19.明日世界が滅んでしまうんじゃないかってくらい怖くなった。


 片想いの女の子とスイーツを食べに行く。そんな一大イベントの二日前。


 予定通り、脩平が七里さんに当日行けなくなったことを、僕たち三人のグループトークに投下する。


 七里さんからは『残念。日野くんの分も食べてくるね』と返事があった。


 七里さんのことだから、本当に二人分食べるつもりなんじゃなかろうか、と少し心配になる。


 その返信内容からすると、僕と二人で出かけることが嫌ではないということらしい。それだけでとても嬉しかった。我ながらチョロい。




 そして二日後。


 僕と七里さんはデートに出かけた。


 デートだと意識してしまうと、緊張で五臓六腑を全部吐きそうになるので、二人で一緒に出掛けるだけだと言い聞かせながら、待ち合わせ場所に三十分前に到着した。


 服装はカーキパンツに白い半そでシャツ。決してお洒落ではないが、変ではないはず……だと思う。


「ごめんね。待った?」


 待ち合わせの時間の五分前に七里さんが現れる。


「ううん。僕が早く来すぎただけだから」


 どうにかそれっぽい言葉をひねり出す。


 当たり前だけど、七里さんも私服だった。クリーム色の長そでブラウスに、膝まで隠れるネイビーのスカート。


 色合いは制服と似たり寄ったりだったにもかかわらず、印象は全然違った。軽くメイクもしているようで、いつもよりも綺麗だった。


 たぶん、こういうときは褒めるべきなんだろうな……などと思いつつも、当然のことながら、僕の語彙に女性を褒める言葉など含まれていない。無念だ。


「それじゃ、行こうか」


「あ、うん」


 僕たちは並んで歩き出した。七里さんが積極的に話題を提供してくれた。夏休みの宿題の進捗や、今年の夏の映画の話題作とか。


 笑顔を振りまきながら、次々と話題を変えていく。どんな話をすればいいかわからない僕に気を遣ってくれたのかもしれない。


 歩くこと数分。予定通り、絶対に僕一人では入れないような、それどころか、今までは認識の外側にあって入ろうとも思わないような、色も形も何もかもが甘さを表現しているようなパンケーキ専門店に到着する。


 入店した僕は、全身で甘ったるさを味わっていた。その甘ったるさに圧倒されながら、僕たちは席に案内される。


 予約もしていたのでばっちりだ。まあ、予約しておけってアドバイスくれたのは脩平なんだけど。


「わぁ……すごいね!」


 感動するように店内を見回す七里さん。


「うん。甘さを司る神様が今にも降臨しそうだね。握手してもらわなきゃ」


 場違いな空間を訪れてしまった不安と、好きな人といる緊張と楽しさで、情緒がぐちゃぐちゃになり、発言がいつもの三十倍くらい終わっている僕。


 僕たちは向かい合って座った。


 パンケーキといっても、様々な種類のものがあるらしく、メニュー表を見ているだけでも楽しい。悩んだ挙句、僕は宇治抹茶パンケーキを、七里さんは期間限定のフルーツパンケーキを注文した。


 改めて店内を見渡す。さっきよりもほんの少しだけ余裕を持って観察できた。


 淡い色を中心にした内装はふわふわキラキラしていて、とてもお洒落だった。テーブルや椅子などは全体的に角が少なく、曲線を描くように設計されている。


 壁には芸能人のサインが貼られていた。僕でも知っているような有名な人のものもある。


 照明の角度や色も工夫されている。柔らかい雰囲気作りに一役買っているようだ。


 僕みたいな人間には縁のない世界が、そこには広がっていた。


 まだ何も食べていないのに甘いような気がしてきた。食べ切れるか心配になってくる。


「なんかこのお店、カップル多いね~」


 七里さんが周りを見ながら言う。


「そうだね」


 店の客層は、半分が女性同士、半分がカップルだった。全体的に二十歳前後の若い人が多い。


「ハッピーな空間だね」


「うん」


 肯定しつつ……。あの楽しそうな高校生カップルは13日後に別れるし、幸せそうな大学生カップルの男の方は三股してるよ。そう心の中で付け加えた。


「私たちもカップルに見られてるのかな?」


 顔を少し近づけてきた七里さんが、目を細めながらささやくように言った。僕をからかおうとしているのだろうか。だとしたら百点満点中の五千億兆万点だ。


「さっ、さあ。どう……だろうね」


 胸を高鳴らせつつ、何も気にしていないという表情を無理やり作って、僕は答えた。

 

 それ以上、言葉が何も出てこないのは、脳内がパニックになっているからだ。


 水を一気飲みすることでなんとか落ち着いて、僕は思う。


 でも、そうか。七里さんは僕なんかとカップルに見られてしまっているかもしれないのか……。そんな彼女に対する罪悪感を、僕は必死で飲み下した。


 思ったよりも早く、二人分のパンケーキが運ばれてくる。


「わ、美味しそう」


 目を輝かせて、七里さんは言った。


 触るまでもなくふわふわしていることが明白な、程よく焼かれた生地の上に、色鮮やかなフルーツがトッピングされている。見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだった。


 僕の方は、鮮やかな緑で彩られた宇治抹茶パンケーキで、こちらもかなりのボリュームがあった。


「それじゃあ、さっそくいただきます!」


 七里さんはフォークとナイフを手に取る。


「写真とか撮らないの?」


 SNSにアップするための写真を撮ることが、若い女性の間では義務化されているんじゃないかって誤解してしまうくらい、他のお客さんは運ばれてきたスイーツに対してカメラを向けていた。カシャ、という音が頻繁に鳴るせいで落ち着かない。


 実は僕たちのことを撮影していて、そのうち『冴えない男が美少女と甘々パンケーキデート。つり合いのとれてなさが今世紀最大級!』なんてタイトルで週刊誌に載せられてしまうのでは……などと、よくわからないことを考えてしまう。


「あ、やば、忘れてた! でも私はもう食べる準備に入ってしまっているので、今回は食欲の勝利です」


 そう言いながら、パンケーキを食べやすい大きさに切って口に運ぶ。どうやら七里さんはあんまりそういったことに興味がないようだった。きっとパンケーキも本望だろう。


「うっわぁ……。すっごいふわふわ」


 頬に手を当てて幸せそうな表情をする。こちらまで幸せが伝染してくるようだ。


「こういうとこって、食べる前に写真を撮るのが絶対的なマナー、くらいに思ってたんだけど」


 咀嚼する七里さんも素敵だな、などと思いつつ、僕はあえて食べずに、美味しそうにパンケーキを頬張る彼女をちらちらと盗み見る。


「え、そうなの? あっま。めっちゃ甘い。美味しい。あっまい」


「さあ。僕もよく知らないけど」


 僕はポケットからスマホを取り出してパンケーキを撮影する。


「あ、橘田くんの裏切り者! 私も実はこういうとこ来るの初めてだからな~。ってか待って。このパンケーキ美味しすぎない? あとその写真、あとで送っといて」


 スマホをしまい、僕もパンケーキを食べ始める。本当は幸せそうな顔をしている七里さんを撮りたかったところだけど……。


「ん。本当だ。甘くて美味しい」


「でしょ!」


 今までこういうお店に興味はなかったのだが、こんなに美味しいなら通ってもいいな、なんて思えた。




〈どうだった?〉


 見張られていたかのように、僕が家に着いたタイミングで脩平からメッセージが届いた。


〈マジで緊張した。食べたスイーツ全部吐きそう〉


 僕はそう返信する。


〈ウケる〉


 一瞬で返信が来た。ウケるな。


 思い返してみると、今日の僕はなかなかに酷かった。


 会話も上手くできないし、七里さんの方を真っ直ぐに見れなくて、視線もずっと下の方を向いていた。無様な自分の言動を思い返したら、大声で叫びながら全力で走りたくなってきた。


 良かったところといえば、パンケーキが美味しかったことくらいかもしれない。


 もっと自然に話すにはどうすればいいのだろう。学校ではある程度自然に話せている……と思う。それは学校という場所だからであって、今日みたいにプライベートで出かけているときとは違うのだ。やはり、慣れなのだろうか。


 会話は努力すればどうにかなりそうだ。でも、目を合わせられないのはまずい。


 七里さんの写真を壁に貼って、目を合わせる練習をする、という案を思いついたけれど、完全にヤバいやつだ。却下。


 いつの間にか一人反省会が始まっていた。


 よし。次はもっと頑張ろう。でも……次なんてあるのだろうか。


 思い悩んでいると、スマホが震えた。


〈今日は楽しかった。ありがと。また遊ぼうね〉


 そんなメッセージが七里さんから届いただけで、僕は反省会のことなんて忘れて舞い上がる。嬉しかったし、明日世界が滅んでしまうんじゃないかってくらい怖くなった。大げさかもしれないけど。

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