無知の知を望む
偃
無知の知を望む
いつの日からだっただろうか。上手く話せなくなったのは。嫌われたくないと思っていた心が嫌われてもいいやに飲み込まれたのは。
小学校の頃は明るいと言われていた。突然のさよならを知らなかったから、何もおそれずに、何も考えずに言いたいことがなんでも言えた。でも、大きくなっていくにつれ、私はお世辞を知って、悪意を知って、悪意を自覚し、さようならを知った。大好きな過去は、一過性でそのシーンが終われば役者はもう次の舞台へと登っていた。
明るい私はいつしか、さよならにしがみついて話せなくなっていた。
一過性の時の流れに食い尽くされてしまうから、人と人との関係は流動性だ。好意と悪意が何本も絡みついて、簡単に右にも左にも針は動く。もし、左にも針が触れたなら、これが最後の会話かもしれない。明日には嫌われて、もう一生話すことも出来ないのかもしれない。もし、こういったら傷つくだろうか。どれが相手にとって話して欲しくない話題だろうか。もしかしたらもう私のことは嫌いだろうか。なんでこの人は私と話すんだろう。何が目的なんだろう。私に何を求めているんだろう。この言葉の意味は?この行動の意味は?返す言葉の最適解は?また、明日も話したい。縛られた私は話せない。流動的な関係が毎秒毎秒変わっていく。良い方向に変わることも悪い方向に変わることも。ひとつの言動、ひとつの行動で相手は私を嫌いになってしまうのかもしれない。私はいつも不安になる。そして自分を嫌悪する。だって、知らないものは想定しない。出来ないのだ。林檎の存在を知らない人が、林檎の味を想像できるだろうか?答えは否だ。私は思ってしまったことがあるのだ。さっきまで仲の良かったあの人のことも、さっきで会ったばかりのあの人のことも、ずっと大好きなあの子のことも、1度は嫌いだと思ってしまったことがある。だから、私は想像する。自分が同じように誰かの心の中で簡単に嫌われてしまうことを。誰かとの明日が無くなることを。私には最適解を見つける能力が無い。どう答えを返すことが正解なのかが分からない。だから私は話さない。誰かを失うよりも、誰かを知らない方が幸せだから。
悪意を心の中に閉じ込めて、誰にでも最適解を答えられるようになったら、私は良い人なのだろうか。それとも、本音を言わない、悪い人になるのだろうか。色んな場所で本音をかけ、本音を言えって言われる。でも私は知っている。私が本音をいえば、みんなかおかしいって思うことも、みんなが望んでいるのは本音じゃないことも。
もし、あなたが本音で「死にたい」っていえば、私は本音で死ねばいいのにと思う。相手への悪意ではなく、私は死ぬ事が悪い事だと思っていないのだから、当然に。でも、そんなことを言えば私は悪だ。最適解はなんだろうか。少なくともこの私の本音ではないことだけは確かだ。
「なんでも相談してね。」は嘘つきだ。私は何度も騙された。私の「消えたいと思っている私を否定して欲しい」という相談に、「死ぬことは悪い事だ。生きていれば何かいいことがある」という詭弁で返されて、おまけに私は頭がおかしい認定を受ける。そして、いつしか疎遠になる。
「私があなたを嫌いになることは絶対に無いから、私にはなんでも言ってよ。」も嘘つきだ。私は何度も間違えている。私が少しでも嫌なことを言うと、私はあなたの友達ではなくなってしまう。例えば、私があなたの事を、「羨ましくて、嫌い」って言ったら、あなたは私を嫌いになる。
いつの間にかひとりぼっちになっていた。自分でこの道を選んだ。失うよりも知らない方が良いと思ったのに、もしかしたらと期待する心が辞められなくて、私はまた、何度も失敗を重ねる。そして、また、無言のさようならと、鎖の数を増やしていく。
私の心の中にある大きな穴の原因は私がいちばん知っている。そして、私が消えるまでこの大きな穴が消えることはないことも私がいちばん知っている。
無知の知を望む 偃 @Enn_Urui
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