第4話 雨女 -解 一の幕-

 メニューの中から、これまた馴染みのアイラモルトを選択し、話の続きを聞く事にした。


「お客さまは、この怪談を聞いて、どう感じましたでしょうか? 正直におっしゃって下さい」と彼女はそう問いかける。


「私は怪談に明るくありません。ですから、評価などは出来ませんよ」


 本心だった。子供の頃ならいざ知らず、大人になってから怪談というものを聞いた覚えがない。すると彼女は、こう続けた。


「では、質問を変えます。この怪談は未完成なのです。どこが未完成だかわかりますか?」


 未完成?よく出来た怪談だと思った。


 曰く付きの駐車場で、雨の中、傘もささずに女が一人立っていると言うシチュエーションは、素人からすれば、いかにも怪談っぽい。加えて、後ろ向きだと思い込んでいた女が実は髪を前に垂らしていて、最初からこちらを向いていたという展開は正直ぞくっとした。この怪談"雨女"はそれなりに怖いのだ。


 しかし--


 話の前半部、変死体の事件は、この怪談において、はっきりとした役割が見えない。雨女に取り殺されたということなのだろうが、後半の夏目さんという客の体験談だけでも怪談として十分成立するのではなかろうか。


「未完成だというのは良くわかりませんが、気になるのは、話の前半部、変死体の事件のことですかね」

「なるほど。どこが気になりますか? お気になさらず、はっきりとおっしゃって下さい」


 明らかに彼女は嬉しそうだ。


「では、言葉を選ばず言わせていただくと、変死体の事件の話は、この怪談には不要ではありませんか?」


 彼女は私の言葉を聞いた途端、さらに嬉しそうな顔になる。


「その通りです! この怪談は雨女の話なのですから、夏目さんの体験談だけで十分成立するはずなのです。しかしですね。この怪談が産まれ、そして伝染していくためには、変死体の事件が必要なのです。この事件は、雨女の生みの親なのです」

「生みの親、ですか」


 正直、よく分からなかった。


「お客さま。怪談に必要な要素ってなんだと思いますか?」

「それは、やっぱり、人を怖がらせるストーリーでしょうか?」

「それは、もちろん、そのとおりです。では、人を怖がらせるためのストーリーとはどんなものなのでしょうか?」


 考えたこともなかった。恐怖の本質。自分は、この話の何に恐怖したのだろうか。


「これは、私の個人的な見解なのですが、"怖い"怪談には3つの要素が必要だと考えています。それは、"得体が知れないこと"、"実害があること"、そして、"悪意が存在していること"この3つです」


 彼女は、一本ずつ指を折っていく。


「なるほど、夏目さんの体験談だけでは、"得体が知れないこと"は満たしているが、他の2つは満たしていない、そういうわけですね?そして、"実害があること"を満たすために、雨女によって取り殺された男の話が必要だと……」

「そのとおりです」

「しかし、それにしたって、変死体事件が生みの親ってのは、言い過ぎではないでしょうか? "実害があること"は、恐怖の1つの要素にすぎないわけですよね?」


 彼女は、私が理解しているのが嬉しいのか、満足げに何度か頷いた。


「この3つは、怖い怪談を構成する重要な要素ではあるのですが、それぞれ異なる機能を持っているのです」

「なんだか、難しい話になってきましたね……」

「いえ、簡単な話です。では、こんな話はどうでしょう。鬼がいたとしましょう」

「鬼……ですか」

「ええ、恐ろしい風貌をした鬼です。しかし、この鬼はとても心優しく、村人と仲良くしているところをあなたは目撃したとします。さて、あなたは、この鬼を怖いと思いますか?」


 なるほど、話がどこに向かっているのか、なんとなくわかる気がした。


「いえ、怖くありませんね。」

「では、あなたの前に、ナイフを持った殺人鬼がいます。どうですか?」

「怖いです」

「そうですよね。大抵の方はそう答えると思います。恐怖とは、自分を害する、もしくは、その可能性がある存在に対する防衛本能の発露なのです。しかし、"実害がある"という要素は、怪談の本質ではありません。本質はむしろ、"得体が知れない"という方です」


 彼女は、きっぱりと言った。


「何故ですか、実害がこそ、恐怖の本質なのですよね?」

「そうです。しかし、怪談とは、本来、怖くなくていいものなのです」


 全く、訳がわからなかった。


 そんな私の表情を読み取ったのか、彼女はクスリと笑うと、こう続けた。


「怪談の"怪"とは、"あやしい"様。すなわち、怪談とは、つまるところ、あやしい話ということです。そこに、恐怖は存在しなくてもいいのです。しかし、人があやしむものといえば、この世に存在しないものですよね? それらは、往々にして"得体がしれず"、理解できないものです。人間は理解できないものは怖がる習性があります。例えば、先ほどの鬼ですが、村人と仲良くしている場面を見ていなかったとします。どうでしょう? 怖くはないですか?」


 怖い。確かに怖いと思う。


 私は小さく頷いた。


「では、何故怖いのでしょう」


 彼女はさらに問いかける。


「襲われるかもしれないから、でしょうか?」と口にして、なるほど、理解した。


 彼女は、大きく頷いた。


「そうです。人間は、自分の知らないものは、害をなす可能性があると、本能的に感じるように出来ているのです。生存戦略ですね」

「つまり、怪談は、得体の知れない存在について語る話であり、そういった存在に人は恐怖するから、いつしか、怪談イコール怖い話という認識になったと」


 彼女は、本当に嬉しそうに微笑んだ。


「そのとおりです! だから、実害が恐怖の根源であっても怪談の本質ではないのです。殺人鬼が活躍する話は、いくら怖くてもそれは怪談ではなく、ミステリイに分類されます」


 なるほどな、と独り言をいいつつ、ウイスキーを飲む。この浮遊感は、お酒のせいだけでは無いのだろう。彼女の話に酔わされていた。


「それでは、"悪意があること"は、怪談において、どんな役割なのですか?」


 彼女は、悪戯っぽい笑みを浮かべると、何も言わずに、カウンターの下から何やら取り出し、小皿に盛り付けると、それをカウンターに置いた。


「燻製ナッツです。こちらは、サービスとさせていただきます」


 訳がわからず面食らっていると、彼女はこう続けた。


「悪意とは、その、ナッツのようなものなのです。つまり、おつまみです」

「おつまみ……?」

「そうです。おつまみは、絶対に必要というわけではありませんが、正しく組み合わせれば、お酒を美味しくしてくれるものです。怪談における悪意は、これと非常に似ています」

「すみません。まだ、分からないのですが……」と白状した。


「例えば、あなたの隣人があなたを殺したいほど怨んでいたとします。あなたは、それを偶然知ってしまう。これだけでは、怪談とは言えませんし、怖い話でもありません。しかし、あなたはある日、その隣人が何やら呪術的儀式をしているところを見てしまった。儀式というのは、"得体がしれない"わけですから、これだけで怪談は成立します。しかし、ここに、あなたを恨んでいるという、悪意が加わるとどうですか?」


 その光景を想像する。


「めちゃくちゃ怖いです。だって、明らかに呪いの儀式だし、実害あるかもって思っちゃいますもん」

「そうですよね。悪意だけでは、怪談も恐怖も成立しないのですが、他の要素と組み合わさると、恐怖を何倍にもするのです」

「なるほどななぁ。でもちょっと、待って下さい。先ほどの雨女の怪談。夏目さんの体験談だけでも、"得体がしれない"要素を満たしている訳ですから、怪談としては成立しているのでは無いですか? 未完成ってどういう事ですか? それに、変死体の事件が怪談の生みの親というのも、どうにもピンとこないのですが」


 私の問いかけに、彼女は一瞬意外そうな顔をした。おそらく、怪談に興味がなさそうな私が積極的に話を聞こうとしていることが意外だったのだろう。


 私自身も意外だった。しかし、次第に彼女の話に、引き込まれ、もっと怪談について知りたいと思うようになっていた。


「それでは、本題に戻しましょう。お客さまがおっしゃるとおり、この話は、夏目さんの体験談だけでも怪談としては成立しています。しかし、実害を伴わない恐怖は、弱いものですから、この怪談が怖い話か、と問われれば、必ずしもそうではありません。そして、なぜ未完成なのか、そして、なぜ生みの親が変死体事件なのかという疑問は、怪談のもうひとつの機能についてお話ししなければなりません。ただ……」


 彼女はここで言葉を区切り、壁にかけてある時計をチラリと見上げた。


「もう少し、お時間を頂くことになってしまいます。お客さまのご都合は大丈夫でしょうか?」


 時計を見ると、10時半を過ぎていた。明日は仕事も休みだし、自宅もこのBARから歩いて帰れるところにあるわけで、時間的な余裕はある。なによりも、もっと怪談のことが知りたかった。


「大丈夫です。聞かせてください」


 そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑むと、メニューを手渡してきた。


「かしこまりました。それでは、おかわりはいかがでしょうか」


 なかなか、商売上手なマスターのようだ。

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