第5章

27.嘘にしたくなかったから。


 僕と七里ななさとさんが恋人でいれる時間は、残り一週間を切った。


 もうダメかもしれないという悲観と、まだ諦めたくないという執着が、僕の心をぐちゃぐちゃにしていく。


 二学期の期末テストも終わった。いつもよりもできたような気がするし、できなかった気もする。点数なんてどうでもいいとも思っている。


 テスト期間は午前中で学校が終わるので、七里さんとはほぼ毎日会っていた。お昼ご飯を食べてから、少しだけ次の日の科目の勉強をして、遅くならないうちに帰る。


 数字は着実に減っていくし、これ以上どうすればいいのかもわからないけれど、心の奥底ではまだ、七里さんとの関係が続く未来を諦めきれないでいた。


 別に、隠し事をされていてもいい。僕に見せる彼女の全部が本当じゃなくてもいい。


 ただ、これから先も七里さんの隣にいたかった。それだけだった。


 七里さんが喜ぶことを、七里さんの好きなものを、僕は追及していった。


「七里さんは犬派? それとも猫派?」


「うーん……。どっちかというと猫かな。でも――」


 犬より猫が好きで、でも飼うなら文鳥がいい。手に乗せて一日中眺めていたいそうだ。文鳥に『ナマムギナマゴメナマタマゴ』と覚えさせたいと言っていたが、人の言葉を覚えるのはインコだと思う。というか、覚えさせてどうするのだろう。


「相変わらず美味しそうに食べるね。苦手な食べ物とかあるの?」


「む。私が大食いだって言いたいの? まあ、食べれるものは大体は好きだけど――」


 苦手な食べ物はトウモロコシで、サラダにコーンが入っていると、器用に箸でよけて食べるほど。プチっという食感が嫌だと、眉をひそめながら話していた。ちなみにポップコーンは大好きらしい。たしかに、夏休みに映画に行ったときもたくさん食べていた。


「心理テストなんだけど、理想的なプロポーズのシチュエーションとかはある?」


「プロポーズかぁ……。一応あるけど、恥ずかしいな。えーっとね――」


 プロポーズは、散歩のついでにさりげなくされたい。夕方くらいになんとなく外に出たくなって、同棲中の恋人と近所を歩いて、家に戻る途中の歩道橋の上とかで、夕焼けをバックに突然のプロポーズ。


 指輪は失くしそうだから要らないとも言っていた。代わりに、広い家に住みたいとのこと。


 七里さんは、珍しく照れながら話してくれた。


 きっと、七里さんと結婚することになるのは僕ではない誰かなのだろう。


 そんなことを思って、自分で出した話題にもかかわらず、胸が痛くなった。


「で、この心理テストは何がわかるの?」


「どんなシチュエーションでプロポーズされたいか」


「そのまんまじゃん!」


 僕は七里さんについて、たくさんのことを知った。


 けれど、本当に彼女が求めていることが何か、僕はわかっていないような気がした。


 どれだけ真剣に彼女のことを考えても、数字は変わらなかった。


 七里さんではなく僕の方が心変わりするかもしれない、という心配も、結局は杞憂に終わった。


 僕はまだ、痛いほどに彼女のことが好きだった。


 そう遠くない日に訪れる七里さんとの別れを、想像なんてしたくもないのに――。


 彼女から告げられる別れの言葉を、そのときの彼女の申し訳なさそうな表情を、僕の脳は勝手に思い浮かべる。


 それを必死で振り払うように、七里さんとの幸せな未来を思い描いてみようとするけれど、それすらも上手くできなくて。


 どうしようもなく、僕はみじめだった。




 日曜日。いつもよりもちょっと遅めに起床した僕は、寒さで布団から出れないでいた。そのままミノムシみたいになってゴロゴロしていると、スマホが震えた。


〈外!〉


 七里さんからのメッセージはそれだけだった。


 直接見えないからわからないけれど、今日は七里さんの数字は2になっているはずだ。


 布団を体に巻き付けたまま起き上がり、カーテンを開ける。窓の外に、たくさんの白い粒がゆっくりと落下している幻想的な景色が見えた。


 そういえば、雪が降る可能性がある、というニュースを見たような気がする。少し早めの初雪だった。


〈雪ふってた〉


 僕はなんとも間抜けな返事をする。


 それから何往復か、メッセージのやり取りをした。


 スマホに表示される文字からは、七里さんが僕のことをどう思っているかは読み取れなかった。




 もう、何をしても無駄なのかもしれないと僕が思ったのは、七里さんの頭上の数字が1になった日だった。


 結局、昨日降った雪は中途半端に積もった。ところどころ氷になってしまっていて、慎重に歩かなければならなかった。


 期末テストは先週で終わっている。あとはテストの返却と大掃除、大学の教授の講演会が終われば、冬休みに突入する。


 その日の僕は、明らかに沈んでいた。


柾人まさと、顔色悪いぞ」


 脩平しゅうへいが心配そうに言う。


「そう?」


「ああ。そんなにテストがヤバかったのか?」


「いや、そんなことはないよ。平均は超えてたし」


 テストはいつも通りの出来だった。可もなく不可もなく。


「じゃあどうしたんだよ。保健室とか行かなくて平気か? なんなら負ぶって連れてってやろうか? 肩車でもいいぞ」


 脩平にこれだけ心配されるということは、僕はかなり参っているのだろう。


「肩車はやだよ。ちょっと寝不足なだけだから大丈夫」


 寝不足というのは本当だった。今の精神状態でぐっすり眠れるわけがない。


「そうか。つらくなったら言えよ」


 数日前に相談した七里さんとのことかもしれないと、脩平も思い至っているはずだけど、何も言わずにいてくれた。


「ありがと」


 脩平はいいよね。今の彼女と、死ぬまで幸せな人生を送れるんだから。僕も脩平みたいにイケメンで爽やかで性格が明るかったら、こんな思いもせずに済んだのではないか。そもそも人間としての完成度が全然違うじゃないか。不平等だ。不公平だ。


 それがただの八つ当たりだということもわかっているけれど、そう思わずにはいられない。思っていることをそのまま口に出すほど、僕も子どもではないというだけで。


 自分のことが、どんどん嫌いになっていく。


 どうして、こんなにも生きることはままならないのだろう。


 もう、どうしようもないのかもしれない。どうあがこうと、運命は変えられないのかもしれない。


 そんな考えが脳裏をかすめても、それでも、最後まで諦めることはしたくなかった。


 七里さんのことが好きだという気持ちを、嘘にしたくなかったから。

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