最終章 魔王の娘と勇者の息子

第50話 おかえりなさい

「黒崎、白田、しっかりしろ!」

「ちょっ、先生。そんなに慌てなくても大丈夫ですって。みんなちゃんと息してますし、ね!?」

「それはそうなんだが……」

「とりあえず、白田くんの怪我が一番酷いので手当てしないと」

「わかった。消毒薬とガーゼと……持って来よう」


 誰かが、すぐ近くで話をしている。何となく知っている声なのだが、華月はぼんやりとして思い出せない。

 意識が浮上し、自分が何か柔らかいものに寝かせられているのがわかった。右手には何か掴んだまま、華月はゆっくりと目を覚ました。

 白い天井と柔らかな光を放つ照明器具が目に入る。空いている左手を目の前に挙げ、華月は手をグーパーして動かした。


「わた、し……」

「華月、起きたの!?」

「かこ?」

「そうだよ、歌子だよ! よかったぁ、おかえりなさい~!」

「わあっ」


 歌子に抱き付かれ、華月は思わず悲鳴を上げた。その悲鳴で気付いたのか、部屋の奥で何かを作業していた京一郎も顔を見せる。


「よかった。黒崎、気分は悪くないか?」

「先生……はい、大丈夫です」


 抱き付いていた歌子を退かせ、華月は上半身を起こす。その時になって初めて、自分の右手が掴んでいるものを見た。

 正体を知り、華月はパッと顔に熱が集まるのを自覚した。


「え……白田くん……何で……?」

「華月も白田くんも、ここに運んでくる前から手を離さなかったんだよ。保健室のベッド、2つ並んでてよかった」

「手を……」


 そっと絡んだ指を解くと、思いの外あっさりと手は離れた。しかし光輝が目覚める気配はなく、華月は不安になって彼の手にもう一度触れた。

 光輝の手は彼女と同じくらいの温度を保っている。


「温かいのに、どうして……」

「たぶん、無理し過ぎたせいだ」

「きゃっ。トリーシヤ、起きてたの?」

「華月の10分くらい前にね」


 光輝を挟んで向こう側に寝ていたトリーシヤが上半身を起こし、ベッドの上に胡座をかく。


「光輝はアズールやイレイストたちとの戦闘で、身体中ボロボロのはずだ。喉を焼かれてるし、怪我も相当してる。おそらく、体が無理矢理休もうとしてるんだろう」

「成る程。なら、無理に起こすことは出来ないな」


 トリーシヤの言葉に頷いた京一郎は、そっと華月にカップを差し出した。そこには温かい紅茶が入っている。

 ノンカフェインだよ、と笑った京一郎が言う。


「よく頑張ったな、黒崎。それを飲んだら、僕の幻蝶で家まで送ろう。幸い明日……というか今日は代休だから、体をしっかりと休めると良い」

「はい……。うん、おいしいです」

「それはよかった」


 ふっと微笑んだ京一郎は、4羽の巨大な幻蝶を呼び出した。3羽にそれぞれ華月と歌子、トリーシヤを乗せる。

 しかし4羽目が何も乗せないことを不審に思い、トリーシヤが尋ねた。


「先生、光輝は?」

「おそらく目を覚まさないだろうから、僕が付き添って家まで送り届けるよ。彼のおじいさんたちに会うのは気が引けるが……きちんと話さないとな」


 幻蝶に光輝を抱えて乗り込む京一郎を見て、華月は思わず身を乗り出した。


「わ、わたしも」

「黒崎、自分の心配をしなさい。きみも充分、無茶をしているんだからね。白田のことは、僕に任せなさい」

「……はい」


 先生らしくぴしゃりと正論を言われ、華月は頷くしかない。

 幻蝶はそれぞれ飛び立ち、華月たち各々の自宅へ向かって飛んで行った。彼らが空に舞った時、東から太陽が昇り始めていた。


 ☾☾☾


(た、ただいま)


 白んできた空の下。幻蝶を見送った華月は、そっと玄関の戸に触れた。鍵は開いていないだろうと思っていたが、ガチャリも音がして開く。華月は体を滑り込ませた。

 足音をたてないように廊下を進み、華月は手を洗った。風呂にも入りたかったが、体の疲労は限界を向かえていた。

 華月はベッドに辿り着くことが出来ず、居間のソファーで眠ってしまった。


 どれ程の時間が経っただろうか。誰かが居間に入ってきて、立ち止まる。

 華月は半分だけ目覚めた状態で、その誰かの行動を探る。すると誰かはゆっくりと華月に近付いてきて、彼女の前に腰を下ろしたようだった。


「よく、頑張ったな。お疲れ様、華月」


 触れられ慣れた大きな手に頭を撫でられ、華月は安心して夢の世界に再び入り込んだ。


「……きみのお母さんが、最期に挨拶に来たよ。会えたかい、華月?」


 明は娘の眠った顔を見ながら、そっと彼女の頭を撫でていた。


 ☾☾☾


 ほぼ同時刻。京一郎は、光輝を彼の部屋のベッドに寝かせて息をついていた。彼の隣には光輝の祖母・満江みつえがいて、孫の寝顔を眺めている。


「夫は今、ランニングに行っているんです。帰って来たら、あなたの話をきちんと聞かせて頂きますわね」

「はい。宜しくお願い致します」


 やがて帰って来た信彦のぶひこも前にして、京一郎は自分の正体を明かした。


「初めまして。僕は光輝くんの担任をしております、間京一郎と申します。……そして、魔族としての名はキョーガと申します」

「……あなたのことは、光輝から聞いております」

「あの子は、あなたのことを良い先生だと言っていた。魔族だというだけで憎むのは筋違いだ、と。それから色々な話を孫から聞いたが……わたしたちも魔族を恨み続けるのは止めようと話したんです」


 満江と信彦は、静かな笑みを浮かべた。

 彼ら夫婦は望の両親であり、息子の死後は本当の子どものように光輝を育てて来た。ちなみに望の妻・まいの両親は既に他界している。

 息子を殺した犯人と同じ魔族を目の前にして冷静な夫婦を見て、京一郎の方が驚いてしまう。


「失礼ですが、僕を見て何か思わないのですか?」

「思わない、と言えば嘘になります。けれど、光輝が言ったのです。『魔族全てが、魔物全てが憎いわけではないし、憎み続けるのは辛い』とね」

「ええ。それに先生の話や……華月ちゃんといったかしら? クラスメイトの女の子の話をしている光輝は楽しそうなのです。それから何やら秘密にして頑張っている様子ですし、私たちがいつまでも下を向いていてはいけないと思いましてね」

「……本当に、彼はよく頑張っていますよ」


 京一郎が心からの言葉を口にすると、夫婦は嬉しそうに微笑んだ。孫のことを信じ、案じているからこその笑みだろう。

 居住いを正し、京一郎は頭を下げた。


「だからこそ、お詫びしなければ。疲労による昏睡ですから、命に別状はありません。しかし、お2人にご心配をかけるのもまた事実。僕の力が及ばず……」

「でも、大好きな人を守れたのでしょう? なら、この子も本望ですよ」

「そうだな。ただ、起きたらしっかりと叱ってやらねば」

「──ありがとうございます」


 柔らかく微笑む満江と、わざとらしく腕を組む信彦。京一郎は敵わないなと苦笑しつつ、もう一度頭を下げた。

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