第3話 雨女 -邂逅-
BAR「夜行」の主人が怪談を語りだす。
*
あるアパートの裏にある駐車場で、男性の遺体が見つかりました。外傷はなく、財布などの貴重品も残っていたため、警察は当初、心臓麻痺などによる病死と考えていたのですが、司法解剖で分かった死因は"溺死"でした。
事件発生時、雨は降っていたものの、溺死するような水場はなかったため、別の場所で溺死させられ、遺棄されたと考え、他殺の線で捜査が開始されたそうです。
ですが、この線はすぐに否定されたんです。
駐車場の入り口には防犯カメラがあって、死体発見現場そのものは映っていませんでしたが、人の出入りは確認できたんです。この駐車場は三方を建物に囲まれており、防犯カメラに映らずに進入することは不可能でした。
防犯カメラには、一人で駐車場に入っていく、被害者の姿がありました。時間は、死亡推定時刻の約30分前。
彼が入る前に、人の出入はありましたが、皆、駐車か出庫のためで、5分ほどで出ていきますし、彼が死亡したと思われる時間帯には、彼以外の出入りは確認できませんでした。また、彼が駐車場に入ってから遺体が発見されるまでも人の出入りもありませんでした。
その他有力な目撃情報もなかったため、最終的には事故死として処理されました。
それからしばらく経つと、こんな噂が流れるようになったんです。
"雨の日に、駐車場にずぶ濡れの女の幽霊が現れる。その女は、傘を貸せという。傘を貸さなければ、とり殺される"
ここから先は、お店にいらしたお客さまから実際に聞かせてもらった話です。
その方を仮に夏目さんとお呼びします。
夏目さんがこのお店で飲んだ帰り、予報が外れて雨が降ってきたそうです。雨足はどんどん強まり、たまらず、近くのコンビニで傘を買う事にしました。
傘を買い、自宅へ帰ろうと思いましたが、雨なので普段はしない近道をしようと思い立ちます。
なぜ、普段は近道をしないかと言えば、その道は暗く、女性の一人歩きには向かない事、そして、何より、道の途中にはあの変死体が見つかった駐車場があったのです。
夏目さんは、雨の中、一人夜道を歩きます。件の駐車場が近づいてきました。
駐車場のある右側をなるべく見ないようにしようと、目を伏せ、足早に通り過ぎようとした時です。
視界の右端に、ちらりと白いものが見えたそうです。
夏目さんは、反射的にそちらの方を見てしまったというんですね。
そこには、白いワンピース姿の髪の長い女性が、駐車場の入り口に背を向けて立っていたのだそうです。
これに気づかれてはダメだ、と直感的に感じた夏目さんは、そのまま歩き続けようとしました。しかし、その女はゆらゆらと頭を揺らすと、声をかけてきたそうなのです。
「あの、傘を貸していただけませんか。お腹の子が冷えてしまうのです。」
夏目さんは、走り出したい気持ちでいっぱいでしたが、逃げれば追われる気がして、傘を貸す事にしました。
近づいて、傘を差し出しても、女は背を向けたままです。
声をかけようとしましたが、怖くて声が出せません。
すると女は、背を向けたまま、腕をこちらに伸ばしてきました。
悲鳴をあげそうになりましたが、なんとか堪えて、傘を渡そうと思い、ふと、その手を見たとき違和感を覚えました。
親指が上にきてるのです。
背を向けたまま後ろ手で物を取ろうとすれば、小指が上にくるはずです。
はっとして顔を上げると、目の前には髪の長い女の後頭部が、いえ、後頭部だと思っていたものがありました。最初から女はこちら側を向いていたのです。
雨に濡れた黒い髪の奥、大きく見開かれた二つの瞳が夏目さんをじっと見つめていました。
たまらず、悲鳴をあげ、傘をその場に捨て去り、走って逃げたそうです。
それ以来、夏目さんは、あの駐車場には近づかないようにしているそうです。
*
「この話は、これでおしまいです」
不意に、現実の世界に呼び戻される。
何故か喉が無性に乾いていた。たまらずグラスの水をひと口飲む。
「お楽しみいただけましたか?」
「ええ。怪談なんて、普段聞かないもので、聞き入ってしまいました。いや、引き込まれました。ちなみに、その事件のあった駐車場というのは、このお店の近くなのですか?」
つい、気になっていたことを聞いてしまった。すると彼女は、少し考えるような素振りを見せた後、「そうです」と答えた。
「この町で遺体が挙がるなんて大きな事件は滅多にないですから。それなりに話題になったんですよ。知りませんか?」と先ほどの常連客が話しかけてきた。
「いや、実は最近越してきたばかりでして……」
「そうですか。でも、この事件も割と最近のことで、たしか、今年の4月10日の事でしたよ」と常連客が教えてくれる。
4月10日といえば、ちょうど一ヶ月前くらいか。越してきたのが3月末だから、事件発生時は、すでにこの町に居たという事だが、全く聞いたことがなかった。
「事件後に女の幽霊がでるって噂が立ち始めたとおっしゃってましたよね?ということは、この怪談は、産まれたてほやほやってことなんですね」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は、顔をぱっと明るくさせて、興奮気味に言った。
「そうなんです! この子は、怪談として産まれたばかりで、今まさに、成長しているところなんですよ!」
「始まってしまった……」
ため息混じりに常連客が言う。
今までの落ち着いた彼女からは想像できないほど、興奮していて、驚いた。
「こうなると、長いからな……。詩織さん。老人は、長話についていけないから、ここいらでお暇しますよ」と常連客。
彼女はかなり残念そうな顔をしていた。
「そんな顔しないで。ほら、あそこの一見さんが話聞いてくれますよ。ね?」
突然話を振られて閉口してしまい、「うう」とか「ああ」とか、なんとも締まりのない返事をしてしまった。
「あとは、頼みましたよ。それじゃあ、おやすみなさい」と、手早く会計を済まして、常連客は店を出ていった。
5月と言えども、夜はまだ少し肌寒い。
開いた扉から、冷たい風が流れてきて、酔いが少しだけ冷めてしまった。
常連客を店の出口までお見送りしていた彼女は、ゆっくりとこちらを振り向き、何かを期待するような目で私を見つめた。
美しい彼女に見つめられて、ドキリとした。
「続きの話、聞かせてください」
そう言うと、彼女は嬉しそうにカウンターの内側へと戻ると、メニューを手渡しながら、少し怪しげな声色でこう言った。
「それでは、お客さま、ご注文をどうぞ。ゆっくりとお選びください。夜は長いのですから」
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