15.かなり重症だ。


 七里さんの数字が消えてから二日が経った。


 結局、七里さんが誰と付き合っていたのか、どういった経緯で別れたのか、その辺りの事情は一切わからずじまいだった。


 七里さんは、恋人とどんな場所に行って、どんな時間を過ごしたのか。どういうふうに恋をしていたのか。それすらも、僕は知らなかった。もちろん、どんな別れ方をしたのかも。


 わかっていることは、今、七里さんには付き合っている男がいないということだけだ。


 数字が消えて以来、彼女の頭の上に新しく数字は現れていなかった。


 といっても、まだ数字が消えてから二日しか経っていない。


 七里さんは、恋人がいるという事実を公にしていなかった。僕が知る限りでは、の話だけど。


 一度、七里さんの友人たちとの会話を偶然聞いてしまったことがある。


 あれはたしか、七里さんの頭上に数字が現れてから一ヶ月くらいが経ったころ、つまり、今から約一ヶ月前だったと思う。




 彼女たちは数人で集まって恋バナをしていた。その中には小野屋さんもいた。


 彼氏の束縛が強いだとか、好きな人からの返信が遅いだとか、そういう、普通の女子高生がしているような会話だった。


「そういや、梓帆はどうなのよ」


 七里さんに向かって、束縛が強い彼氏持ちの派手な女子が言う。


「えっ?」


 虚を突かれたというような反応をする七里さん。


「そうそう。彼氏とか、気になる男子とか。あんたからそういう話、全然聞いたことないんだもん。たまには聞かせなさいよ」


 好きな人からの返信が遅い女子が追撃する。


 ただ聞いているだけなのに、僕はドキっとした。今、七里さんの彼氏の存在が明らかになるかもしれない。


 七里さん本人から、彼氏がいるなんて聞きたくなかった。耳をふさごうかと思った。同時に、彼女が誰と付き合っているのかも知りたかった。でも、知りたくないという気持ちもあった。


 しかし、彼女は――。


「か、彼氏なんていないよ。気になる人も、別に……」


 言葉尻をにごしつつ、頬を染めて、胸の高さまで上げた両手を振った。


 今まで誰とも付き合ったことがないけれど、恋愛にはちょっぴり興味はある、そんな清らかで純粋な女の子として、百点満点の反応だった。


「えー? 本当に?」


「こんな男ウケしそうな顔して何言ってんのよー」


 と、他の女子も口々に言う。自分たちが恋バナを楽しむため、友人をしつこく問い詰める習性が、女子にはある。矛先は完全に七里さんに向けられていた。


「はぁ~。佳月かづきもこの子になんか言ってやってよ」


 二年生になっても、小野屋佳月は七里さんと一番仲の良い女子だった。今年は別のクラスだが、昼休みにこうして僕のクラスを訪れて、七里さんたちと数人で集まって昼食を食べることもあった。


 一年生のときは同じクラスだったとはいえ、僕はそこまで小野屋さんのことを知っているわけではない。ただ、七里さんと僕がたまに話すのを知っているため、気軽に声をかけてくれる数少ない女子だ。芯が強くて格好いい女の子。すごくしっかりしていて、生徒会長というよりも風紀委員というイメージ。対面すると、思わず背筋が伸びてしまうような。


「なんか言ってやってって言われてもなぁ。梓帆はそのまんまでいいと思うんだけど」


 小野屋さんは他の女子と違い、七里さんの現状に満足そうにしているようだ。


「もー、保護者がそうやって甘やかすから、いつまで経っても梓帆の恋バナが聞けないじゃない。将来、悪い男に引っ掛かっても知らないからね~」


 束縛が強い彼氏は悪い男に入らないのだろうか。それとも、彼女なりのブラックジョークなのだろうか。


「誰が保護者よ」


 小野屋さんがテンポよく反応する。


「梓帆、よく聞きなさい。あんたは外見だけは可愛いんだから、彼氏の一人や二人くらいいてもおかしくないの。ちょっとでも気になる男子がいたら、すぐにうちらに報告するように」


 好きな人からの返信が遅い女子が、小学生に言い聞かせるように諭す。


「は~い」


「いやいや、彼氏が二人いちゃダメでしょ」


 気の抜けた返事をする七里さんと、律義にツッコミを入れる小野屋さん。


 会話を聞いていた僕は、七里さんが可愛いのは外見だけじゃなくて中身もなのに、なんてことを思った。かなり重症だ。


 そんなふうに、七里さんは誰かと付き合っているという事実を隠していた。


 けれどもしかすると、小野屋さんだけは、七里さんに恋人がいるということを知っている可能性がある。冗談で保護者だと言われるくらいに、小野屋さんは七里さんと親しい。そんな小野屋さんになら、七里さんも恋人の存在を打ち明けているのではないかと、僕はそう思った。


 それに、なんとなく、二人の間には秘密を共有している雰囲気があったのだ。完全に直感で、根拠なんてないけれど。


 でも……。もしそうだとすると、他の人に隠している理由はなんだろう。


 相手が一回り以上年上の社会人で、交際そのものが倫理的によろしくないという可能性。


 相手には本命がいて、七里さんが浮気相手。七里さんはそれをわかっていて隠している可能性。


 うん。どれも想像するだけでムカムカしてくる。やめておこう。




 放課後。僕は七里さんと初めて会った場所――屋上庭園にいた。


 期末テストが近いので勉強のために図書室に行こうと思ったが、なんだかやる気が出ないような気がして、一度外の空気を吸おうと考えていた。集中力の欠如に、二日前に恋人と別れた七里さんのことも関係していると思う。


 適度に曇っていて、爽やかな風も吹いている。夏にしては比較的涼しい日だった。


 二十分くらいしたら勉強しよう。そう考えながら、首の力を抜いてベンチの背もたれに上半身を預ける。視界のすべてが空になった。遠くから、下校する生徒の話し声や、踏切の音、セミの鳴き声が聞こえてくる。


「あれ。橘田じゃん」


 声がした方に顔を向けると、七里さんの保護者、もとい小野屋さんがいた。


「小野屋さん。またかくれんぼしてるの? 今度は隠れる側?」


 校内かくれんぼ中の七里さんを匿った日、小野屋さんが鬼として七里さんを探しにここへ来たことを思い出す。


「そのことはもう忘れてくれ。今日はなんとなく来ただけだよ」


 珍しく恥ずかしそうな表情で言う。


「そうなんだ」


「いい場所だな、ここ」


 小野屋さんはそう言って、僕の隣に座る。


「うん、そうだね」


 相変わらず会話が下手くそな僕を責めるでもなく、小野屋さんは先ほどの僕と同じように、ボーっと空を見ている。ショートカットの黒髪が、風になびいて揺れた。


 これはチャンスなのでは、と思い、さりげなく探りを入れてみることにした。


「今日は七里さんは一緒じゃないの?」


 七里さんが誰かと付き合っていたことを、小野屋さんなら知っているかもしれない。口は堅いタイプだとは思うが、ヒントくらいならもらえる可能性もある。


「ん~。梓帆と仲は良いけど、いつも一緒にいるわけじゃないし」


「そうなんだ。ところでさ――七里さん、最近なんかあったみたいだけど大丈夫?」


 背もたれに寄りかかっていた小野屋さんが、ガバっと上半身を起こす。


「それ、誰から聞いた?」


 あまりの迫力に、僕は驚いて体をのけぞらせる。


「いや。誰からとかはないけど、ちょっと元気がなさそうだったから、小野屋さんなら何か知ってるかもと思って……」


 小野屋さんの反応で確信した。彼女は、七里さんが誰かと付き合っていたことを知っている。その相手が誰かも知っているのではないか。もう少し詳しく話してくれないかな、と思ったけれど――。


「そっか。……まあ、何もなかったってことにしておいてくれ。梓帆もたぶん、聞かれたくないだろうから」


 言葉を選びながら話す小野屋さんの様子が、いつになく真剣で、僕はうなずくことしかできなかった。


「わかった。そうする。じゃ、僕はそろそろ戻るから」


 そう言って立ち上がる。本当はもう少しここにいたかったのだけれど、余計な質問をしてしまった手前、小野屋さんとこれ以上一緒にいるのも落ち着かない。向こうは気にしていないかもしれないが。


「ん」


 片手を上げる小野屋さんを横目に、僕は校舎へと戻る。


 そういえば、小野屋さんはどうしてこの場所に来たのだろう。


 なんとなく、とは言っていたけれど、はっきりした理由があるのかもしれない。


 あの場所は、一人になるのにうってつけの場所だ。


 いつも堂々としていて、七里さんをはじめとしたたくさんの友達に囲まれているイメージが強い。だけど、そんな小野屋さんにも一人になりたいときはあるのだろう。


 まあ、考えたところで意味はないか……。


 気持ちを切り替えて、テストの勉強をしなくてはならない。学生の本分は勉強なのだ。


 心の隅に引っかかっているモヤモヤを、無理やり押しつぶして、僕は自分に言い聞かせた。

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