第4章

22.気持ちが離れていかないようにするためには、どうすればいいか。


橘田きったくん、おはよ」


 七里ななさとさんと恋人同士になった翌日。教室に入って来た彼女は、僕に笑いかける。今までもあいさつくらいはしていたが、今日のそれには親密さが込められているような気がした。


「おはよう」


「どうしたの。寝不足?」


 僕が眠そうにしているのが伝わったらしい。七里さんは心配そうに僕を見る。


「うん。なんか嬉しくなっちゃって、眠れなくて」


「ふふ。そっか。私と一緒だ」


 僕の彼女は小声でそう言うと、天使みたいに微笑んで、友人たちの輪に入っていく。


 眠れなかったというのは本当だったが、残念ながら嬉しさのせいではなかった。


 これからどうすればいいのか、どうするべきか、僕はずっと考えていたのだ。


 昨日、告白をしてOKをもらったとき、七里さんの頭の上に見えた数字は40だった。そして今日はもう、39になっている。


 僕は気を抜いていた。恋人と別れるまでの日数が見える不思議な現象のことなど、完全に忘れていた。


 情けないことに、自分に恋人ができたときにも適用されてしまうということに思い至らなかった。というよりも、正確には、自分に恋人ができるなんて事態を想定していなかったのだ。


 一世一代の告白にOKの返事をもらい、死ぬほど喜んで舞い上がっていた僕は、一瞬で地面に叩き落とされた。三秒にも満たない、儚い幸福だった。


 数字が視界に入ってこないようにコントロールもできたはずなのに、意識から漏れていた。


 いっそ、見なければよかったとも思った。けれど、どうせどこかのタイミングで見えてしまっていただろう。だったら、少しでも早く知ることができてよかったではないか。そう言い聞かせてみたけれど、なんの慰めにもならなかった。


 それに、数字を見てしまったことよりも、その数字が問題だった。


 40。


 それが、僕と七里さんが恋人でいれる日数であり、別れるまでのカウントダウンだ。


 高校生同士の恋愛では、一ヶ月や二ヶ月で別れるカップルも珍しくない。


 そういう人たちは、恋愛をしている自分が大好きなだけだ。付き合っている間はSNSなどで周囲にアピールをしたがるくせに、別れてすぐに次の相手を探し始める。話題のドラマや小説、音楽を浅く消費して、人気なものや流行が大好きなタイプ。恋愛なしでは生きていけないような人たちだ。完全に僕の偏見だけど。


 今まではそういう、インスタントに恋愛を楽しむ人たちのことを、心のどこかで見下していた。すぐに別れるのなら、最初から付き合わなければいいのに、と。たぶん、嫉妬とか羨望とか、そういう醜い感情も混じっていた。


 しかし今は、僕自身が40日で別れるという事実を突きつけられてしまっていた。


 もちろん、僕はそういう人たちと同じように、ただ恋愛がしたくて七里さんと付き合い始めたわけではないし、一途に七里さんのことを好きでいる。


 だとすると、僕が考えるべきことは一つだ。


 七里さんの気持ちが離れていかないようにするためには、どうすればいいか。


 僕は昨日からずっと、頭を悩ませていた。


 恋愛経験値が皆無と言っていい僕が頭を悩ませたところで、出てくるものなど何もないのだが。


 いつの間にか、朝のホームルームが始まっていた。


 七里さんの頭上に視線をやる。


 39という数字が、変わらず見えた。


 僕のこの力には、いくつかの疑問点があった。


 まず、数字が0になるのは恋人との関係が終わる日。そして、その日の中でも、終わる瞬間までは頭上の数字は0であり、実際に恋人関係が解消されることで数字は消滅する。ここまでは問題ない。


 では、恋人との関係が終わる、というのは、正確にはどういう状況のことを指すのか。


 別れ話をする、というのが一般的な恋人の終わり……だと思う。夫婦の場合は離婚だろうか。


「私たち、もう終わりにしましょう」「うん。そうだね……」と、双方とも下を向きながら目を合わせずに会話をする。というのが、恋愛力の貧困な僕が想像できる破局の流れだ。


 実際はどうなのかわからない。今どきの高校生だと、スマホのメッセージアプリで別れ話をしたりするのだろうか。


 他に好きな人ができたから。


 価値観が合わなかった。


 日常のすれ違いが重なって。


 そういった理由で、人々は恋を終わらせる。


 恋人関係の解消の定義について、さらに細かい疑問もある。


 自然消滅の場合は? 片方が納得していない場合は? 夫婦の別居の場合は?


 どのタイミングで数字が消滅するのか。もしくはしないのか。


 この辺りは、考えてもわかる気がしない。悩んでも無意味だろう。


 次。死別はどのような扱いになるのか。


 これについては、答えが推測できる。


 交際している二人の、どちらかが亡くなったとき、残された方の数字も一緒に消える。そう考えて間違いないはずだ。


 桁の大きい同じ数字を頭上に浮かべる夫婦をよく見る。僕の両親もそうである。


 数字の大きさが同じというのは夫婦なら当たり前なのだが、ポイントは大きな数字というところだ。これは、どちらかが死ぬときまで二人の関係は続くという意味だろう。ということは、残された方も、もう片方と同時に数字は消えることになる。


 最後。これが一番重要だ。


 頭上の数字は変動するのか。


 例えば、恋人と上手くいっていない人間がいて、別れるかどうか迷っているとする。天秤は別れる方に傾いていて、このあと恋人と別れ話をしようとしている。その人に対し、第三者が思いとどまるように言うことで、天秤は逆に傾き、交際は継続する。


 そんな一連の出来事があるとして、第三者の介入の前後で、数字は違うものになっているのだろうか。


 人の気持ちなんてものは、目に見えない微妙なバランスで保たれている不確かなもので、何をきっかけに変化があるかわからない。


 この問題に対して、僕は一つの仮説を立てた。


 交際中の人間に介入する第三者が、もし僕以外の誰かであれば、頭上の数字は元から違う数として見えているはずだ。よって、変動はない。


 しかし、僕は違う。なぜなら、僕には数字が見えていて、その数字によって行動を変えることができるからだ。


 つまり、僕が普段はとらない行動をとることで、他人の数字が増減する可能性は、なくはない。


 極端な例を出すと、まだ数字の大きいカップルの片方を、僕が殺害する。そうすると、数字はその瞬間に消滅するのだろうか。


 このくらいなら、確かめることができると思う。


 もちろん、誰かを殺害するわけではない。もっとマイルドな方法を考えている。


 申し訳ないけれど、何人かに実験台になってもらうことにした。

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