9.心に焼き付いてしまった。
小野屋さんがいなくなってから二十秒ほどが経った。
そろそろ大丈夫だろう。
「もう行ったよ」
と、僕は倉庫の屋根に向かって呼びかける。
「あー、助かったー」
と、七里さんの声が返ってくる。
七里さんは倉庫の中ではなく、倉庫の上に隠れていたのだ。小野屋さんが見つけられなかったのは当然である。
倉庫の上も物置になっていて、使われなくなった小さなプランターがたくさん置かれている。
倉庫の脇にははしごがかかっていて、七里さんはゆっくりと降りると僕の近くまでやって来た。
「ありがとうございました。えーっと……」
「ああ、橘田柾人。一年生です」
下の名前まで名乗らなくてもよかったのではないか、と気づいてから、少し恥ずかしくなる。
「いやぁ。橘田くんのおかげで無事に逃げ切れたよ」
僕が同級生だと判明したからか、七里さんは敬語ではなくなっていた。
「うん。それはよかった」
嬉しそうで誇らしげな七里さんに、思わず拍手を送りそうになってしまう。校内でかくれんぼというのも楽しそうだな、などと少し思ってしまった。
「それにしても、すっごい眺めだった。うちの高校、こんな素敵な場所があるんだね」
倉庫の屋根には、僕も何度か上ったことがあった。
放課後のこの時間帯は、淡い夕焼けが綺麗に見える。それに、周りに遮るものが何もない。
教室棟に屋上はあるが、基本的に生徒は立ち入り禁止なので、実質この倉庫の屋根が、紫桜高校においては最も眺めの良い場所であると思われる。
「ちょっと危ないけどね」
屋根の周囲には柵はなく、二十センチくらいの高さの縁があるだけ。もし落ちればそのまま地面だ。打ち所が悪ければ死ぬだろう。
「もし夜に上ったら、星が綺麗に見えそうだよね」
つい、調子に乗って会話を続けてしまう。七里さんの人懐っこい笑顔がそうさせるのだろう。
「うん。そんな気がする」
「まあ、夜まで学校にいることはないし、残念ながら見る機会なんてないんだろうけどね」
でも、遮るものが何もない場所から見上げる夜空は、きっと綺麗だと思う。
「橘田くん、星、好きなの?」
僕が本当に残念そうな表情をしていたからだろう。七里さんはそう尋ねた。
「人よりは」
僕はそう答える。
星が好きな気持ちは他の人よりも上、なのか、人間と星を比べた場合、星の方が好き、なのかわからいな、と思ったけれど、両方とも間違っていないからいいか。
「ふーん」
七里さんは、どちらの意味として受け取ったのかよくわからない反応をした。
「っていうか、佳月と知り合いだったんだね」
話題が変わる。小野屋さんは今ごろ、必死で七里さんを探しているだろうか。そう考えておかしくなってくる。
「うん。一応、同じクラス」
「そうなんだ。佳月ったら、私のこと可愛いって言ってたね。ふふふ」
「ネジが外れかけてるとも言ってたけど」
都合の悪い内容は聞かなかったことにしているタイプの女の子なのかもしれない。
「まあ、そんなわけで、本当にありがとうございました。おかげさまで勝てそうです」
七里さんは、ペコリ、とお辞儀をする。
「いえいえ。お役に立ててよかったです」
僕も同じように頭を下げた。
「それにしても、橘田くん、演技上手すぎでしょ」
「そうかな」
むしろ下手すぎてバレないか心配だった。必死で上の方を見ないようにもしていたし。
「だって、私たちがかくれんぼしてるって知ってるのに、あの吹き出してたところ、すっごいリアルだったから」
「あれは別に演技じゃないよ。何度聞いてもやっぱりおかしくって。おかげで自然に笑えた。校内でかくれんぼって。すごく楽しそうだけどね」
「あれ、もしかして私たち、ディスられてる?」
本来は親戚の小さな子どもに向けられるような僕の視線を感じたのか、七里さんは不満そうに唇を尖らせた。
「いや、別にそんなつもりはないけど。でも、どうしてかくれんぼなんてしてるの?」
「よくぞ聞いてくれました。放課後のマンネリ化を防ぐためであります!」
「はぁ」
放課後のマンネリ化ってなんだ?
「放課後を同じメンバーで過ごしてると、似たような展開になりがちでしょ」
「まあ。そうなのかもしれない」
放課後を過ごすような友人なんて僕にはいない、などという自虐を披露してもよかったのだが、さすがに初対面のため控えておく。
「今日もいつものファミレスに行く流れになってたのね。で、たまには違うことしようよ、って私が提案したんだけど、誰からも案が出なかったの。最終的に、佳月に『言い出しっぺのあんたが考えなさいよ』って言われて」
「それで、校内でかくれんぼ?」
「うん」
「ふっ」
「あ、また鼻で笑った!」
「いや。だって……」
「まあ。別にいいけど。さて、あんまり長くここにいても私の圧勝で終わっちゃいそうだから、そろそろ他の場所に行こうかな」
「誰にも見つけてもらえないのは寂しいしね」
「うん。そうだね。ちゃんと誰かに見つけてもらわなきゃ。じゃ、またね。橘田くん」
笑顔で軽く手を挙げると、七里さんは去って行った。
この日、七里梓帆というちょっとおかしな女の子は、僕の心に、しっかりと印象的に焼き付いてしまった。
それから、校内で七里さんを見かけるたび、僕の目は彼女を勝手に追っていた。たまに話をすることもあった。七里さんは気軽に声をかけてくれる。そのうち、僕も話しかけることができるようになっていた。
僕が彼女に抱いた、変な人だな、という第一印象は間違っていなかったようで、いつも笑わせてもらっていた。
知り合って半年くらいは、恋愛的な感情を自覚してはいなかった。
僕が七里さんのことを好きかもしれないと思ったのは、それからだいたい半年後、一年生の冬のある日だった。
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