かるた姫の縁側

夢綺羅めるへん

かるた姫の縁側

 スマホのインカメで前髪を整えながら、大学の庭を歩く。

 下ろせば肩程まである茶髪を、内巻きにして顔のラインに合わせたヘアスタイル。小顔効果はばっちり。

 明石美沙耶あかしみさや、十九歳の大学一年生。

 漫画に影響され勢いでかるたサークルに所属してからはや三か月、今もサークルのために離れの和室へ向かっているところだ。

 ベンチが設置された休憩スペースの奥、広葉樹に囲まれた通路の先に目的地はある。

 木造の日本家屋。六畳の部屋が二つあるだけの建物なので、なんだかこぢんまりとしているように見えてしまう。

 静かに引き戸を開けて、部屋にあがる。

畳が敷かれた部屋の奥にある障子の、さらに奥。

ちょうど紅葉の時期に差し掛かり、一面紅の紅葉が望める縁側えんがわに、ちょこんと座る女性の背中が見えた。余程お気に入りの場所なのか、彼女はいつもそこに座っている。


「お疲れ様です、神撫かんな先輩!」


 私が呼びかけると、彼女がゆっくりと振り向いた。

 腰まで伸びた艶めく漆のような黒髪、薄色で太めの眉、ぱっちり開いた切れ長の目とふっくらした唇。薄いメイクでも、れっきとした和風美人。

彼女は姫路神撫。私の二個上で、私以外のかるたサークル唯一のメンバー。

 知的で、優しくて、容姿端麗。ついたあだ名は「かるた姫」。

 あまりにストレートな表現だけれど、他に言いようがないほどの大和撫子の体現者だ。


「お疲れ、美沙耶」


 にっこり微笑んでそう言う神撫は右手に饅頭、左手に緑茶入りの湯飲みを装備していた。


「ほら、こっちこっち」


 饅頭を持ったまま右手を掲げる神撫。私は素直に従って隣に座る。

お盆から饅頭を取って口にした私を、口角を上げた神撫がじっと見つめてくる。「どう?」と問うているのだ。


「疲れた体に、甘いものが沁みますね」


「でしょう?」


 ふふん、と神撫は自慢げに鼻を鳴らす。こういう無邪気な一面も、彼女の大きな魅力。


「じゃ、今日もまったりしていきましょうか」


 言いながら湯飲みを口元へ持っていき、お茶を啜る。その一連の所作が、湿った唇が、動く喉が、いちいち美しくてつい見入ってしまう。


「そんなに見つめなくても、美沙耶のお茶も用意してあるわよ?」


「えっ? いや、そうじゃなくて……」


 焦って目を逸らし、饅頭を頬張って誤魔化す。

 かるたサークルとは名ばかりで、実際はこうして二人で雑談したり、課題をやったりするだけのサークルである。いや、サークルと呼ぶのも気が引ける。

 どういうわけか二人しかメンバーがいないので仕方がない。読み手がいないし、CDに頼っても虚しいばかり。

 元々ミーハー気質で入ったサークルなのだ。不満はないし、むしろ神撫と二人きりなんて役得だ。

 そんなこんなで、今日も私は縁側で幸せな時間が過ぎていくのを噛みしめているのである。




「あら、もうこんな時間じゃない」


 一時間ほど経っただろうか。気が付けば十七時半、辺りは夕暮れ。暗い朱色が辺りを染め上げる。


「ほんとだ。私、そろそろ帰りますね」


 縁側に広げていたレポートを片付けていると、神撫が含みのある笑みを向けてきた。


「気を付けて帰ってね、特に明日は」


「どうして明日なんです?」


「こういうの、言われた当日は気にするものだけど、次の日になるともう忘れてたりするでしょう?」


「まあ……確かに?」


 筋が通っているのか、いないのか。神撫が言うから余計にわからなくなる。


「それに、明日はサークルないから先輩に注意して貰えないですもんね」


 冗談めかして返すと、神撫は数回目を瞬かせてから、嬉しそうににこりと笑った。


「ええ、そうね」


 夕焼けと赤紅葉をバックに見る神撫の笑顔に、私はまた目を奪われていた。



 翌日、十八時。

改札を抜けて、人ごみに紛れてとぼとぼ歩いていく。

こうして退屈な喧噪に揉まれていると、どうにも良くない考えが働いてしまうものだ。

 例えば、神撫への想いとか。

 私は神撫のことが好きだ。先輩へ向けるそれより、少し多めに。

 それなのに、神撫のことを考えると胸がつかえるような感覚を覚える。

 この感情の正体を、掴めずにいた。自分が何を求めているのか?

 それとも、神撫に何かを求めてしまっているのか?


「……あれは」


 ふと、路地裏に人影を捉えた。

 入れ墨だらけのタンクトップ姿の男と、キャリアケースを持ったスーツ姿の女性。

 恐らく薬物売買。この辺りでは珍しくもない。

 見てないふりをして、さっさと行ってしまうのが吉。なのに、できなかった。

 スーツの女性、その横顔に見覚えがあった。


「神撫先輩……?」


 呆然と立ち尽くす私をよそに、神撫と男は慣れた口調で話し合う。


「神撫ちゃん、やっぱ付き合ってよ」


「冗談キツイわ、私はかわいいコにしか興味ないのよ」


「ハハハ! つれないねぇ。じゃあな」


「はい、どうも」


 胸が高鳴る。何をするべきかわからず、ただただ息が荒くなっていく。

 その音に反応して、神撫がこちらを振り向いた。

 一瞬、目が合った気がした。

すぐに逃げ出したので、神撫の反応はわからない。 

 私はそのまま家まで、無我夢中で走った。



 和室の引き戸を開けられないまま、十分が経過した。

 丸一日、昨日の光景が頭から離れなかった。

 完璧美人な「かるた姫」の裏の顔。それを見てなお、神撫への想いは変わっていない。

 むしろ、より好意が増しているような気さえする。

だけど、それを認めたら……まるで私が、神撫の負の面を見て興奮しているクズみたいじゃないか。


「……違う!」


 嫌な考えを払うように、勢いよく戸を開けた。

 いつもの部屋、いつもの縁側えんがわ、そのいつもの位置に神撫は座っていた。


「お疲れ、美沙耶」


 いつもの挨拶。

 恐る恐る近づくと、神撫がかるたを持っているのが見えた。小野小町の絵が描かれた札、「花の色は~」というやつだ。


「儚い詩よね、自らの美貌が衰えていくのを憂いた詩」


 私が隣に座っても、神撫はかるたを眺めたまま続ける。


「花もじきに色を変える……昨日のアレ見て、幻滅した? それともここに来たってことは、そんなこともないのかしら」


 私の方を向く神撫。その目に心の奥まで見透かされている気がして、心臓が止まりそうになる。


「なんとなくお察しの通り、両親がその道の人でね。シノギのお手伝いをしているのよ」


 驚きのあまり何も言えない私を見て、神撫はいたずらに微笑んだ。


「あのね、私は人の裏の顔を見るのが好きなの。違う角度から見ることで、魅力がいや増すじゃない?」


 神撫は私の方を見たまま、かるたを顔の前に持ってきて、くるりと裏返した。

 裏面は緑に彩られ、紅葉の装飾が施されている。私にはその紅葉が、違う植物に見えて仕方がない。


「姫たるもの、秘めたるものがなくちゃ」


 神撫は妖しい笑みを浮かべたまま、私の頬に触れた。


「っ!」


 ぞくりと全身を何かが走り、声にならない声が出る。


「美沙耶の裏の顔も見せて……と言いたいところだけど、既にちょっと見えてしまっているわね」


「え……?」


「なにとぼけてんのさ、今自分がどんな顔してるかわかってる?」


 わからない。ただ一つ理解できるのは、神撫に距離を詰められ、どうしようもなくドキドキしてしまっているということだけ。


「潤んだ瞳、半開きのお口、真っ赤なほっぺ。まるで私のことを好きにしてくださいって言ってるみたい」


 ああ、そうか。

 指摘されてようやく理解した、自分の想い。求めていたもの。

 私はただ単純に、神撫のマイナス面を見て興奮していたのではない。

 最低最悪な欲求を、今ならはっきりと言語化できる。

 私は、神撫のような素敵な女性は実はとっても悪い人であってほしくて、そんな悪い人と一緒にとことん堕落したいと考えている。


「こう言っては悪いけれど、私の正体知っててそんな顔見せちゃうの、なかなかだよ?」


「私は、最低です……」


 働かない頭でそう呟いた私の前髪を、神撫が優しく撫でた。


「いいや、むしろ最高」

 神撫はそのまま両の指を絡めてくる。恋人繋ぎになる前に、神撫が離したかるたの札が床に落ちた。

 札は二、三度跳ねた後に緑側みどりがわを表にして伏せ、小野小町が見えなくなる。


「ずっとこうしたいと思ってたよ、美沙耶」


 そのまま、縁側えんがわに押し倒される。

 力はすっかり抜けていた。いや、初めから微塵も入ってなどいなかった。

 大学内とはいえ、離れの和室だ。どうせ誰も来やしない。

 そのまま、引き込まれていく。

 かるた姫の縁側えんがわで、神撫の縁側みどりがわに、堕ちていく。

 たまらなく心地よくて、幸せな時間だった。

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