13.思っていたよりも、人は恋をしていた。
脩平にも新しく彼女ができた。
つい先日。七月に入ってすぐのことだった。
「柾人、聞いてくれ」
登校してくるなり、脩平は僕の机に勢いよく両手をついた。テンションがいつもの三倍くらい高い。
「どうした。そんな楽しそうな顔して」
「俺、彼女ができた」
僕は脩平の頭の上に浮かぶ数字を確認した。
「……本当だ」
「は?」
「や、なんでもない」
つい余計なことを口走ってしまった。
「何か聞きたいことはあるか?」
「え? 特にないけど」
「おいおいおい! そこは『相手はどんな人なんですか?』とか『お二人の出会いは?』とか聞くとこだろ!」
前言撤回。いつもの五倍くらいテンションが高い。
「僕は芸能リポーターじゃないんだけど」
「俺も芸能人じゃないぞ」
「知ってるよ」
「よし! じゃあ勝手に話す」
脩平は椅子に座ると、新しくできた彼女との馴れ初めを話し出した。
僕も興味がないわけではないので、耳を傾ける。
なんと、相手は大学生だという。
出会いは二週間前。駅で何かを探している様子の女性がいて、思い切って声をかけた。脩平曰く、その女性は泣きそうな顔をしていたらしい。
その女性は、祖母の形見である大切なピアスを落としてしまい、探している途中だったということを、涙目になりながら説明した。
そこまで人の乗り降りが多くない駅ではあったが、朝の通勤ラッシュの時間帯なので、それなりに人の流れはあった。早く見つけないと、誰かに踏みつぶされてしまうかもしれない。脩平は探すのを手伝うことにした。
通勤で急いでいるサラリーマンに舌打ちをされながら、脩平とその女性はピアスを探し、ついに十五分後、無事な状態でそれを発見した。
後日お礼をさせてほしい、と言われて、その女性と連絡先を交換した。とのことだ。
「すごいベタだね」
そういえば二週間くらい前、珍しく脩平が遅刻してきたことがあったな……と思い出す。その時の話なのだろう。
「ベタで何が悪い」
「悪いなんて言ってないよ。それで、お礼してもらったの?」
僕は話の続きを促す。
「ああ。食事でもってことで、二人で出かけた。一週間前にな。話してみたら、すごい聡明な人でさ。いいなぁって……」
珍しく照れたように話す。幸せそうで何よりだ。
「そりゃよかった」
「で、また会いましょうって約束して、昨日会って告白してきた。晩ご飯食べてから、ちょっと歩きませんかって言って、人の少ない公園のベンチで――」
「へぇ」
熱弁をふるう脩平の声を聞き流す。そこまで細かく話さなくてもいいのに。よほど嬉しいのだろう。
脩平の行動が意外だとも感じた。脩平はあまり恋愛に積極的にならないタイプだと思っていたからだ。
好意を寄せられ、その想いを真正面から受け止めて誠実に応える。そういう恋をしそうだと思っていた。実際、吉見さんのときもそうだったみたいだし。
「もしかして、運命ってやつなのかな」
だらしなくニヤけながら脩平が言った。
脩平の頭の上の数字は20993となっている。約六十年……か。きっと、結婚もして温かい家庭を築くのだろう。相手の顔すら知らないけれど、脩平とその彼女が幸せになることを、僕は容易に想像できた。
「たぶん、運命なんじゃない?」
「お、珍しいな」
僕の返答に、脩平が驚いたように目を見開く。
「何が?」
「柾人がロマンチックな思考回路してんの」
「そんなことないって」
そもそもロマンチックな思考回路ってなんだ。
「でも、まあ。とりあえず、おめでとう」
色々と。
「おう。サンキュ」
脩平はニカっと笑って言った。
頭の上の数字が3になっても、七里さんはいつも通りだった。
梅雨真っ只中。熱気と湿度のダブルパンチ。さらに期末テストも近く、肉体的にも精神的にも大変なある日の昼休み。
「橘田くん、ごきげんよう」
両手を後ろに回して、七里さんは僕のところまでやってきた。
「ごきげんよう……?」
何か用だろうか。とりあえず、七里さんから話しかけられて嬉しい。緩みそうになる頬を制御しながら返事をする。
「見てほしいものがあるんだ」
七里さんは、後ろに回していた両手を僕の前に持ってくる。いたずらっぽい笑み。
「え、何?」
身構える僕に、七里さんは大げさな効果音で何かを差し出した。
「じゃーん!」
彼女の手の中にあったそれを見て、
「ぅえええええええっ、ちょっ! セミ⁉」
僕は弾かれたように椅子から立ち上がり、一メートルほど後退した。
「あははははははははははは!」
七里さんは思いっきり笑っている。
「セミの形をした消しゴムだよー」
そう言って、おそるおそる元の位置に戻った僕に、再びそれを近づける。
「びっ……くりしたぁ……」
走馬灯が見えるかと思った。ってか、造形がリアルすぎるんですけど……。
「橘田くんの反応が今のところ一番面白かったよ。このまま優勝目指して頑張ってね」
「優勝? なんの?」
というか、もう頑張りようがないと思うが。
「セミ消しゴムドッキリリアクション選手権」
「そのまんまだね」
「優勝賞品はなんと、これです! この子の出身はなんと、三百円のガチャガチャ」
七里さんはセミ消しゴムを高く掲げた。
セミ消しゴムのガチャガチャを回す七里さんを想像しておかしくなる。
「そりゃすごい」
うん。要らない。
「じゃ、また」
と、自分の席に戻っていく。
三日後に恋人と別れるなんて、微塵も感じさせないような明るさだった。
いつも通りの七里さんであるようにも感じたし、無理をして明るく振る舞っているようにも見えた。
七里さんに恋人ができてから、僕は気づく。
思っていたよりも、人は恋をしていた。
有華もそうだったし、脩平だって新しく彼女ができた。
クラスメイトの数字が見えなくなっていたり、逆に数字が現れていたりした。
他にも、口癖が「彼氏ほしい」と「誰かいい男を紹介して~」だった女子が静かになったと思ったら彼氏ができていたり、元々四つあった数字を一つ増やしている男子もいた。
七里さんの親友である小野屋さんにも、いつの間にか数字が現れていたりもした。
別れてすぐに、お互い新しく恋人を作っているカップルもいた。
よく合コンをしているという噂のある、二十代後半の古典の教師に数字が現れた。一週間後に授業でとても不機嫌そうにしていたと思ったら、頭上からは数字がなくなっていた。その翌週には頭上に二桁の数字を浮かべて、幸せそうに枕草子について熱弁していた。いと哀れなり。
学校でも有名な美男美女同士のカップルが誕生して、至るところで話題になっていた。あらゆる生徒から羨望の眼差しを向けられる二人の交際が、半年も経たずに終わることを、僕だけが知っていた。
誰かと恋人という特別な関係になることは、僕には無関係で別世界の出来事のように感じていたけれど、世界はこんなにも恋や愛であふれている。
もしかすると、僕も――。
日陰でしか呼吸ができない僕も、まっとうに恋愛をしてみてもいいのかもしれない。
そんなふうに思い始めていた。
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