第49話 さよならの時

 ──ボクが継ぎます。


 エンディーヴァの凛とした言葉が響く。そこにはあの臆病で消極的な少年はおらず、新たな継承者の顔をしたエンディーヴァが立っていた。

 心なしか、隣に立つロウが嬉しそうだ。


 息子の宣言に驚き。魔王はエンディーヴァの目を覗き込んだ。


「良いのですか、エンディーヴァ。決して楽な道ではありませんよ」

「わかっています、母上」

「そう……。決意は固い、ということですね」


 普段は頼りないエンディーヴァだが、彼の中に秘められた魔力の量は兄弟姉妹の中でも桁違いだという。ヴェイジアの談だが、少なくとも彼女が恐れる程度には。

 魔王は喜びとわずかな諦めを含んだ笑みを浮かべ、黒龍を見上げる。


「黒龍。私は、エンディーヴァを後継と定めます。彼に、あなたの力を貸して下さい」

「お願いします」

 ──承った。


 黒龍は頷き頭を下げた。そして自分の額に触れるよう、エンディーヴァに促す。

 エンディーヴァはそっと黒龍に近付き、ひんやりとした黒龍の額に手を置く。すると黒龍の体が徐々に透明になっていく。


「これはっ」

「……黒龍があなたと同化しようとしているのです、エンディーヴァ。恐れず、受け入れて」

「はい」


 驚くエンディーヴァに背後から触れ、魔王は囁く。そして息子が黒龍を受け入れ始めたことを見て取ると、不意に振り返った。

 魔王の視線の先には、継承式を見守る華月たちの姿がある。


「華月、明さんに宜しく伝えて下さい。あなたと出逢えたことがの幸せでした、と」

「はい」

「……では、

「おかっ……」


 笑みを浮かべ、満足そうな顔で魔王は無数の光の粒となって消えた。華月が手を伸ばしても、もう届かない。

 光の粒は華月とエンディーヴァ、そしてアズールとオランジェリーそれぞれの周りを一回りして、空へと昇って行った。


「お母さん……」

「行っちゃったな……」

「うん」


 目の前で母親が消え、華月は心の中で感謝を呟いた。物心ついてから、母親と初めて顔を合わせられたことが嬉しかったのだ。


(ありがとう、お母さん)


 ☾☾☾


 かたん。風もないのに、書斎の写真立てが倒れた。明は読んでいた本を置き、写真立てをもとに戻す。


「不思議なこともあるものだね」


 苦笑し、明は再び本を手に取ろうとしてはたと動きを止めた。誰かに呼ばれた気がして、キョロキョロと周りを見渡す。

 勿論、閉じられた書斎に自分以外の誰かがいるはずもない。


「……まおさん?」


 一瞬感じた風の中に、かつて想いを通じ合わせた愛しい人─魔王─まおの気配を感じた。

 まおは魔王であることから明が名付けたが、本人も気に入って使っていた。彼女は甘いものに目がなく、手作りのシュークリームは特にお気に召した様子だ。

 様々な思い出が甦り、明は写真立てに入った写真を見て微笑んだ。


「きっと、逝ってしまったんだろうね。あまり時間がない、とずっと言っていたから」


 写真立てには、明と生まれて間もない華月を抱いたまおが写っている。まおの幸せそうな表情を思い出し、明は目を細めた。


 ☾☾☾


 魔王と黒龍の姿が消え、華月たちの間には空虚な時間が流れた。その沈黙の中、青く美しい蝶がふわふわと飛んできた。

 蝶は華月の指に止まると、パチンッとシャボン玉のように消えた。蝶は、間違いなくキョーガの眷属である。


「「あっ」」

「な、何っ!?」


 光輝とトリーシヤが同時に叫び、近くにいた華月が驚く。そのまま2人を振り返ると、光輝が華月の手首を掴んだ。


「え? ちょっ……」

「急げ、華月。

「扉?」

「オレたちがここに来れたのは、先生が扉を開いてくれたからなんだ。だけど、それも永遠じゃない。今の幻蝶は、タイムリミットが近付いていることを知らせてくれたんだと思う」


 トリーシヤの説明に、流石の華月も目を見開いた。つまり、この時を逃せば戻れなくなるということだ。


 慌てたのは、華月たちだけではない。話を聞いていたエンディーヴァが、ロウと共に彼らのもとへと走ってきた。


「カヅキたち、帰るのか?」

「……はい。慌ただしくてごめんなさい、エンディーヴァ……さん」

「ボクのことは呼び捨てで良いよ。急ぐなら、ボクらが外まで案内するから」

「ガウッ」


 任せろ、と言ったらしいロウが先頭を駆け出す。彼に遅れるわけにはいかない、とトリーシヤとエンディーヴァがロウの後に続く。

 光輝も走ろうとして、ふと掴んでいたものが動かないことに気付く。振り返れば、華月が何かを見詰めていた。


「華月、どうした?」

「え? あ……うん。最後まで近付けなかったなって」


 華月が見ていたのは、アズールとオランジェリーだ。彼らは未だに魔王が消えた天井を見上げ、凍り付いたように動かない。


 少し寂しげな華月の手を、光輝は握り直す。手首だったものが指を絡める形になり、華月が顔を赤くして俯いた。

 そんな華月を可愛いと思い、光輝は優しく笑みを浮かべた。


「今すぐは無理かもしれない。だけど、いつか近付けたら良いよな。……折角、知り合ったんだからさ」

「……うん。ありがと、白田くん」

「行こう」


 光輝と華月はしっかりと手を握り合うと、ロウを追って地下通路の更に向こうへ駆け出した。


 部屋を出て、10分程走り続けた。

 息が切れ、足が止まりそうになる。戦闘中は疲れなど感じる暇はなかったが、気が抜けたのか体は休息を欲した。

 やがて白い外の光が見えてきて、華月と光輝は力を振り絞る。そんな2人を迎えたのは、先に行っていた仲間だった。


「あ、来た」

「遅いぞ、2人共」

「ガウ」

「悪い。遅れた」

「ごめんね。この先が、外……?」


 喉を押さえながら、華月が指を差す。エンディーヴァが頷き、ロウは先に駆けた。

 華月たちがロウに続こうとした時、エンディーヴァは立ち止まった。


「キョーガが扉を開いた場所のすぐ近くに繋げたから。……元気で」


 少し切なげに、少年は笑う。彼の目が潤んでいるのを見て、華月の胸はいっぱいになった。


「エンディーヴァ……。助けてくれて、ありがとう。また会いましょう」

「二度と会えないわけじゃない。きっとまた」

「今度は魔界を案内してくれよ、エンディーヴァ。オレ、天界にも地球にもないものを食べてみたい」

「……ふふっ。わかった、また会おうね。きみたちが来るまでに、ボクは魔王らしくなっておくから」

「ガウッ」


 ロウに呼ばれ、華月たちは振り返らずに走り出した。振り返ってしまえば、もう一度声を交わしたくなる。だから、全員が前を向いていた。

 ロウは3人を導くように、時々立ち止まって振り返りながら走る。


 やがて魔王城の外に出て、トリーシヤを先頭に彼の目印を頼りに駆けた。

 城の外で、ロウとはさよならだ。遠吠えで送り出してくれる彼に手を振り、3人は扉を目指す。


「あ、見付けた!」


 トリーシヤが叫び、すぐに光輝く扉の前に出る。

 3人は頷き合うと、代表して光輝が扉を開けた。すぐに彼らは光に包まれ、魔界から消え去った。

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