしあげます
はっかくさま
はっかくさま
どうかねがいをかなえてください
そのこのくびをさしあげます
なるほど、この呪いは、効かない。
十中八九、素人が考えた適当な儀式である。
どこから話を始めるべきか。
とりあえず、基本的なことから解説することにした。
「詩織さん。この呪いの儀式は、十中八九、素人が考えたものです。故に、発動しないと考えられます。ただし、例外もあります。まぁ、それについては、後で話しましょう」
詩織さんは、少しほっとしたような顔をした。
「まず、基本的なことですが、呪術というのは、術者が発動する効果を知っていることが大前提です。何事も、目的が先にあって、それにあった手段を選択する、という順番です。呪術も同じで、"雨を降らせたい"から"雨乞いの儀式をする"のです。術者が、発動する効果を知らずに使用することなどあり得ないのです」
「つまり、この呪いの本来の効果と、生徒たちが認識している"罪の大きさに応じて罰を与える"という呪いの効果が乖離していると言うことですね?」
「そうです。ちなみに、M女子学苑は、仏教系の学校では無いですよね?」
「ええ、違ったと思います。それが何か関係が?」
「良いですか?呪文のこの部分、"そのこをないりにおくってください"、これがこの呪いの本来意図した効果だと考えられます。そして、この一文は、こう言う意味です」
そう言いながら、彼女から手渡されたメッセージ入りの紙製コースターを上着の内ポケットから取り出し、漢字変換した呪文を書き込んで見せた。
その子を泥梨に送ってください
「この、"泥梨"というのはですね、仏教用語で、別名を"奈落"、すなわち、地獄のことなんです」
詩織が眉間に皺を寄せる。
「やはり、呪殺の儀式でしたか。なんとなく、そんな気がしたのですが、確信が持てなかったのです」
「明らかに、この儀式を作ったものは、相手を呪い殺す意図があったはずです。そして、仏教の知識がある人間がこの呪術を作った可能性が高い。"泥梨"という言葉は一般的には知られていませんから。"奈落"の方を使っていれば、誰が見ても呪殺の儀式だと分かったのでしょうが」
「でも、山下さん。それでは、まるで…」
彼女は何かを察したようだ。
「そうです。この呪いは、本来の効果を隠す意図がみえるのです。何も知らない者に、呪殺という恐ろしい行為をさせようとする、底知れぬ恐ろしさがあるのです」
そんな事を平気でやろうとする人間がいるとしたら、それは、化け物である。
ますます、彼女は険しい顔になる。
無理もない。自分の知人が、しかもまだ年端もいかない子供が、こんな恐ろしい悪意に満ちた遊びに巻き込まれているのだから。
「他にも、例えば、この儀式には、術者側が支払うべき"贄"が無く、ノーリスクで呪いをかけられるなど、これが素人の作った儀式だと判断できる点はいくつかあるのですが、決定的な点がもう一つあります。この儀式は、形代、人型の紙を対象者に渡すことで呪いが成立しますよね?つまり、対象者に呪いをかけた事をわざわざ教えているのです。これは、明らかにおかしい。古今東西、さまざまな呪術がありますが、その中でも、対象者を不幸にする類の呪いは、対象者に呪いをかけている事を秘匿するのが基本です。何故なら、呪いというものは、解いたり、返したり、対処できるものなので、呪いをかけた事を相手に悟られれば、最悪、自分にその呪いが返ってくるのです」
「なるほど……。ありがとうございます。この呪いが偽物である可能性が高いということは、分かりました。しかし、先程、山下さんは例外的に発動してしまう事があるとおっしゃっていましたが、それはどのような時ですか?」
「その可能性は二つです。一つは、対象者が呪われている事を知り、精神的苦痛により不調をきたす場合、二つ目が、儀式を行うその社に、本当に忘れ去られた神、またはそれに近い妖がいて、好意で願いを叶えてしまう場合です。私の本分は学者ですから、二つ目については否定的な立場を取るべきなのでしょうが、詩織さんも知ってのとおり、私は見えてしまうので、そう言った可能性を完全には否定できません」
「なるほど。やはり、儀式の場であるお社は、二つ目の可能性を潰すという意味でも調べたほうがよさそうですね」
「そう思います」
彼女は、少し明るい声色になって、「ありがとうございます」といった。
その後、もう一杯ぜひどうぞと勧められ、断りきれなかった私は、結局、十二時過ぎまで、飲んでしまった。
帰りがけ、そう言えばと、雨女の怪談聞いていた、例の彼はどうなったのかと聞いた。
彼女曰く、自分が死んでいた事に気がついたときは、動揺していたが、結局納得したようで、お礼を言って出て行ったらしい。それ以来お店には一度も来ていないらしい。
私は、彼の冥福を祈りながら、「夜行」を後にした。
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