第6話 雨女 -解 大詰め-

「雨女の正体、それは、"人間"です」


 思わず、「はぁ?」っと声が漏れた。


 彼女は、クスリと笑うと、「人間です」と繰り返した。


「あの、つまり、どういうことですか?」


 何かの比喩かと思った。


 最早、先ほどまで感じていた恐怖はどこかに行ってしまった。


 カラカラに渇いた喉を潤すために、ラムソーダを飲む。


 彼女は、楽しげだ。


「この話を夏目さんから聞いた時、私、面白いと思ったんです。そして、雨女の正体を暴いてやろうと思ったんですよ」


 また、「はぁ?」と口に出してしまった。


「私、実は、怪談自体にそれほど興味はないんです。興味があるのは、その怪談が何故発生したのかという起源と、どのように伝染していくのかというメカニズムなんですね。だから、気になる怪談があると、つい、調べてしまうです」


 そう語る彼女は本当に楽しそうだ。


「つまり、蒐集した怪談の謎解きみたいな事をしてるって事ですか?」


 そう聞くと、彼女は、目を見開き、驚いたような顔を見せた。


「怪談の謎解き! いいですね! その表現。とても分かりやすいです! そっか、謎解きか…」


 少女のようなキラキラした目で見つめられて、恥ずかしくなってしまった。


「あ、雨女の正体の話でしたよね。ごめんなさい、少し熱くなってしまいました」


 彼女も恥ずかしそうに頬を染め、少し俯いた。その姿がなんとも可愛らしかった。


「夏目さんから、その話を聞いたあと、雨の夜にその駐車場に行ってみたんです。そしたら、居たんですよ。雨女」

「え? いたの?」


 彼女の恐れ知らずな行動力にも驚いたが、実際に雨女と邂逅していることにさらに驚いた。


「ええ。長い髪を雨で濡らして、それは恨めしそうに立っていました。だから、私、声をかけたんです」


 驚愕した。まともな人間なら、絶対に声をかけない。例え、相手が人間と分かっても、雨の中傘もささずに立ち尽くすような人間は、どう考えてもまともじゃ無いし、やっぱり声はかけないだろう。


「なんて声をかけたんです?」

「それはもちろん、何故こんなところに立っているか? ですよ」

「そしたらなんて?」

「お前、『ケンジの女か?』って、それはそれは恐ろしい目で睨みつけてきたんです。私は、知らないと答えたんですが、雨女は、『嘘をつくな!!』って大声で叫んだとおもったら、奇声を発しながら、私に掴みかかってきたんです」


 なんと、雨女との邂逅だけでは飽き足らず、格闘まで演じていたとは……


「ものすごい力でした。その時点で、雨女は人間だと確信しましたね」


 彼女は、人間かどうかもわからないまま、話しかけていたのである。


 本物の幽霊だったら、どうするつもりであったのか。


「ものすごい剣幕でしたし、夜中ということもあって、近所の人が警察に通報してくれたんです。警察が到着したころには、私は馬乗りにされ、首を絞められていました。警察の方の到着がもう少し遅ければ、殺されていたかも知れませんね」


 とんでもない経験を、こともなげに、しかも、楽しそうに話す彼女に若干の恐怖を感じた。


「それで、その後、どうなったのですか?」

「雨女は、現行犯逮捕されて、連行されていきました。私は、その日は警察の方に送ってもらって帰宅し、後日、事情聴取を受けました。そこで、大体の事情を聞くことができました。どうやら、雨女は、同棲していた恋人との間に子供ができたのですが、それを彼に告げると、彼は何も言わずに雨女を捨て、出て行ってしまったそうです。その時、彼は浮気をしていて、その浮気相手の女性の家に転がり込んでいたようですね。その家というのが、あの駐車場の真向かいのアパートだったようで、彼が出てくるのを夜な夜な張っていたようなんです」


 なるほど、どこにでもあるような、痴情のもつれである。雨女の正体が分かってしまえば、なんてことないただのゴシップ話というわけで、文字どおり、化けの皮が剥がれてしまった。


「しかし、謎が解けたら、怪談でもなんでもない話になってしまいましたね。これは、怪談蒐集家としては、不本意だったのではありませんか?」と聞いた。


「いいえ、そんなことはありません。実は、この話には、続きがあるのです。」と彼女は怪しく笑った。


 それは何かと、私が問う前に、彼女は続ける。


「さて、お客さま。この怪談の生みの親が、なぜ、変死体事件だったのか、もう、お分かりになりましたか?」


 確かに、その話が残っていた。


 まだ分からない、と正直に答えた。


「私は先程、得体の知れない存在は、自然発生的に生まれると言いました。しかしですよ。この雨女は、実際にいたわけです。夏目さんが出会った雨女も十中八九、逮捕された女だったわけで、幽霊などではありません。実は、私が話した雨女の怪談は、夏目さんから聞いた話を少し加工しています。それは、"後ろ向きだと思っていたら、実はそうではなかった"というところです。実際には、夏目さんは、最初から、女の顔が見えていたんです。いくらなんでも、生きている人間を幽霊と見間違うでしょうか?」


 いや、傘を手渡せる距離まで、近づいているわけだし、見間違うとは考えにくい。おそらく、変な"人"だと怖がるというのが普通の反応だ。


「この怪談の最も興味深い点は、昔の怪談と同じ発生の仕方をしているというところです。つまり、不可解な現象が先にあり、それを説明するために雨女が生まれたんですよ」


 全ての合点がいった。


「つまり、変死体事件という、不可解な事件が先にあり、それを説明するためにわけか!」


 彼女は大きく頷いた。


「そうです。夏目さんにとって、あの駐車場は、変死体事件のあった曰く付きの場所となっていました。幽霊の類が出るかもしれないと最初から恐怖していた。そこに、ずぶ濡れのワンピースの女性が現れた。幽霊と思い込んでもおかしくはありません。事実、彼女は、幽霊と思い込んだ。そして、不可解な変死体の事件の真相として、"雨女によって取り殺された"という、怪談が誕生する。」


 だから、変死体事件が、雨女の生みの親なのか。なんとも壮大な話だ。


 静寂のなか、グラスの中の氷がカランと音を立てる。


 ふと、時計を見ると、時刻は、11時半を回っていた。


 帰宅する時間、シャワーの時間等を考えれば、寝る時間は、1時は回ってしまいそうだった。明日仕事がないとはいえ、生活リズムが崩れそうなので、そろそろ帰ろうと思った。


「とても楽しい話でした。もっとお話しを聞きたいですが、そろそろ帰ります」


 そう、彼女につげる。


 ふと、ある事が気になった。


 変死体事件の真相である。


 雨女という、怪談による説明を失った今、その謎だけが未解決のまま宙ぶらりんになっていた。


「でも、変死体事件の謎だけ残っちゃいましたね」


 そう彼女に投げかける。


 すると、彼女は一瞬動きを止めて、こちらをじっと見つめて、こう言った。


「あれは、事故ですよ。私、雨女に馬乗りにされたときに気が付いたんですが、あの駐車場、真ん中が窪んでいて、雨水が溜まるんです。私は仰向けに倒されていましたが、耳の下あたりまで、水に浸かっていたと思います。もし、なんらかの理由で、例えば、泥酔していたとかで、うつ伏せ状態で水溜りに顔をつけたまま身動きが取れなかったとしたら、溺死すると思います」


 すっかり感心してしまった。


 全ての謎は、このマスターに解かれてしまったのである。


 私は、「なるほどなぁ」と呟きながら、財布を取り出そうと、ジャケットの内ポケットを弄った。


 すると、霧の中から響くような、彼女の声がした。


「覚えていませんか?」


 はっとして顔を上げる。


 マスターが悲しげな表情を浮かべ、こちらをじっと見つめていた。


 このBARに来たのは、今日が初めてだし、彼女のような美人は一度会えば忘れないと思うが、記憶になかった。


「いえ、すみません。記憶にないです。どこかで以前お会いしましたか?」

「私、あの駐車場での変死体事件の第一発見者なんです」


 待ってくれ、どういう事だ。


 なんだか話がよく分からない方向に進んでいる。


 冷や汗が止まらない。


 ゆっくりと彼女が口を開く。


「お客さま、あなたは、1ヶ月前、あの駐車場で亡くなっておられます」


 -りん-


 どこか遠くでもう一度、鈴の音が聞こえた。


雨女 -了-



--作者の独り言--

ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

次章もお楽しみいただければ幸いです。


また、私事で大変恐縮ではございますが、面白いと思っていただていましたら、♡や☆を頂けますと、大変励みになります。

どんな内容でも結構でございますので、レビュもお待ちしております。

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