18.今年の夏は、今までと違うものになる予感がした。


 残り少ない一学期の日々で、僕は七里さんと接触する回数を増やした。会話も、できるだけ長く続けるように工夫した。僕にしては頑張りすぎているくらいに頑張った。


 だけど、僕と七里さんの間の距離感は、ただのクラスメイトとしてのそれにすぎなかった。


 せめて、個人的に連絡を取り合うくらいに親密になれれば、夏休みにも話せるチャンスがあるかもしれないのに……。


 七里さんの連絡先は知っていた。


 クラスのグループトークがあるおかげで、連絡先の交換をするまでもなく、七里さんを含めたクラス全員分に連絡を取ることが可能だ。


 その点に関しては、同じクラスになったんだから仲良くやっていこうぜ、みたいな感じの雰囲気に感謝している。苦手だけど。


 つまり僕は、七里さんに個人的に連絡をすることはいつでもできる状態にある。


 けれど、できる状態にあることと、それを実際にすることの間には、ヒマラヤ山脈くらいに高い高い壁があるのだ。その壁を飛び越えることも、ぶち破ることもできないまま、僕は無力感に打ちひしがれていた。


 結局、他人との関わりを必要最低限にしか持ってこなかった僕には、積極的に誰かと親密になろうとすることなんて無理だったのだろうか。


 無情にも、一学期の最後の日がやってくる。


 終業式を行って、それで終わりだ。夏休みに突入し、僕は悶々としながら、後悔を抱えながら、長い夏を過ごすことになるのだろう。


 特に進展のないまま夏休みを迎えてしまったら、長期休暇中に個人的な連絡を片想いの相手にするなんて大胆なこと、できるわけがない。


 羽目を外しすぎないように、という担任の無難な言葉を最後に、一学期が終わる。教室は解放感に満ちていた。


「よし。柾人、行くぞ」


「え?」


 椅子を立った脩平に促され、わけもわからぬまま、僕は彼についていく。


 七里さんが、友人と三人で話していた。いつも七里さんと昼ご飯を食べている女子たちだった。僕はどちらとも言葉を交わしたことはない。どちらかが彼氏の束縛が強い女子で、もう一人が好きな人からの返信が遅い女子だったはずだ。小野屋さんは別のクラスなので、その場にはいなかった。


 スマホを見せ合う彼女たちの間で『える』とか『可愛い』とかの単語が飛び交っている。どうやら、最近流行っているスイーツについての話らしい。


「お、スイーツの話?」


 脩平が声をかける。どうやったらそんなにナチュラルに会話に混ざっていけるのだろう。何か、魔法みたいなものを使ったのだろうか。まさか……詠唱破棄っ!? などとくだらないことを考えている場合ではない。


「そ。これヤバくない?」


 女子Aが、ケーキの画像を表示させたスマホを脩平に見せる。脩平だけに見せるには中途半端な位置にスマホを掲げているので、たぶん隣にいる僕にも見えるようにしてくれているのだろう。


 ちゃんと画像を見るため、もう少し近くに顔を持って行こうとしたが、もしそうでなかった場合に気持ち悪がられるおそれがある。は? お前には見せてねーし。なんて言われたら僕のメンタルは間違いなく死ぬ。どうしたものか……。


「ヤバい。美味そう」


 持ち前の卑屈さを発揮して固まっている僕に対し、脩平は自然にリアクションをとった。これがスクールカースト上位と下位の差だ。わかっていたけど悲しくなる。


「でしょでしょー!」


 脩平から好意的な反応を得られたことに、女子Aははしゃいだような声を上げる。


「これは?」


 女子Bが同じようにしてスマートフォンを見せてくる。僕は結局、申し訳程度に顔を近づけて画像を見る。こっちはパフェだ。これでもかとカラフルなフルーツと生クリームが盛られている。全部増しのラーメンかよ。


「美味そう……だけど、ちょっと量がきつそうだな」


 脩平も僕と同じような感想を抱いたらしく、お腹辺りを押さえながら言った。


「はい、あたしの勝ち~」


 嬉しそうな女子A。


「見た目は? 見た目だったらこっちの勝ちでしょ」


 不満そうな女子B。


「ん~、決められん……。二人とも可愛いからな~」


「うちら自身の話はしてないから」


 即座にツッコミが入る。これが陽キャのコミュニケーションってやつか……。怖い。冗談でも、僕は女の子に面と向かって『可愛い』なんて言えない。


「そういえば七里って、スイーツ好きそうな顔してるよな」


 今のやり取りを笑いながら楽しそうに聞いていた七里さんに、脩平が突然、そんなことを言い出した。


「好きだけど……。もしかして、太ってるって言いたいの?」


 七里さんはちょっとズレた反応をしつつ、しかめっ面をして両手でお腹を押さえる。可愛い。心の中でならいくらでも言える。


「いや、別にそんなことはないけど……」


 七里さんの反応が予想外だったらしく、脩平は困ったように答える。


「ひどい! これでもスイーツは一日二つまでで我慢してるのに!」


「ちょっと待って! 七里の我慢の定義がわからない」


「本当なら、お昼にプリン食べて、おやつにシュークリーム食べて、夜にモンブランとチョコレートケーキを食べる生活を保障することを定めた憲法を作りたいくらいだけどね」


「憲法の話になってるし。それならまずは総理大臣でも目指してくれ」


 脩平が笑いながらツッコむ。どうして僕を差し置いて七里さんと楽しそうなやり取りをするんだ。新手の嫌がらせだろうか。


 とりあえず、七里さんはスイーツが好きだということは伝わった。


「柾人もスイーツ好きだったよな」


 みんなの会話を聞くだけしかできていなかった僕に、脩平が話を振ってきた。


 脩平がしようとしていることはなんとなく予想がついたけど……。ちょっと待ってほしい。心の準備をする時間をくれ。どうして先に言っておいてくれないんだバカ。


「スイーツね。まあ、野菜よりは好きかな」


 脩平の質問に僕は答える。


 いつの間にか女子Aと女子Bはいなくなっていて、その場にいるのは僕と脩平と七里さんだけになっていた。人間消失マジックか?


「スイーツと野菜比べんな。そんなん誰でもそうだろ」


「なんだと? ベジタリアンに謝れ」


「あはは」


 僕と脩平のやり取りに、七里さんが笑ってくれた。嬉しい。


「というわけで、せっかくの夏休みだし、スイーツを食べに行こうと思うんだが、どうよ」


 脩平が提案する。それは完璧なまでに自然な流れだった。


「はい! 行きたい!」


 七里さんがすぐに挙手をする。瞳の輝きがすごい。


「柾人は?」


 うなずけ、という強い念の込もった瞳を僕に向ける。


「あ、うん。いいね」


 お前はもう少し気の利いた返答ができないのか。このポンコツが。何がいいね、だ。何様のつもりだ。と自分自身を罵倒する。


「あれ、みっちゃんたちは?」


 七里さんは女子Aと女子Bがどこかへ行ってしまったことに気づいて、周囲をキョロキョロ見回した。


「あの二人なら帰りの支度してるぞ」


 脩平が後ろの方を示す。


「わー、ホントだ! 置いてかれる!」


 七里さんはバタバタと帰りの準備を始めた。


「じゃ、スイーツの件はまたあとで連絡するから」


「わかったー。よろしくね、日野ひのくん!」


 というようなことがあって、僕は七里さんとプライベートで出かける権利を得た。ナイスなアシストをしてくれた脩平を崇め奉らなければ。


 あまりにもすんなりと決まったものだから、嬉しさよりも戸惑いの方が大きい。


「よし。セッティングはオッケーだな。あの二人には後日ジュースをおごるとして……」


 席に戻って帰る準備をしていると、脩平が言った。


「え、もしかして、打ち合わせとかしてあった?」


 脩平の発言で、ようやく女子Aと女子Bも協力者だったことに気づく。それはつまり、僕の気持ちも彼女たちにはバレてしまっているということで――。羞恥心がこみあげてくる。あんなに恋の話が大好きな二人だ。喜んで協力してくれたに違いない。


「まあな。だけど二人とも口は堅いから心配するな」


 本当だろうか……。


「それならまあ、いいんだけど……」


「というわけで、七里とのスイーツ会、頑張ってな。幸運を祈る」


「え? 脩平は?」


 三人で行くって話じゃなかった?


「俺は適当に理由つけて当日は欠席だ。二人で楽しんで来いよ」


「待って。いきなり二人? もし脩平が行けないってなったときに、七里さんも行かないって言い出したらどうするの? それって完全に僕と二人で出かけるのは嫌だってことじゃん。魂が抜けて空高く昇っていくと思うけど、ちゃんと戻してくれる?」


「それは保証しかねるな」


「え、待って。本当に怖くなってきた」


 早くも胃が痛くなってくる。


「まあ、でも、きっと大丈夫だと思うぞ。お前と七里、見てる限りいい感じだし。夫婦感すら出てる」


「ふ、夫婦?」


 いきなり恋人を超えて?


「めっちゃ顔赤くなってる」


 ウケる、と手を叩きながら脩平は笑う。ウケるな。


 家に帰ると、僕と柾人と七里さんのグループトークができていて、日時や場所も決まっていた。すごい。いつの間に……。


 出掛けるのは一週間後だ。僕は卓上カレンダーに赤ペンで印をつける。


 今年の夏は、今までと大きく違うものになるような、そんな予感がした。

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