8.僕と彼女は共犯者になった。


 僕が七里さんと初めて話したのは、高校一年生の春だった。


 運命的と現実的の、ちょうど真ん中くらいの出会い方だったように思う。




 美化委員会に所属していた僕は、毎週水曜日の放課後、花壇に水やりをしていて、その日もいつもと同じように、委員会の仕事をこなしていた。


 紫桜しおう高校の校舎は四階建てになっている。北側の特別教室棟の四階は、三階までよりも教室の数が少なく、その分、西側の端が三階の屋根を床としたルーフバルコニーのような作りになっている。


 僕はこの場所を、屋上庭園と呼んでいる。屋上ではないし、庭園というほどゴージャスな空間ではないけれど。


 特別教室棟の四階にある教室は、現在は授業でもまったく使われていないため、生徒が立ち入ることはほとんどない。したがって、その場所を知っているのはほんの一部の人だけだ。


 開放感のある穴場的なスポットで、春や秋なんかは、昼休みに数人の生徒が昼食を食べに訪れる。


 周囲には校舎よりも高い建物はなく、見晴らしもいい。


 そんな空間の外側をなぞるように、色とりどりの花が咲く花壇が並んでいる。その花壇に水をやるのが、美化委員の仕事だ。


 楽そうだからという消極的な理由で美化委員になった僕は、植物に対して、特になんの感情も持っていなかった。だから、水やりはただの作業でしかなかった。


 かといって、サボって枯らしてしまったら罪悪感にさいなまれるであろうことが容易に予想できるので、僕は決まった曜日に、素直に仕事をしている。


 そのときも、じょうろから放出される水の音を聞きながら、ピンクや黄色の春の花たちだけをボーっと眺めていた。それ以外の周囲の音と景色は、僕の意識の外にあった。


 だから、近くに人がいたことに気づくこともなく――。


「あの、すみません」


 斜め後ろから女子生徒に声をかけられて、僕は少し驚いた。


 その女子生徒が七里さんだった。そのときは名前も学年も知らなかったけれど。


「はい。ええと……何か用ですか?」


 僕はじょうろを置きながら、彼女の方を向いて答える。僕の記憶が正しければ初対面だ。学年がわからなかったため、一応敬語を使うことにした。


 髪は首元で内側にカールしている。はっきりした目鼻立ちだったけど、美人というよりは、愛嬌のある顔立ちという感じだった。そんな彼女は、僕に顔をずいと近づけて、小声で言った。


「ちょっと、匿ってもらえませんか?」


 何を言っているのだろう。


 よく見ると、呼吸が荒くて頬が赤い。急いで走ってきたのかもしれない。悪い人に追われているのだろうか、と一瞬思ったけれど、ここはごく普通の県立高校だ。それに、どこか楽しそうにもしている。


「えっと……どうして、ですか?」


 どう対処すればいいのかわからず、僕は問いかける。


 すると、予想をはるかに超える答えが返ってきた。


「今、かくれんぼをしているんです」


 微かに恥じらいをにじませた満面の笑みを、その女の子は僕に向けた。


「は?」


 かくれんぼ? 女子高校生が? 学校で?


 事態を受け入れ切れていない僕には構うことなく、彼女は言葉を重ねる。


「あ! あの、その部屋、ちょっと貸してもらってもいいですか?」


 彼女が人差し指で示した〝その部屋〟というのは、ガーデニング用品の置かれている倉庫である。


 倉庫の扉の上部には『園芸部』というプレートがあった。昔は園芸部が存在していて、今は倉庫になってしまったこの部屋を部室として使っていたようだ。当時は、花壇への水やりも美化委員の仕事ではなかったのだろう。


 その名残からか、多種多様な園芸用品が大量にしまわれている。そこそこ広く、大きなスコップや、袋に入った土、肥料。人が二、三人乗れそうな大きさの台車もある。


「まあ。別にいいですけど……」


 と、僕は彼女を匿うことを了承した。


 断る理由もなかったし、何より、彼女のあの無邪気な笑顔を見せられたら、普通の男子だったら断れなくなってしまうと思う。


「ありがとうございます!」


 彼女は、パァ、という効果音が聞こえるんじゃないかってくらいに眩しく笑った。向日葵みたな笑顔だと思った。


「あ、そうだ。もし隠れるんなら――」


 もしかすると役に立つかもしれないと思い、倉庫に入って行こうとする彼女の背中に声をかけ、微力な助言を付け足した。


 そんないきさつで、僕と彼女は共犯者になった。


橘田きった


 ちょっとおかしな女の子を匿うことになってから二分ほどが過ぎて、花壇への水やりを終え、じょうろを片付けようとしていると、同じクラスの女子に声をかけられた。


「どうしたの、小野屋おのやさん」


 小野屋佳月かづき。このときは知らなかったけれど、七里さんと同じ中学校出身で、彼女と一番仲の良い友人だ。


 切れ長の涼しげな目が印象的で、シャープな輪郭にショートヘアがよく似合っている。見た目通りのサバサバした性格。このときも、ほとんど話したことのなかった僕に、物怖じせずに話しかけてきた。


「七里梓帆しほ、見なかった?」


「誰、それ」


 言いながら、僕はさっきの女の子のことだろうと見当をつける。それが顔に出ないように気をつけながら。


「んー、なんか、こう、可愛くて、頭のネジが三本ほど外れかけてる感じの、ちょっとおかしい子なんだけど……」


 頭のネジが外れているかどうかなんて、見た目じゃわからないと思う。でもたしかに、ちょっと外れかけていたかもしれないな、と失礼なことを考えた。


「ん~、見てないけど。どうして探してるの? 何か用事?」


 匿ってほしいと言われて了承したからには、最後まで責務をまっとうする。人とのコミュニケーションを避けて生きてきた僕は、無表情でいることには慣れていた。それでもちょっと笑いそうになってしまう。


「まあ……ちょっとね」


 小野屋さんは口ごもった。校内でかくれんぼしている、なんて言ったら笑われると思ったのだろう。僕はすでに知ってるけど。


「お、こことかに隠れてる可能性もあるな」


 小野屋さんはそう言いながら、倉庫の方へ歩いて行く。


「隠れてるって?」


「や、なんでもない。ちょっと、中を探させてもらっていい?」


「別にいいけど、誰もいないよ。ってか、さっきから何してるの?」


 少しわざとらしさが出てしまっていたような気もするが、小野屋さんは気づいていないようだった。


「えーっと……笑うなよ?」


 珍しく歯切れが悪そうに、小野屋さんが言う。


「うん」


「実は今、校内でかくれんぼをしてて……」


「ふっ」


「あっ、橘田今鼻で笑ったろ!」


「だって、かくれんぼって」


 演技ではなく、僕は吹き出してしまった。普段は割と真面目な方である小野屋さんの口から聞くと、改めて笑える。


「とにかく探させてもらうからな!」


 小野屋さんは恥ずかしさを隠すように大きめの声を出すと、倉庫の中を探し始めた。


「うん。別にいいけど」


 と、言いながら、僕はニヤけそうになる顔を必死で抑える。


「いないな。こっちの方じゃないのか……」


 三十秒ほど経って、小野屋さんが倉庫から出てきた。


「だから言ってるでしょ。誰もいないって」


「ああ、橘田。サンキューな」


 梓帆のやつ、どこ行きやがった。あと一人なのに。などとぶつぶつ呟きながら、小野屋さんはどこかへ歩いて行った。

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