第8話 はっかく様 -邂逅-

 真っ黒い扉の前に立つ。


 扉に取り付けられている、金色の金属製のプレートには「夜行」と書かれている。


 なんとなく、ファンタジー映画に出てくる異世界と繋がる扉のようで、ちょっと怖い。


 意を決して、扉を開く。


 店内のカウンターの内側に、詩織さんがあの頃と変わらない笑顔で立っていて、ほっとした。


「いらっしゃい。真琴ちゃん。久しぶりだねぇ。ここ座って?」と、詩織さんの目の前のカウンター席を示した。


 そこには、reserveと書かれた金属製のプレートが乗っていた。


 席に座ると、「お腹空いてるでしょ? 今日は、私の奢りだから好きなもの頼んで?」とメニューを差し出してくれた。


 詩織さんは相変わらず、とんでもない美人で、どぎまぎしてしまった。


 私の相談に乗ってもらうために、無理を言ってお昼に開けてもらっているので、他にお客さんはいない。


 メニューのパスタの欄の中から、ボンゴレビアンコを注文した。


 詩織さんは、「了解!」というと、カウンター内の右奥の扉を開けて、「小林くん! ボンゴレビアンコ2つ! あ、小林くんもお昼まだだったら、食材使っていいからね?」と声をかけた。パスタは詩織さんも一緒に食べるらしい。


「喜んでぇ!」と大きな返事が返ってきた。


 なんだか、お洒落なBARには似つかわしくない、元気な声だったので、思わず吹き出してしまった。


「やっと笑ったね。小林くんやるなぁ」


 詩織さんは、少し拗ねたように、唇を尖らせた。とても、可愛かった。


「おっきくなったね。もう、高校二年生だっけか?」

「はい。あの、ごめんなさい。無理にお昼にお店開けてもらって……」

「いいの! いいの! 私から提案したことだから」


 詩織さんは、少しオーバーに手を振りながら、笑ってくれた。


「それで、あの……相談のことなんですが……」


 何から話そうかと、考えながら恐る恐る切り出したが、「真琴ちゃん。その話は、ご飯食べたらにしましょう? 私、お腹減っちゃった」と詩織さんに遮られてしまった。


 しばらく、詩織さんと、部活のことや、進路のことなどの他愛のない雑談をしていると、キッチンに繋がると思われるドアから、男の人が出てきた。


「ボンゴレビアンコお待ちー!」


 やっぱり、お洒落なBARには似合わない大きな声。しかし--


 見た目は、お洒落なカフェにいそうな、何というか、ものすごいイケメンだった。


「あら? 今日のお客さまは、こりゃまた一段と可愛いっすね?」


 彼、多分、小林さんは、私と詩織さんの前にお皿を並べながらそう言い、笑いかけてくれた。少し、恥ずかしくなって、俯く。


「小林くん。あんまり、からかわないの。」

 詩織さんが小林さんを嗜めると、彼は「はいはい、すいませーん!」と軽口を叩いた。


「紹介するわ。こちら、うちの店のバイトの小林くん。主に、料理を担当してもらっているの」


 詩織さんが紹介すると、小林さんは、大袈裟に、まるで騎士のようなお辞儀をして、「以後、お見知り置きを」と言った。


 なんだか、とても様になっていて、私はドキッとしてしまった。


「小林くん自分のは?」

「いま、ピザ焼いてるっす」

「なら、一緒に食べる? いいかな? 真琴ちゃん」


 詩織さんが提案する。


 私は、断る理由もなかったので、承諾した。


 小林さんは、「良いんすか! 食べる食べるー!」と嬉しそうだった。


 その後、楽しく雑談しながら、3人でご飯を食べた。


 小林さんは、どうやら大学生のようで、とても話しやすい人だった。

 

 話の中で、私と同じ携帯のゲームをやっていることが分かって、しばらくその話題で盛り上がった。詩織さんは、ゲームには興味がないようで、にこにこと微笑みながら黙って話を聞いていた。


 ちなみに、パスタは、本当に美味しく、正直、びっくりした。顔に出てたのか、「小林くんは、こんな感じなのに、料理は本当に上手なのよねー。意外でしょう?」と詩織さんにからかわれてしまった。


 食後もしばらく雑談が続き、どうやって本題を切り出そうかと悩んでいたところ、「さて、真琴ちゃん、そろそろ話聴こっか?」と詩織さんの方から切り出してくれた。


 それを聞くと、小林さんは、手早くテーブルの食器を回収すると、「んじゃ、片付けてきますね!」とキッチンへ入っていった。


 あまり、人に訊かれたくない話だったので、正直ありがたかった。


「お母さんから、大まかなことは聞いているから心配しないでね。じゃあ、まずは、学校で流行ってる、怪談について聞かせてくれるかな?」


 真剣な表情だ。少し、怖いと思ってしまった。

 

 私は、怪談を語って聞かせた。


 今から、25年程前—


 私の学校に通ってた当時、高校二年生の生徒が亡くなったんです。彼女、普通の死に方ではなく、発見された時、首を切られていて、頭は見つからなかったそうです。


 その死んだ彼女、同じクラスの生徒をいじめていたそうなんです。仮にその子をA子とします。


 それで、あまりに酷い死に方でしたし、恨みを持っているであろう、A子が犯人だって噂が広まったんです。


 A子は、元々友達もいなかったそうですが、その噂が立つようになってから、より一層、避けられるようになったそうです。


 そんなある時、A子のクラスに転校生が入ってきたんです。仮にB子としますが、彼女は、かなり楽天的というか、無神経というか、とにかく、そんなタイプの子で、みんなから避けられているA子にも積極的に話しかけていたみたいなんです。でも、話しかけられた当の本人は、かなり迷惑そうにしていたそうです。


 ある日、B子は、A子に関する例の噂を聞いてしまいました。


 B子は、無神経な性格だったので、直接本人に、みんながいる前で聞いたそうです。「その子を殺したのって本当?」と。


 その瞬間、A子は、狂ったように笑い出し、そして、こう言ったそうです。


「そうだよ! あいつは、私が殺した! はっかく様にあいつを殺すように頼んだんだ! はっかく様は、願いを叶えてくれるんだ!」


 その後、A子は教室内で暴れて、最終的には体育教師数人がかりで取り押さえられたのです。


 それ以来、B子も含めて、誰もA子に話しかけなくなったとのことです。


 そして、この、はっかく様は、まだこの学校にいて、ある儀式をすれば、はっかく様を使役し、呪いをかけられるそうなんです。


 その儀式というのが、まず、白い紙を人型に切り、胴体部分に呪いたい相手の名前を書きます。そして、校舎の裏手にある雑木林の中にある、白いお社に、人型の紙とその子の髪の毛を供えて、こう唱えるのです。


 はっかくさま

 はっかくさま

 どうかねがいをかなえてください

 そのこをないりにおくってください

 くびはあなたにさしあげます


 はっかくさま

 はっかくさま

 どうかねがいをかなえてください

 そのこのくびをさしあげます


 唱えたあと、人型の頭の部分をちぎってその場に捨て、名前が書いてある胴体部分を呪いをかけたい子の下駄箱に入れるんです。


 すると、その紙に乗りうつったはっかく様が、その子に憑いて、その子の罪の重さに応じて罰を与えてくれるんだそうです。


「お話は、これでおしまいです。」


 話を静かに聞いていた詩織さんは、とても険しい表情をしていた。


「じゃあ、学校に来れなくなってしまった子というのは、はっかく様の呪いをかけられてしまったというわけね……。お友達の話を聞く前に、今話してくれた怪談について、いくつか質問して良いかな?」


 私は、こくりと頷く。


「まず、その白いお社の写真とかあるかしら?」

「あの…この噂が立ってから、みんな怖がって近づかないですし、写真は、ないですね。ごめんなさい」

「いえ、いいの。じゃあ、もし、見たことあったら、覚えている範囲でいいから、形や大きさ、見た目なんかを教えてもらえる?」

「えっと、見たことはあります。形は、四角い箱のようなで、それに屋根が取り付いているような感じです。大きさは、幅と奥行きは大体同じで、大体80cmくらいですかね。屋根を含めない高さは大体1mくらいで、屋根を含めると、1.5mくらいでしょうか。このお社は、なんていったら良いか…そう、高床式倉庫のように、支柱で地面から浮いてるんです。それから、一つの面に観音開きの扉がついてます。以前、怖いもの知らずが、その扉を開けようとしたって噂は聞いたんですが、どうやら鍵がかかってて開かなかったみたいです」

「なるほど、ありがとう。ちなみに、校舎の裏手にあるって言っていたけれど、真琴ちゃんのM女子学苑って、確か、小中高一貫校で、それぞれの校舎が一つのキャンパス内にあるんだったよね? もう少し正確な位置を教えてもらってもいいかな?方角とか分かると嬉しいのだけれど……」

「お社があるのは、初等部の校舎の裏手です。初等部は、敷地の一番北側にあって、校舎の正面は南側を向いています。お社は、校舎の裏手ですから、校舎よりもさらに北側です」

「ちなみに、扉はどっちに付いているか、わかる?」

「確か、学校の塀の方についてたはずなので、北側です」


 詩織さんは何か考えているようだった。


「もう一つだけいい? はっかく様の呪いは、誰かを殺すのではなく、"その子の罪の重さに応じて罰を与える"で間違いない? 本当は、呪殺す儀式だ、とかは聞いてない?」

「いえ、相当ひどいことをしていないと、殺すまではしないと聞いてます。もし、相手がどんな小さな罪でも死んでしまうようなら、さすがに誰も試そうとはしないと思います」

「わかった。ありがとう。そしたら、呪いをかけられてしまったお友達の話を聞かせてくれる? 無理は、しなくて良いからね」


 詩織さんは優しく微笑んでくれた。


「私と同じ部活で、しかも最寄駅も同じの依里ちゃんって子がいるんですけれど、その子が、呪いをかけられてしまったみたいで、ある日、下駄箱に例の紙が……私もその場に居たんですが、依里ちゃん、ぼろぼろ泣いてしまって。その日は、そんなの迷信だって、他にも呪いをかけられた子もいるけど、なんともなかった子もいるって、そう励まして一緒に帰ったんです。依里ちゃんの家に着くころには、少し、元気になっていて、私、心配だったけれど、きっと大丈夫って思ってたんです」


 鼻の奥がツンとして、涙がこぼれそうになる。


「次の日、少し元気はなかったけど、ちゃんと依里ちゃん、学校きてました。それに、部活の時には、すっかり元気になって、いつもの依里に戻っていたんです!」


 自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。詩織さんは何も言わずに、真剣に聞いてくれている。その顔を見たら、何かが込み上げてきて、涙が溢れてしまった。


「でも、その二日後、依里が突然学校に来なくなって、私、心配でLINEもしたんですけど、既読にならなくて、家にも行ったんです!でも、会いたくないって言われて会えませんでした。それからも毎日LINEしたけれど、返信はなくて。そしたら、先週、突然転校することになったって先生から聞いて…。私、本当にショックで、すぐに家に行きました。そしたら、最後だからって、会ってくれることになったんです。依里は、やつれてました。あんなに綺麗だった長い髪の毛も、自分で切ってしまったのか、短くなってて、ボサボサでした。大会で優勝するためにって、願掛をかけて、私と2人で、中学生の時からずっと伸ばしてたのに。そんな依里の姿を見たら、私、何があったのか、怖くて聞けなくなってしまったんです。転校も思いとどまるように、説得するつもりでしたけど、それもできませんでした。転校しても、友達だよ、としか伝えられなかった。そしたら、依里、ありがとうって……また……ぼろぼろ泣いちゃって……」


 涙でうまく声が出ない。


 この感情は、なんなのか。この腹の底から湧き上がるような思いは。そうだ、これは---


 怒りだ


 なぜ、依里がこんな目に遭わなくてはならないんだ! 誰にでも優しく、人から恨まれるような事なんて絶対にしないのに!!


「詩織さん! 私、悔しいです!! 依里を呪った奴を絶対に後悔させてやる!! そいつを見つけて、はっかく様に……」


 そのとき、詩織さんは、霧の中から響くような、それでいてはっきりと聞こえる不思議な声で私の名前を呼んだ。


「真琴ちゃん」


 私は、思わず、口を閉じた。


 詩織さんは、私の目をじっと見つめている。「その先は口に出してはだめ。いい? 真琴ちゃん。"人を呪わば穴二つ"だよ。あなたも不幸になる。それにね、依里ちゃんを呪った子にも、それ相応の罰が下るから」


 詩織さんに咎められて、私は自分が言おうとした事の重大さに気がつき、怖くなってしまった。


「ごめんなさい……」


 大丈夫だよ、と詩織さんは優しく微笑んでくれた。


「すみません、続けますね。それで、依里ちゃんが少し落ち着いたあと、私帰るねって言って、立ち上がったんです。そしたら、依里ちゃん、私の名前を呼んで、そして、言ったんです。


 『はっかく様はいるよ』


 って。嘘をついてる目じゃなかった。その時、依里ちゃんは、はっかく様に襲われたんだって確信したんです。依里ちゃんの顔が怖くて、私、逃げるように部屋を出て、帰りました」


 しばらく、沈黙が続く。


「話してくれてありがとう。真琴ちゃんも、依里ちゃんも大変な経験をしたね」


 詩織さんが口を開く。


「また、いくつか聞いても良いかな?」


 私はまた、こくりと頷いた。


「はっかく様の呪いをかけられた子は他にも何人かいるの?」

「はい。私が知っているだけで、依里ちゃんを入れて、四人です。でも、もしかしたらもっといるかも知れません」

「他の三人には、呪いは効かなかったのかな?」

「いえ、全く効かなかったのは、一人だけです。後の二人は、効果があったみたいです」

「どんな結果だったのかな?」

「たしか、一人の子は、学校の階段から落ちて足を挫いて、もう一人の子は、お母さんの形見の髪留めが無くなったって聞きました」

「なるほど、結果は本当に、バラバラなわけね」


 詩織さんは、考え込んでしまった。


「あの、詩織さん。それで、何か、分かりますか? やっぱり私、呪いなんて信じたくないですし、出来れば、呪いなんてないって証明したいんですけど……」


 そう言うと、詩織さんは、ふと顔を上げると、私をまっすぐ見つめてこう言った。


「話の途中だったね。ごめんなさい。そうね……今の話だけでは、一連の出来事が呪いじゃないとは断言できないかな」

「そう……ですか」


 少し、がっかりした。怪談に詳しい詩織さんなら、これが本物の呪いなのかどうか、分かるかもと期待していた。


 いや、真偽なんてどうでもよく、呪いなんてないよと、言ってもらいたかっただけなのかも知れない。詩織さんが言うことなら、信じられる気がしたから。


「あのね、真琴ちゃん」と詩織さんが続ける。


「怪談にはいくつか種類があるのだけれど、その中でも一番厄介なのが、呪術にまつわるものなの。だからね、素人が扱うのはとても危険なの。私にだって手に負えるか分からない。でも、真琴ちゃんの悔しいって気持ちは良くわかるから、私なりにこの件は調べてみる。ただし、これだけは約束して。調べるのは私に任せて、真琴ちゃんは、絶対にこの件に関わらないこと。いい?」


 詩織さんの目は真剣そのものだった。


 本気で心配してくれているのだ。


「分かりました。約束します」と、私は答えた。


 詩織さんは安心したようで、にっこり笑った。


「そうだ、真琴ちゃん。ココア飲む?ホイップクリームも乗せてあげる」


 私は三度、こくりと頷いた。

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