はっかく様
第7話 はっかく様 -胎動-
はっかくさま
はっかくさま
どうかねがいをかなえてください
そのこをないりにおくってください
くびはあなたにさしあげます
はっかくさま
はっかくさま
どうかねがいをかなえてください
そのこのくびをさしあげます
-りん-
今夜も鈴の音が響く
ここは東京近郊のK市にある一軒のBAR
屋号を「夜行」という
今宵も様々な怪談が集まる
*
相変わらず、陰気な扉だと思う。
黒檀製の真っ黒い扉の中心には真鍮製のプレート。プレートにはこの店の名である「夜行」と黒字で彫り込まれている。
店内は落ち着いたアンティーク風の調度品でまとめられ、とても温かみのある風合いなのに対して、このドアは、まるで異界への入り口のようである。
「夜行」のオーナーが、元々、この場所でBARを経営していた別オーナーから店ごと購入し、新装開店したのだが、内装まで手を加える資金がなかったため、老朽化していたドアだけ、現オーナーのセンスで作り直したというわけである。
私は、異界への扉、もとい、入り口の扉を開けて入店した。
「いらっしゃいませ。あ! 玲子さん! ご無沙汰しております。いらっしゃるなら、事前にご予約いただけたら貸切にでもいたしましたのに」
「いや、いいの。普段のサービスが見たかったから」
そう答えると、この店のオーナー兼マスターである城ヶ崎詩織は、少し緊張した面持ちになった。
「詩織さん、お知り合いかね? 珍しいね、そんなに興奮するなんて」
カウンター席の一番奥の席の初老の男性が詩織に声をかける。こちらをチラリと見ると、軽く会釈をしてくれた。こちらも会釈をかえす。どうやら、この店の常連のようだ。
「山下さん。こちらの方はですね、私の師匠です」と詩織が答える。
「師匠というと、怪談の師匠かい?」
この子は、まだそんな悪趣味なことをしているのか、とため息が出そうになる。まぁ、今回この店に来た理由は、彼女のそちら側の知識を頼りたいからなのだが……。
「私は白石玲子と申します。H駅でBARを経営しておりまして、詩織さんは、以前、私のお店で働いていたのです。ですから、怪談ではなく、本業の方の師匠ということになります。といっても、師匠と名乗れるだけのことはしておりませんが。お近くにお立ち寄りの際は、ぜひ、当店にもいらして下さい」
そう言って名刺を差し出す。
「これはこれは、ご丁寧にどうもありがとうございます。頂戴します」
そう言って、その男性は名刺を受け取ってくれた。
「玲子さん。こちらにどうぞ。」
詩織に導かれるまま、男性の二つ隣の席に座る。
「いつものでよろしいでしょうか?」と聞かれたので、「ええ」と答えた。
詩織はBARカウンターに備え付けられているサーバーから、グラスにビールを丁寧に注ぐ。初めてやらせた時は、泡だらけにしていたのが懐かしい。
詩織は女の私から見てもどきっとするほど綺麗な顔立ちをしている。肌は白くなめらかで、まるで彫刻のようだ。
彼女がうちの店で働いていた時は、詩織目当ての客も随分いて、繁盛していた。
「もう一度うちの店で働いてくれないかな……」
そんな独り言が耳に入ったようで、ビールを持ってきた詩織は目をキョトンとさせて、「お店そんなに忙しいのですか?」と聞いてきた。
人の手を借りたいくらい忙しかったら、こんなことは言わないわけで、無自覚な可愛さに多少辟易しながら、苦笑いで「何でもないわよ」と答える。
さて、客はテーブル席のカップル1組と、先ほどの男性客のみで、そこまで忙しそうではない。彼女も私がいれば、緊張するだろうから、あまり長居はしたくない。いまなら、オーダーも入っていなさそうだし、さっさと相談事を話してしまおうかと思い、詩織に声をかける。
「詩織。ちょっと、相談があるんだけれど、いいかな?」
「相談ですか? もちろんいいですよ?」と快く引き受けてくれた。
それでね……と話を始めようとした時である。カウンターの内側にある、店の裏のキッチンに繋がる扉から、エプロン姿の青年が飛び出してきた。
「詩織さーん! ちょっと醤油切れたので、買い出し行ってきます!」
なんとも、元気な子だ。BARより、居酒屋の方が似合っている、そんな印象の子だ。
「あ、はいはい。じゃあ、小林くん、お願いね?」
そう詩織がいうと、彼はにっこり、というより、うっとりとした顔を浮かべて、ひょいとキッチンへと戻っていった。
あの子は、詩織に惚れてるな……。
「詩織、キッチン雇ったの?」
「そうなんです。小林くんは元々お店のお客さまだったのですが、料理人になるための修行をしたいと、頼み込まれてしまって。まぁ、良い子ですから、他のお客さまからも弟のように慕われてます。今ではうちの看板シェフですよ」
「シェフねぇ……」
「それよりも、玲子さん相談があるって」
そうだった。その話の途中だった。
気を取り直して話を始める。
「うちの娘覚えてる?」
「真琴ちゃんがどうかしました?」
「真琴さ、M女子学苑に通ってるんだけどね、その学校で変な噂? というか怪談が流行ってるのよ」
怪談と聞いた途端、詩織の顔が明らかに変わった。元々可愛いというよりと綺麗と言われるタイプの美人ではあるが、怪談が絡んだ時の詩織の目は、獲物を狙う肉食動物のような鋭さに変わる。少し、怖いくらいだ。
「それで、真琴の友達の子が、その怪談に出てくる化け物? みたいなものに襲われたっていうのよ。その日からショックで登校出来なくなっちゃったらいしの。結局、退学しちゃうみたい。真琴は『絶対に化け物の正体を暴いて仇をうってやる!』とか息巻いててね。母親としては、危ないことに首突っ込んでほしくないのだけれど、聞かないし、詳しい内容も教えてくれないのよ。それで、怪談ならってことで、あなたの名前出したら、詩織さんになら相談しても良いとか言い出して……。悪いんだけどさ、真琴から話聞いてあげて、それで、危ないことしないように説得してくれないかな?」
詩織は、少し考え込むような仕草をしながら、独り言を言う。
「仇討ち……か、もしかしたら……」
しばらく何かを考えている様子だったが、顔を上げてこう言った。
「分かりました。引き受けます。ただし、条件があります。もし、真琴ちゃんから聞いた怪談が、私が予想している類のものだとしたら、かなり厄介です。もしかしたら手に負えないかもしれません。その時は、専門家に頼ることになるかもしれませんが、ご了承いただけますか?」
真剣な眼差しで、じっと見つめてくる。
彼女にここまで言わせる怪談とはなんなのだろうか。鼓動が早まる。
「ま、まぁ、もちろん必要と判断したならば、相談してもらって構わないけれど……。で、その専門家って……」
「それはですね、こちらの山下さんです。」
そう言って、詩織は先ほどの男性客を示した。
名指しされた山下という男は、ゆっくりと振り向くと、先ほどの柔和な雰囲気とはうって変わって、鋭い目つきで私を見つめてこう言った。
「白石さん。この件に、私の知識が必要になったとしたら、絶対に娘さんを関わらせてはいけません。この怪談は相当危険かもしれません」
じわりと背中に冷や汗が滲んだ。
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