第5話 雨女 -解 二の幕-
3杯目は、ラムソーダにした。
柔らかな炭酸が弾けると、バニラの香りがふんわりと香った。
「怪談には、もうひとつの機能があるとのことでしたよね? 人を怖がらせる以外の機能があるようには思えませんが」
私は、率直な意見を述べた。
「いえ。あるのです。ただし、現代の怪談では、あまり有効に機能していません。しかし、ほとんどの怪談にその名残が見て取れます」
なんだか、盲腸のようだと思った。
彼女は続ける。
「お客さまは、雷が何か、ご存じだと思います。しかし、電気を知らない昔の人間は、得体の知れない雷を、神の怒り、神の力と理解しました」
これは、聞いたことがある。
「それと同じで、怪談には、人間の理解できない現象の正体を暴く、という機能があるのです。昔は、次々と溺死者がでる川があれば、河童やそこで溺れた者の霊魂の仕業と考えましたし、都で疫病が流行れば、誰かの強い怨念だと考えました。正体が明らかになれば、不可解な現象は形を得て、取り扱う事ができるようになったのです」
彼女の言わんとすることがなんとなく分かった。
「なるほど、科学が進んだ現代では、怪談は現象の説明にはならない、つまり、有効に機能しない、そういうことなのですね」
「そのとおりです。ここで、重要なのは、先に現象が存在し、後から怪談が発生するという順番です。しかし、現代では、説明に怪談を用いなくてはならないような、不可解な現象は起きません。ほとんどの現象は、科学的に説明できてしまいますから。現代の怪談は、雨女のような"得体の知れない存在"が自然発生的に生まれる事がほとんどなんです」
「なるほど……しかし、先ほど、マスターは、現代の怪談にも名残が見て取れるとおっしゃっていましたが、それはなんですか?」
彼女は、じっと私を見つめて、少し芝居がかった声色でこう言った。
「現代の怪談では、不可解な現象を説明するためだった、"得体の知れない存在"それ自体が、人間の理解できないモノに取って代わったのです。そして、昔の人達と同じように、現代人も、この埒外の存在への説明を欲したのです。本末転倒とは、まさにこの事です。ところで、雨女の話を聞いて、違和感を覚えませんでしたか? なぜ、変死体が発見された駐車場に出る幽霊が、その死んだ男ではなく、女なのかと」
はっとした。確かにそのとおりでだった。
男が死んだ場所なのであれば、その男が化けて出るのが普通なのだ。でも、それが普通だと思うのは、そう--
「現代の怪談では、それ自体が埒外の存在となってしまった、雨女のような"得体の知れないもの"についての、なんらかの経緯が、ほぼ必ずと言っていいほど存在するのです」
彼女は、そう締めくくった。
一瞬の静寂ののち、カラン、とグラスの中の氷が鳴る。
「それが、名残り……」
ほぼ、独り言のようにつぶやいた。
「この怪談が未完成なのは、雨女に関する情報が何もなく、得体の知れない存在のままだから、ですね」
彼女は、静かに頷いた。
「それじゃあ、雨女の正体はなんなのでしょう? 彼女は一体、なぜ、駐車場に一人寂しく佇んでいたのでしょうか?」
知りたい。この話を聞いたときには、なんとも思わなかったはずの雨女の正体が、無性に気になる。いや、違う……これは、この、背筋がヒヤリとする感覚は--
恐怖だ。
怖いのだ。得体の知れない女が。
濡れた髪の奥に見える、虚な瞳を想像する。首の後ろから、頭のてっぺんまで、髪の毛がざざぁと逆立つような感覚を覚える。後ろから視線を感じる気がする。あの女が見ている!
振り向いてはいけない気がして、目の前のマスターをじっと見つめることしかできない。
彼女は、真っ直ぐ私を見るだけで、何も語らない。
静寂がしばらく続いたのち、彼女は私に、こう問いかけた。
「雨女の正体を知りたいですか?」
私は、即座に頷いた。
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